宮食蓮の話 (出会い)

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宮食蓮の話 (出会い)

一歩一歩階段をのぼる。この町では有名なビル。僕、宮食蓮は覚悟を決めててこのビルに来た。若者が屋上に来る理由は大体一つしかない。それは自殺するため。屋上へ上がる階段を登りきり、ドアノブに手をかける。予想通り鍵はかかっていなかった。ギシッ。古いドアの開く音に、今生きている確かな実感と、これから死ぬ事への不思議な感覚を覚えた。この世を去る決意を込めて、一歩踏み出した瞬間、突然話しかけられた。 「〜〜〜。」 顔を上げると、そこには同い年くらいの女の子が、ポツンと立っていた。ビル風にかき消された彼女の声は、聞き取れはしなかったものの確かに僕の耳に届いた。僕は目を細めながら彼女の方を見た。彼女は太陽と同じ方向に立っていた。夕方で西日が強く顔がよく見えなかった。僕は動揺した。まさか人がいるなんて。焦った僕は、必要もないのに思わず聞き返してしまった。 「なんて言った?」 「私を食べて。」 それが僕と彼女の出会いだった。 「あなた人食症でしょ。」 僕は息が止まった。 (なんで知っているのか。そもそも彼女は誰だ…?) 確かに僕は人食症だった。 「人食症」 人の肉を食べる衝動が抑えられなくなる病気。世界でも発症例があまりに少なく都市伝説と化している病気である。 でも人食症は確かに存在する。僕がその一人だから。症状に気づいてから107日目。 そろそろ「人を食べたい欲求」を抑え込むのが限界になってきた。 「人を襲ったら殺される。だから誰にも迷惑をかけずに自殺しよう。」 僕はそう考えた。決意を固めて訪れたビルの屋上に、彼女はいた。 「私を食べて。」  唐突な彼女の言葉に僕は動揺した。それでも僕はなんとか冷静なふりをして言った。自殺しようという決意が、揺るいでしまわないように。 「僕は自殺しようとしているんだ。君が誰だか知らないけど、僕の邪魔をしないでくれないか。」 「見て。」 全く話が噛み合わないな、なんて考えた途端、彼女は持っていたナイフで自分の小指を切り落とした。 「ちょ、ちょっと!」 僕は思わず駆け寄った。ナイフは刃渡り15センチほどだった。彼女の指は骨まで綺麗に切りとられていた。彼女の手の中には、切られたばかりのまだ温かそうな彼女の指があった。新鮮な血の匂いのする彼女の指は、とても色鮮やかに見えた。これまで見たこともないほど美しかった《それ》は、僕を強く惹きつけた。彼女のことを思うよりも、「食べたい。」という衝動が溢れ出して止まらなかった。決壊ギリギリまで水が溜まったダムが一気に崩壊するみたいに、僕は自分自身の感情を制御することができなかった。  突然彼女が《それ》を僕の口に突っ込んだ。 それはなんとも言えない味がした。これまでに食べたことのない上質な牛肉のような柔らかさと、強い旨味と、多少のクセの強い鹿肉のような味を持ち合わせていた。それは僕の感覚を強烈に刺激した。断食した後に初めて食べるご飯みたいに旨味が全身に染み渡るのを感じた。 僕は激しく後悔した。人を傷つけてしまった。人を傷つけたくないから自殺しようと決意したのに。泣きそうな顔で彼女を見ると、彼女の指は新しく生え変わっていた。呆然としている僕に、彼女はニコッと笑って話しかけた。 「私には再生能力があるの。私を食べればあなたは死なずに済むよ。私と一緒に暮らさない?」 彼女の提案はすぐには理解できなかった。いや、時間が立っても理解できるものではないかもしれない。しかし、もともと死ぬはずだった命だ。躊躇することはなかった。 そうして僕と彼女の不思議な同居生活が始まった。 ひとまずお互いのことを知るために僕の家に来てもらった。男の一人暮らしの家なんて見せられるものじゃないが、幸い自殺の準備として部屋は綺麗に掃除してあった。 とりあえずお互い自己紹介した。何も知らない人と暮らすことはできない。聞きたいことはたくさんあった。 「じゃあ私から。名前は睡蓮琴音。年は19歳。大学二年生。大学で勉強してるのは薬学。私のこの体が何か役に立つかもしれないでしょ。趣味は旅行。いつか2人で旅行に行こう。あとは、好きな食べ物はタイ料理。特にパクチーが大好き。今度一緒に食べに行こうよ。こんな感じな。」 睡蓮琴音、彼女にあった可愛い名前だと思う。 「君のことも教えてよ。」 彼女がそう言うので、僕は仕方なく喋り始めた。 「名前は宮食蓮。19歳。君と同い年。人食症を発症してる。」 「業務連絡みたいでつまんない。私はこんなに話したのに。」 彼女はそうふてくされた。 (しょうがないだろ女子と話したことほとんどないんだから。) 僕は心の中でつぶやいた。 「まさか蓮くん女子と話すの苦手?モテそうなのに。」 そんな僕の態度に気づいた彼女は、僕を揶揄ってきた。 「だから私の名前を呼ぶのも戸惑ってるんだ。呼び捨てでいいよ。」 「茶化すなよ。本当に緊張してるんだから。」 蓮くんと呼ばれたことに戸惑いながらも僕が言うと、彼女はえへへと笑った。 