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―旅の景色Ⅵ 2日目、交流―
ヨクサーナが、シシィと親しく会話を始めた切っ掛けで、朝食の席を共にした、公的留学の最年少者2人と、私的留学の年少者3人が、同じ馬車に乗りたいと主張したため、今日の貴人用客車の顔触れは、1台目が娘中心、2台目が青少年中心だった。
朝食の席では、年少者5人で固まったため、そちらからは、ひとつ上のケイトリーは、目上の3人と机を囲んでいた。
それもあり、今は、ほかの宿だった同年のカタリナとエシェルを加えて、私的留学者のパテア・キュリシオと、ネマ・ワイアットの2人と歓談中だ。
婚約者リーヴは、クランと話をしようかなと言って、2台目の客車だ。
「時間があれば、アバトの施設にも、寄ってみたいの」
「今日は、到着は夕方と伺っています。外から眺める程度になるのでは」
カタリナとエシェルの会話に、ケイトリーは、自分は、あまりにも、確認を怠っていたのだなと思う。
カタリナからの勧告を受けて確認した孤児保護施設の金の動きは、教授してもらった今、ずいぶんと食に偏っていたことを知った。
それでも足りなかった現状に、自分こそが、気付くべきだったのだ。
その辺り、無頓着な母の言葉に従うべきではなかった。
そういうことも、あるのだ。
助言と称する、あるいは、助言と受け取るほかない言葉の数々を、見極めて、役立て方を考えること。
「昨日は、もう少し時間がありましたから、もっと町を見回ってもよかったです。残念ですね」
カタリナの心からの言葉に、パテアが明るく、過ぎたことは、いいじゃありませんかと言った。
「それよりも、国境の町です!さぞや賑やかなのでしょう!昨日の町は、人や馬車は多かったですが、店は飲食ばかり、宿ばかりで、入れなかったですし、何かこう、見て楽しめませんでした!」
元気なパテアは、年上だけれど、人懐こくて、話しやすい。
ネマは、控えめだけれど、どこか姉に似た印象で、こちらはこちらで、親しむ気持ちだ。
ケイトリーは、テリーゼの仲立ちもあって、2人には好感を持ち始めていた。
「お店など、見たことがありませんから、わたくしも見てみたい」
言うと、パテアは、一段と表情を明るくして、それじゃあ、決まりですわ!と叫ぶ。
「到着したら、お店のある通りに降ろしてもらいましょう!宿は後でいいです!」
「今日の宿泊も、同じ分かれ方でしたか」
「ああ、ケイトリー様は、カタリナ様とエシェル様と同じ宿がいいですよね?」
そこに、同じ高床に腰掛けていた姉のファムが、声を掛けた。
「それでは、わたくしと替わりましょうか。まだ、調整者が必要とは、言えませんから」
テリーゼも、少し考える様子だが、反対はしなかった。
「そうですね…、年長者は、パテアとネマが居れば、いい気もしますし、グウェイン様がいらっしゃるのだから」
「でも、リーヴお兄様は、反対しそうですわ」
ふふっと、カタリナが意味ありげに笑う。
昨日一日の馬車旅だけで、兄の婚約者への執心は判り過ぎるほどだった。
それに、まだ、口にすべきではないとも思うが、もう一人の兄グウェインの、ファムを見る目に宿る熱は、勘違いではないと思い始めている。
「せめて食事を共にできたら良いですけれど、隣り合う宿でも、一旦、外に出る、ということは、警護の都合で、避けたいとの、お話でしたものね…」
ネマの言葉に、パテアが力強く返す。
「クラール国まで、我慢ですわ!いいえ、それより、船から、そのあと、アルシュファイド国では、ご一緒できないのでしょうか」
カタリナは、少し首を傾ける。
「滞在先は、分かれるという話でしたもの。何度か、王城で会食ですとか、夜会はあるということでしたけれど、通常、食事は別になりそうです」
