第1話 決めごと

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第1話 決めごと

 ホテルで落ち合ってからおよそ二時間後。  行為が終わると男は脱ぎ捨てた服を拾い集めてシャワーに向かう。  水音が止んだ後、ドライヤーの音が聞こえるのはほんの数十秒ほどだ。短く刈り込んだ髪はすぐに乾くらしい。  百八十センチを越える長身に、がっしりとした首回り、厚みのある胸。恵まれた体躯に似合うダークカラーのスーツを元通りに着込むと、男は部屋を出る。  互いに知っているのは携帯電話の番号とファーストネームだけだ。  初めて出会ったのはいきつけのバーで、コースターの裏に自分の名前を書いて渡すと、男は何と読むのか?と訊ねた。  『サトリ』だと答えたが、男がそれを覚えているかどうかは定かではない。何故なら彼が自分の名を呼ぶのを一度も聞いたことがないからだ。  北川智(きたがわさとり)はベッドの中から扉の向こうに消えていく背中をこっそりみつめた。  -今日も凄かった…。  体の相性は、抜群にいいと思う。少なくとも智にとっては最高の相手だ。それまでに出会った相手が悪かったのか、彼だけが特別なのか、あの男に会うまで智は体を重ねることはすなわち痛みを堪えることだと認識していた。  行為の間中、男は智に快感を与え続ける。男が触れた場所、擦った場所は、幾度も塗り重ねた絵のように智の身体を色濃い快感で塗り固め、快楽で埋め尽くしていく。  初めて身体を繋げた時からその感覚は深くなる一方で、近頃は抱かれるたびに恥ずかしいぐらい乱れてしまい、最後は立ち上がることもままならなくなる。  ホテルの予約も支払いも男の方が済ませてあるのに、終わったら先にホテルを出て貰うよう智は男に頼んでいる。勝手なのは重々承知しているが、ベッドから降りられないのだ。  智が最初に課した『体以外の付き合いはしない』『恋愛感情は持ち込まない』『プライベートに踏み込まない』という条件を男は今も遵守し続けている。  この関係が始まってからそろそろ一年が経とうとしていた。
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