それから僕が女性と付き合ったことがない話をした。彼女は楽しそうに聞いていた。 「じゃあ私と出会えてよかったじゃん。私と蓮くん最高の組み合わせだと思うよ。」 彼女はそう言って笑った。 確かにそう思う。でも何か引っかかった。なんで彼女は僕に声をかけたのか。本当に偶然だったのか。僕と彼女はあの時まで一切接点がなかったはずだった。彼女が何かを隠してるような気がした。僕は何気ない会話をするようにできる限り平然として聞いてみた。 「本当は何で僕に声をかけたの?」 彼女はとても驚いた顔をした。彼女の時間が止まったような感じがした。その間彼女の感情はころころ変わって見えた。少し時間が経った後、彼女はぽつりぽつりと話し始めた。 「私には自傷行為の癖があるの。初めはリストカットぐらいの軽いやつで済んだんだけど、私、再生能力あるからね。慣れちゃって。だんだん切り落とすようになったんだ。」 彼女はちょっと早口でそう言った。まるで何かを隠すみたいに。 「切っちゃうと処理が大変で。捨てるわけにも行かないしね。事件だと思われちゃう。」 なんて彼女は笑っていた。その笑い声を聞いて僕は悲しくなった。聞いてはいけなかったかもしれない。僕はそれ以上何も聞かなかった。いや、聞けなかった。だから、一番知りたかった、今日彼女があそこにいた理由は分からなかった。僕が人食症であることを知った理由も。 彼女はまた笑った。 一緒に暮らし始めて一週間。僕の生活はガラッと変わった。だんだん女性にも慣れてきた気がする。 夕飯は毎日僕が作る。僕は彼女を食べる。買い物をするのも僕の役目。人食症を発症してから、なぜだか鮮度の良い食材を見分けられるようになった。初めて人食症でちょっとよかった、なんて思えた。彼女が僕の料理で喜んでくれるから。今日の買い物で一番美味しそうだったのは鳥のもも肉。とびきり鮮度のいい物があった。家に帰ると彼女が待っていた。 「おかえり。」 「今日は鳥のもも肉があったよ。」 「パクチーは無かったの?」 「ごめん。僕はパクチー嫌いなんだ。」 そんな普通の会話をしている時間がとても幸せだった。彼女が笑うと、世界が暖かくなる。世界から突如拒絶されたかのように感じていた僕にとって、彼女は唯一の救いだった。僕が人食症であることを忘れられる気がした。 「今日はどこ食べる?」 そんな言葉も彼女が言うと何故か丸く感じた。 「今日の夕飯は鳥のもも肉だったし、もも肉かな。」 彼女はそう言うなりズボンを脱いだ。 「やっぱり脱ぐんだね。君はもう少し人を疑ったほうがいいよ。」 僕は一週間毎日そう言っている。 「何言ってるの?服脱がないと切れないじゃん。」彼女は当たり前のように言う。僕が間違ってるのだろうか。 彼女は肉を切るとき決まってメスを使う。 「刃物の中で一番切れ味がいいんだ。血で部屋を汚したくない。」 彼女の動かすメスは、スポンジケーキを切るみたいに彼女の肉にサクサク入っていく。決して肉は柔らかくなさそうだが、手先が器用なのか、少なくとも僕がカッターナイフを使うよりは簡単そうに見える。 昔は血を見るのがあまり得意ではなかったが、今はなんともない。これも人食症の影響だろう。 僕がじっと見つめる中、彼女はスルスルと切り進めていく。そのうちに綺麗な五センチ四方くらいのもも肉が切り取られた。人の肉は栄養素が高いようで、僕はそれほどたくさんの量を食べなくてもよかった。切り出された彼女の肉を白いお皿に載せる。白色に赤色が鮮やかに映える。 いつ見ても彼女の肉は美しい。脂肪が多すぎることもなく、少なすぎることもなく、筋肉質で引き締まっている。指で押しても戻ってくるぐらいの弾力性と、まだ血の感じられる新鮮さ、その生々しい血の匂いに確かな生の気配を感じた。 その上、彼女の肉はとても美味しい。人の肉がみんな美味しいのか、それとも彼女の肉だからなのか。他の人の肉は食べたことがないので分からない。 「私の肉は再生してるから新鮮なんだよ。」 彼女は冗談みたいに言った。 僕は丁寧にナイフとフォークでそれを食べる。 彼女に対する敬意を込めて「いただきます。」というと君はにっこり笑う。 彼女が夕飯を食べる時と全く逆の構図。彼女は僕が食べ終わるまで、彼女はずっと僕の目の前に座っている。自分も彼女をずっとみているくせに、自分が見つめられるのは少し恥ずかしい。 僕が食事を終えると、彼女といろんな話をする。彼女が大学で学んでいること、彼女のこれまでの人生のこと、僕の人生のこと。人食症になってから人と話すことを避けていた僕は、だんだん人と話をする楽しみを思い出していた。 いろんな話をするうちに、僕は彼女に惹かれていった。でも僕は、恋に落ちそうになる心を何度も止め続けた。突然一緒に暮らし始めて、感覚が麻痺しているだけだ。そう思い込ませていた。この非現実的な関係は、何かの拍子で簡単に壊れてしまう気がした。もう何も失いたくなかった。
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