そう言ってから、頭を巡らせて、近くに居たワティナを見た。
ワティナは、大使シェイキンに、国境の町アバトの様子を聞くハシアたち年少者の話を聞いていたが、カタリナの声が自分に向いた気がして、そちらを見た。
「ねえ、ワティナ。滞在先が別になったら、食事をするときは、別になるわよね?」
ワティナは、少し移動して、カタリナたちに寄った。
「ええ、アルシュファイド到着後ですね?はい。毎日の朝食と夕食は、滞在先になるでしょう。ただ、昼食は、学習場の食堂で、ご一緒になると思いますよ。それに、休日が2日ありますから、お出掛けの時などは、時間帯によっては、3食、共にすることにも、なるのでしょう。オルレアノ国の留学者たちは、週末に、互いの滞在先に泊まって、終日を共に過ごすなども、多いですよ」
「え?そんな、気軽に滞在先を変えてもいいの?」
「いえ、週末だけですよ。半(はん)の日と、藁(こう)の日ですね。円(えん)の日は、翌日の学習予定がありますから、滞在先に戻ります。郊外や、別の区など、遠方への遊学も考えられますから、同じ国の留学者の行動は、重なると思います。あと、男女に分かれるということもありますし、アルシュファイドで親しくなる顔触れにも依りますよ」
「そうなの…」
「ええ。まずは、オルレアノ国の留学者とは、最初の夜会などで顔合わせはできるでしょうね。あちらの事情は、こちらとは少し違いますから、位階に関わらず、留学者同士という立場で接したいのでしたら、王城ではない夜会か、そのほかの会合で、お話しするといいでしょう」
「事情…」
「ええ。その辺りは、政王陛下から、お聞きした方がいいかもしれません。なんにせよ、連泊であっても、留学者の滞在先でしたら、警護の心配は、ありません。一般家庭でも同様ですが、まあ、そちらは、その時々に。とにかく、食事だけでしたら、警護の者には、事前の確認を求められるかもしれませんが、安全には、自負があります。どうぞ、外での飲食は、ご自由に。ああでも、帰りが遅くなる時など、滞在先への連絡は忘れないようにしてくださいね」
「え、え…。え、もしかして、かなり自由に、町を歩いていいの…?」
「ええ、もちろん。警護の者は心配するでしょうが、人物に関わらず、街路警邏隊の騎士が対応しますからね。ただ、お国の方は、ご心配でしょうから、お付きの者は伴う方がよいでしょう」
「え、ええ…そう、そうなの…」
カタリナの頬が赤みを濃くして、ワティナは、穏やかに笑みを深める。
高い地位に在るために、制約を受ける身の、もどかしさのようなものは、きっと、どうにもならないけれど、それでも、気持ちを軽くできたらいいと思う。
自分たちの、まだ年若い政王のように。
「それはそうと、一応、クラール国まで、移動し続けですから、クラール国での小休止を話し合ってもいいかもしれませんね。クラール国は共和国の上に、小国ですから、王族への過度な関わりは持ちません。せいぜい、ミルフロト国との国交ぐらいですから、夜会などがなくて、大勢で食事を摂るという場所が少ないですし、規模が小さめです。宿以外でも、何組かに分けての食事と考えていますから、組み合わせを考えていただけると、助かります。昼食だけですけれど」
「朝食と夕食は宿?」
「ええ、変化が無いと、面白みには欠けるでしょうけれど、宿の方も、内容を工夫してくれるでしょうし、あまりに食事の激変が続くと、体調を崩しますからね。体に優しいものを心掛けてくれるように頼んでいます。昼食の、ご用意は、クラール国のアルシュファイド国大使館でも、行います。そちらは主に、外務官たちと、あとは警護の者たち向けになります。留学者の皆さんには、街中の飲食店で対応してくれるよう、クラール国の駐在大使が手配中ですので、場合によっては、分かれ方が、少人数になってしまいます。そういうとき、手間取らないと、助かりますので」
