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―旅の景色Ⅴ ゼノンの宿―
その日の朝、ヨクサーナは、1階に出入り口のある中庭に入った。
朝、起きると、公家の私兵の1人であるレナルド・メイヒアと、侍女のアマーリリア・ゴルズ、通称リリアがいたので、2人も連れている。
廊下には、不寝番だという話のケイマストラ王国の騎士たちが居て、目が合うと、互いに、軽く会釈した。
この出入り口でも見掛けたので、そちらとは、声が届く近くまで寄ったので、朝の挨拶を交わした。
ヨクサーナは、王立学院の初級棟に入る前、茶会で知り合った銘家の娘に、色々と、前情報と称して、悪意の話を繰り返し聞かされており、緊張が過ぎて、大事な入学の時に倒れてしまったのだ。
父は、ヨクサーナの亡くなった母を思い返して、過剰に心配し、もともと少なかった外との繋がりを、更に少なくしてしまった。
その少ない中に、問題の娘も入っており、付き添いとして、茶会には必ず同行することを止められなかった。
そんななか、事前に断ったにもかかわらず、付き添いだからと、その娘が強引に同行した茶会で、ちょっとした諍いが起こってしまい、ヨクサーナは今度こそ、誰にも会えないような状態まで、心を追い込まれてしまった。
折角、心配して訪ねてくれた、同じ公家令嬢のテリーゼとすら、会うことができず、これではいけないと、ますます自分を追い込んでいたところ、ハシアの茶会に招かれたのだ。
王女の茶会である上、体調を理由に断るのも、難しい招待文句だった。
それもあるけれど、ヨクサーナ自身が、ただ倒れているばかりの娘ではなかった。
甘え上手なハシアとの、たった2人の茶会から、偶然を装って、カタリナと、テリーゼが顔を出し、留学への誘い。
もちろん、父は大反対したけれど、カタリナの説得に、渋々頷いた。
今では、その時の父の顔を思い出して、笑いが込み上げるほどだ。
機嫌よく歩く、この宿の中庭では、頭上の葉の音が心地いい。
外から見ると、小さな森なのだが、中に入ると、静けさが深い。
曲がりくねった小道を進んでいると、私的留学者の1人、フリュイシ・ノエルが、護衛と話しながら歩いてくるのに行き合った。
「あっ!ええと、と…、おはようございます!」
取り敢えず、元気に挨拶。
通称をシシィとする彼女は、記憶を辿るような表情が、よく判った。
準貴族ですらない騎士家の娘であるシシィは、一般兵とは違う騎士の父と兄への敬愛もあって、ご近所には、元気で気持ちのいい騎士家のお嬢さんとして、好意的に受け入れられている。
そのような、素直さを示す表情だった。
ヨクサーナは、自然と笑みが零れている自分を知った。
「おはようございます。ビジー公家のヨクサーナと申します。フリュイシ・ノエル様。年齢が下ですので、どうぞ、敬称や敬語は、今しばらく、お休みしませんか」
「えっ!ええと、と…」
シシィは、ちょっとだけ迷ったが、気持ちを決めて、頷いた。
「そうね!よろしくね!私、シシィって言うの!ヨクサーナは…ヨクサーナでいいのかな?」
「はい。響きを好んでおりますので、どうぞ、そのように」
言うと、シシィは、ちょっと間を空けて、返した。
「ヨクサーナも、敬語しないで!私、貴族でもないしさ!周りみんな、敬語で、肩身狭いんだ!丁寧言葉は、いいけど、もー少し、砕けてくれると、いいかなあ…」
「え、と…、砕ける…」
戸惑う様子のヨクサーナに、シシィは、困ったような笑顔だが、でも、付き合いを諦めはしなかった。
「まあ、慣れていこうよ!私も、もうちょっとは、お上品にしたいしさ!」
「それなら、さ!で止めるのは、やめた方がいいぞ」
護衛の男の言葉に、シシィは下を向く。
「うぎゅ…」
赤くなって、顎を、ぎゅっと引くシシィが、年上なのに、なんだか、かわいらしかった。
「ふふっ!かわいい!」
思わず、言うと、シシィは、困ったような顔をして、次には、叫んだ。
「そっちの方が、ずっとかわいいじゃん!!」
「シシィ様…」
呟くシシィの侍女が、なんだか、幸せそうだ。
ちらっと、自分の侍女のリリアを見ると、口元を押さえて、どうやら笑いを堪えているようだ。
ヨクサーナは、なぜだか、楽しい気分に支配された。
「シシィ!一緒に、歩きましょう!朝食まで、もう少し!」
常にはない、元気な声が飛び出した。
恥ずかしくて、でも、くすぐったくて、ヨクサーナは、ふふっと、口元に手をやって、笑った。
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