第3話 古疵

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第3話 古疵

 人はいつか裏切る。  智がそれを再認識したのは一年前だった。  ポストに届いた一通のはがきを裏返すと、引っ越しの報告と新しい住所が印字されていた。  『結婚しました』と走り書きがある。  -ああ、そうか。結婚したのか。  差出人は中本華代(なかもとはなよ)。以前の職場の同僚、旧姓澤野華代(さわのはなよ)だ。  華代と結婚した中本一樹(なかもとかずき)は、智に出来た初めての恋人だった。キスも、それ以上のことも、何もかもすべてを智は中本から教わった。  秘密にしていた男同士の交際を知る由もなく、華代は堂々と中本に接近した。わざわざ中本と同じマンションに引っ越し、体調を崩して中本に看病をさせ、なりふり構わぬ接近戦を仕掛けられた中本はあっけなく華代に堕ちた。  誰にも言えないまま二股をかけられた生殺しのような状態が続き、仕事に逃げた智は休日も会社に出て働いた。結局、無理がたたって体を壊し、智は会社を辞めた。  卑怯な男だ。  智のことも、自分が男と付き合っていた事実も、あれからずっと誰にも…妻となった華代にすら隠し、なかったことにして生きているのだ。  治りきらない心の疵がじわりと開いて胸の中に血が滲み始める。  家にひとりでいたくなくて、足はバーに向かった。  ハルキものぞみもちょうど恋人が出来たばかりで、しばらくバーに顔をみせていなかった。    吐き出す相手もおらず、酒をあおった。  記憶をなくすほど酔っ払ったのは初めてで、気付いたら翌朝自分の部屋のベッドで寝ていた。どうやって店を出て、どうやって帰宅したのかまったく思い出せない。反省した智は、あれ以来深酒はしなくなった。  男に初めてバーで会ったのは、その次の週末だ。  はじめましてと挨拶をすると、面食らったような顔をした。  無愛想なあの男が表情を変えたのはあの一瞬だけだ。  会ったその日にホテルに誘ったのは智の方だった。意外にも男はあっさりと同意した。
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