「王族は固まるなども、考えた方がいいかしら」
「そうですね…数日の滞在になりますから、用心はした方がいいです。後半は、固まりましょうか」
「そうね。では、最初のうちは、自由に、いいかしら」
「ええ。侍女と侍従も、席を同じくすることを考えに入れてください。確認となるなら、護衛ではないのでしょう」
「そうね」
確認…毒見。
あまり考えたくないことだけれど、実際に起こることなら、護衛の者は安全を考えるべきだ。
「昼食での人数は、できるだけ早めに、知らせてもらうように頼みましょう。今後の親交によって、顔触れも、人数の方に合わせられるといいですが、まあ、食事だけなら、数人の顔触れの変更は、なんとかなります」
「そう!では、少し、考えてみるわね!クラール国までは、あと…何日かしら」
「移動日が4日で、宿泊場所でも、それぞれに話し合う機会があるでしょう。手配の都合もありますから、もう少し、色々な顔触れと話すといいでしょうね。男性陣も含めて」
「ああ、そうね!そう言えば、コウウォルトは、様子はどうかしら。ヨクサーナは大丈夫そうだけれど」
弟妹と同じ年少者ということで、カタリナには気になる2人なのだ。
「あちらは、ジョージイ様が、何かと気に掛けてくださっているようですよ。あの年代とは、話が合うのかもしれませんね。遊び心に溢れた方ですから」
うふふと笑う、ワティナの心情の複雑さを理解はできなかったけれど、カタリナは、彼の言動を思い返して、ちょっと心配した方がいいかしらと、思考の端で、ちらっと気に掛けた。
「お国の慣例では、年頃の男女の組み合わせは、いくらか深読みされそうですけれど、会合の場では男子の付き添いが必要な場合もありますし、食事の席での親しみは、いくらか経験した方がいいでしょうね。同世代の男女混合も、機会を持っていただけると、いいように思います」
「そうね…。外務官は交替するし、ある程度の示しは必要そうだわ」
外務官の言葉が、国の両親に伝わるのだ。
そちらへの、線引きの示しは、しておいた方がいい。
テリーゼが応えた。
「ええ。私的留学者の同伴と、公的留学者の同伴理由が違いますが、ご兄弟の同伴の方と、あとは、調整者も含めて、動いてくれるといいのでは。ハウル様が年が離れていらっしゃいますから、カタリナ様は、そちらにお声掛けしては、いかがでしょうか。ネイル様だと、年齢が近いですし、ご婚約者がいらっしゃいます」
ネイル・マペットワイヤードは、グウェインの同伴に選ばれた青年で、現在19歳だ。
グウェインとは、幼い頃から付き合いのある護衛騎士の1人なのだが、今回、留学者として、この一団に加わることになった者だ。
「ハウル様…ね。現在、宰相補佐という立場がありますけれど、リーヴお兄様と一緒に先に帰られるから、それがよいかもしれないわね…。ご婚約者が、いらっしゃるのでしたっけ」
テリーゼが頷いて答えた。
「いらっしゃいますわ。現在、上級棟に所属しています。ご卒業と共に、ご結婚の予定です」
「それでは、避けた方が良さそうだわ。あらでも、かと言って、ファムと同伴では、それはそれで…」
「年齢が近過ぎますね。何より、ご婚約者と近過ぎます。同じ調整者の立場ということでは、弱過ぎる」
通常であれば、問題にしようとは思わない者が多いはずだが、現在のファムの置かれている状況に限っては、テリーゼの読みは的確だろうと、カタリナも思う。
「それならば、カタリナ様が兄君との同伴を避けて、大人の男性の付き添いを頼むという前提で、ファム様とグウェイン様ということでは、いかがでしょう。異国の地で、留学者ではない、気を使うような、お役目を持つ女性で、兄殿下のご婚約者の姉君ですから、上の立場から、弟殿下が気に掛けられることは、不自然ではないと思いますが」
続くテリーゼの推察と、敷かれた筋道は、言い抜けに困らないように思えた。
「そうね。そのような親交であれば、国での受け取られ方も、良識に照らされるかもしれない」
以前に王太子の婚約者候補だったこと、現在は、実の妹が、王太子の婚約者であること。
ファムの立場、その身の置き所の難しさを、改めて思えば、良識での判断を強く促すこともできるだろう。
そして、もしかして、カタリナの感じた、次兄の思いに間違いが無ければ、自然な流れに乗せたいとも、思ってしまう。
ワティナも、ファムの事情と、そしてグウェインの思いを確定する程度には、承知していたけれど、敢えて触れずに、次に進めた。
「あとは…エシェル様は、コウウォルト様の同伴では、いかがでしょうか。ハシア様とヨクサーナ様には、目上の、セイブ様とラケット様の同伴がよいかと思われるので」
エシェルは、にっこり笑って、頷いた。
弟が居ない末娘なので、目下の男の子の相手は、ちょっと、わくわくしてしまう。
それに、私的留学者に兄が居るからこそ、その同伴は、避けたい。
「そうすると…、私的留学者は、同伴はそのままでいいとして、テリーゼは、同じ調整者でいいかしら?」
カタリナに話を向けられ、テリーゼが応じる。
「そうですね。シリル様とネイル様に、お相手がいなくなってしまいますが、ネイル様には、留学者として、自由に動けるのもよいのでしょうし、年齢として、ほかの付き添いの男性と交替するなど、手助けを、お願いできないでしょうか。シリル様であれば、同伴を必要とする年齢では、ありませんし、ハシア様の、お隣で、セイブ様の所作を学ばれる体では、いかがでしょう?」
「そうね。あの子は、ネイルと違うことで、自由に動いた方がいい気もするし、それで、お兄様方に、ご意見を伺ってみるわ。次の乗り替えができる休憩は、10時になるかしら」
ワティナに目をやると、頷いて返した。
「ええ、少し遅れるかもしれませんが、外に出て、茶をいただけると思います」
カタリナは、首を傾げた。
昨日も、10時には茶をいただいたが、停まった車中でだった。
「え?それは、外で茶を?」
「ああいえ、ちょうど休憩の場所に、飲み物と食事を提供する店があるので、そちらで、いただくとよいですよ。昼休憩の場所を、昨日と同じ時間になるように調整しますから、そこでの休憩は少し、長めです」
「店…」
「この人数ですから、購入の仕方は、慣れていなければ、手間取りますし、侍女と侍従に任せるといいかもしれませんね。同じものを複数頼むのなら、特定の人物向けの細工はできません。調理場を見ていることができますから、そちらを警護の者に任せて、受け取る、そのままを口にしても問題ないと思います。そこは、相談は必要ですけれど」
「え、ええ…、ほんとうに?そうかしら…!」
「ええ。まあ、試し飲みの仕方にも、問題がありますからね…、そこは、ちょっと話してみましょう。あとは、座るところが無いかもしれません。持ち運びには、それほど苦労しませんから、外の椅子など使って、まあ、男性には、立ったままでも、構わないでしょう。馬車を降りたら、飲み物を侍女と侍従に任せて、皆さんは、飲食する場所を決めてから、分かれ方を考えるといいですね」
それからワティナは、来るときに確認した献立を思い出す。
「献立は、簡単に、豆茶(まめちゃ)と、葉茶(はちゃ)の中でも紅茶、緑茶と…ほかは雑穀茶、が、ありましたね。あとは、白乳豆茶と、白乳葉茶などもありましたけど、砂糖を入れる必要の無いものが、間違いが起こり難いでしょう。混ぜ物の無い、4種類で、大体の人数を決めて、買ってきてもらいましょうか」
「もともと、移動中に白乳を手に入れられるとは、思っていなかったもの。欲張るのは、またの機会に期待することにするわ。それでいい?」
カタリナの言葉に、年長者組は頷いて、けれども、年少の少女2人には、自分たちで購入する機会があってもいいかもと、話した。
「そうですね。でもまあ、今回は、ほかの客が多いと思うのですよ。丁寧な応対をする者ばかりでもありませんし、警護の都合もあって、見送りたいのです」
ワティナの言葉に、納得して、離れて進む別の馬車と、伝達での遣り取りを重ね、一団は、休憩場所に到着した。
馬や馬車を停めておける、それほど広い区画があるわけでもないので、警護の一部は、昼休憩の場所に先行し、一部は、周辺状況の確認に散った。
まだ、広い荒野の広がる場所に、ぽつんと在る休憩場は、ちょっとした…いや、かなり、立派と言える設備で、集まる人も多かった。
カタリナたちは、建物前の馬車回しで降ろしてもらい、辺りを見回した。
令嬢たちの団体に、周囲の男たちの視線が集まったが、護衛たちが目を光らせていることに、すぐに気付いて、通常に無いことには、関わりたくないと思ったのだろうか、さっと、それぞれの進行方向に去っていった。
「それじゃ、お嬢様方は、席を取りに行きましょう。2人ぐらいずつで分かれて、あとを追っていきましょう」
護衛たちは、1人は令嬢に付き、1人は前後して建物に入り、1人は、飲食物を購入する侍女と侍従に付いて行く。
ここまでの道中で、侍女と侍従の多く乗る馬車2台を先行させたので、品物の購入は、大方、済んでいる。
令嬢、令息と同乗していた侍女と侍従は、先着の彼らに到着を知らせ、飲食物を配る手伝いをした。
ここでは、手で持って食べることを前提とした食品が多く、献立は、それなりに多いのだが、今回のところは、袋詰めの済んでいた、小さな焼き菓子を中心に購入していた。
侍女たちは、それぞれの主となる令嬢の注文だった品を手に、彼女たちの許へと向かい、それらを渡す。
令嬢のほとんどは、足下に花畑を見下ろす露台に出て、心和ませながら、蓋をした器に差し込まれた細管から、飲み物を飲む。
ハシアは、座るよりも、立ったまま、太めの手摺りに体を預けようと、露台の際まで移動した。
冷たい器を両手で持って、差し込まれた細管を吸う。
「ん!なんだか、細管から飲むと、紅茶の香りが凝縮されている気がするわ!甘みが欲しいけれど、冷たくておいしい!」
「そうですね。それにしても、こちらの、お花は、かわいらしいです」
ヨクサーナが、ほわほわと柔らかな笑みを浮かべる。
シシィが、その向こうに顔を出した。
「隣、いい!?わあ、すごい眺め!」
「失礼します、そちらも紅茶ですか?」
馬車内で、対応に馴染んできた、シシィと同年のリーベル・スノーと、キャニイ・ペリオットが、ヨクサーナやシシィが並ぶ、逆側に並んだ。
年齢は、ハシアたちよりも少し上だけれど、社交界で本格的な活動が始まる前なので、それほどに、心の年齢に差を感じない。
「ええ、そうよ。甘い方がいいけれど、これも充分、おいしいわ」
「氷が入っているから、よく冷えていますね!温かいものもありましたけれど、そちらは、器が、ちょっと、違いましたよ」
「へえー」
確かめるようにハシアが振り返ると、年長者は、温かい飲み物を選んだらしく、細管を使わず、蓋の端に、直接、口を付けていた。
「細管が無いのね」
「ええ。でも、そうですよね。熱い飲み物を、吸ってしまったら、冷やすこともできずに、火傷をしてしまいそうです」
「そう?」
言ってから、ちょっと考えて、そうかもしれないわと、ハシアは頷いた。
「あちらは、少しは冷ませるの?」
「口が小さいですから、それなりです。でも、器が厚手みたいで、持っている手が温まるから、待つのも良さそうですよ」
話をするリーベルは、準貴族なので、敢えて区別を口にするなら、貴族ではないのだが、穏やかな話し振りを見ていると、品格は充分と思わせた。
「飲み終わったら、少し下を歩いてみませんか!近くで見たいです!」
元気に言うキャニイは、力を持つ下位貴族の娘だ。
某気に入らない貴族令嬢ほど、社交慣れはしていないが、ハシアからすると、これぐらい素直に接してくれる方が、遠慮されるより居心地はいい。
「そうね!私も!」
そう言うと、急いで、残りを飲んでしまい、シシィとの会話が弾むヨクサーナに、ゆっくりしてと声を掛け、空の器を、差し出された侍女の手…ミレイユの手に渡して、露台の脇にある階段を駆け下りた。
花畑の所々には、素材の判らない、たぶん金属の椅子があって、双子の兄シリルと、同伴の留学者、コウウォルトが座っており、ほかの男子留学者3人が、立って話し中のようだ。
通り掛かると、シリルがこちらを見た。
「ハシア、散歩?」
「ええ、この花、種類が違うみたいだから、もっとよく見ようと思って」
「そっか。花家(かけ)は、そういうの、別に得意ではないのか」
私的留学者カガナ・フィリスは、話を向けられて、控えめに笑った。
豪商を中心とする大名貴族筋となる、フィリス花家は、真名だけ見れば、花を育てるなどの関わりがある家系かと思うが、家格上位の茗家(みょうけ)姻戚というだけで、扱う品は、葉茶が多かった。
もちろん、それだけでは高位貴族としての家格を保てないので、現在の家財を支えているのは、茶の効果に着目した商品群だ。
特に洗肌剤(せんきざい)は、香りがいいことと、さっぱりとした洗い上がりを好まれており、このまま、肌の調整薬剤に力を入れたものか、それとも、同じく主力商品群を作り出す、茶葉を利用した菓子の創作に力を入れるべきかと悩み、最近も父が、葉茶の主力生産国であるサールーン王国へと赴いたばかりだ。
「茶会の重要な要素ではありますから、そちらも考えるべきでしょうが、なかなか、手を広げるのは難しいですね」
「そうか。でも、花家だから、花を扱う、というのは、とても分かりやすい区別にはなるよな。まあ、カガナは、家を出るなら、そこから始めてもいいんだろうけど」
長男は、順調に実績を積んでいるので、二男のカガナとしては、そちらの手伝いをすることで、身を立てることを考えるのが順当と言えた。
「花ですか…」
父や兄に頼らず、全く関わりの無いことに手を付けるとしたら、何からすればいいか、何を基準とすればいいのか、右も左も判らない状態になってしまうだろう。
そういう意味での、冒険になる。
「花弁は、お茶にはならないの?」
ふと、疑問が浮上して、尋ねるハシアの言葉に、カガナが、大きくした目を向けた。
「それは…、考えもしませんでした…」
話を聞いていたマーゴは、口を挟んだものか迷ったが、少し控えめに見えるように願いながら、声を上げた。
「あの、余計なことかもしれませんが、花茶(はなちゃ)というものは、ありますよ。アルシュファイドでの区分ですが、花弁から煮出すものです。葉茶の花ではなく、別の種類の花になります。アルシュファイドでは、1種類ずつから抽出しますが、イファハ国の花茶は、1種類では味が薄いのでしょうね、数種類の花弁を取り入れて、複雑さのある、よい味を作っています」
「花茶…」
驚き過ぎて、それだけ呟いて、固まってしまったカガナをよそに、キャニイがマーゴに聞いていた。
「もしかして、花弁で、洗肌剤とかが作れるかしら。葉茶の洗肌剤みたいに」
フィリス花家で取り扱う品物は、多く貴族階級の女たちが利用するもので、キャニイも、ここに至るまでに、彼が、自分が常日頃使う洗肌剤や、瞳を輝かせて求める菓子を提供する家の者と知っていた。
「どうでしょうね…花弁自体には、何らかの効果がある成分は、薄いように思います。植物ですから、花弁以外の部分に、汚れを落とすほど強い影響力を持つ成分を持つことは、考えられますよ。根などは、毒を持つ花もありますし、毒は、薄めれば、薬にもなりますから、探せば、人にとって、役立つ花もあるかもしれません」
「そう…。そういうこと、アルシュファイドに行けば、知ることができるかしら」
「ええ、洗肌剤ということなら、現在、様々な種類がありますし、ああ、肌の調整薬剤なども、豊富ですよ。まあ、種類が多過ぎて、どれを選んだものか…。そうです、もし、薬剤を求められるなら、個人で、合うものと合わないもの…悪い場合は、肌が傷付く場合もありますから、買う前に、店の者の話をよく聞くといいですよ」
「ふうん?味の好みみたいなもの?」
「好みだけなら、害はありませんが、体が拒否反応を起こして、その反応が、肌が腫れるとか、裂けて血が滲むとか、そのような症状として現れるのです」
「えっ!怖い…」
「ええ。ですから、安易に取り扱うことはできませんが、そのようなことを調べるのなら、アルシュファイドは研究が進んでいる国と言えると思いますよ」
「へえー…」
「食べるのは、だめなの?」
ハシアが、なんだか難しい話だなあと思い始め、自分の興味が色濃い質問をした。
すると、シリルが、ぷっと吹き出して、ハシアはもう、と言った。
「色気より食い気だなあ…!」
「むっ!なに!?おいしいことは素晴らしいことよ!あんなに幸せになれるものはないわ!」
「ああ、うん。そうだな。同意する。ぷふっ!」
「むうー!」
いつもの2人の会話になってしまい、気付くと、周りの少年少女が、驚いた顔をしていた。
恥ずかしくなって、下を向くと、ヨクサーナが隣に来て、言った。
「わたくしも、おいしい、お花なら、食べてみたいです」
やさしい声に顔を上げると、控えめな微笑みは、柔らかな頬を彩って、とてもうつくしかった。
「食用の花も、いくらか、ありますよ。ほとんどは、特徴のある味はないのですが、僅かに塩の味がしたり、まあ、苦いものも…でも、花の蜜は、たいがい、甘いですね。花弁は主に、着色か、食べられる飾りとして、多用されるでしょうか。あとは、蜂蜜の香りに影響を与えますね」
マーゴの滑り込むような声に、そちらに意識が向いた。
「蜂蜜の香り?」
「ええ。そういうことも、興味を持たれるなら、養蜂師の元を訪ねに行くことになるでしょうか。確か、レシェルス区西で盛んだったはずです。こちらの花畑も、ある程度、同じ種類が固まっていますでしょう。土地の条件が同じなら、蜜蜂の巣に近いところに咲く花は、限られてきますし、その巣で作られる蜂蜜は、その花の香りを濃く含むようになります。そんなに、巣から離れたところまで、蜜を取りに行けませんから」
「へえー…」
「そうそう、花を食べると言ったら、イファハ国ですよ。アルシュファイドまでは、なかなか運ばれてきませんけど。そのうち、届くといいですね…」
「ところで、花を見るんじゃなかった?もう見ちゃった?」
ヨクサーナと遅れて来たので、話の内容が読めないシシィが、声を掛けた。
「そうだな!俺も、ちょっと見ようっと!」
シリルが椅子から立ち上がって、歩き出しながら、ハシアとヨクサーナを促した。
この花は、見たことがある、ない、と、話し出し、一同は、適当に、近くの者と、辺りを見回し、歩き始めた。
マーゴは、少し距離を置いて、あんまり上手な話し運びではなかったなと、密かに息を吐いた。
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