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復興 その3
地上を楽しんでいる。
言われてキョトンとした私を前に、ジークは小さく胸を揺らしながらふっふっと笑い声を漏らす。
「そうか。あんたはあの保守的な天使たちの中で、島から降りるくらいには好奇心も強いもんな」
本能的に種族の保全を第一に考えるのが天使なのだ。
そもそも種族存続の使命を放って地上に降りるような天使など、異端中の異端なのである。
天空の島で直接他の天使たちと交渉をしたジークには、私と他の天使との違いが見えているのかもしれない。
「あんたは変に控えめな所があるし、考え方も古臭い所があるからつい忘れちまうが。あんたの本質は意外と向こう見ずだもんな」
一番無茶をする男に、私は何を言われているんだ。
眉間にシワがよったのが見えたのだろう。ジークは笑いを苦笑に変えて、すまんすまんと誤った。
「いや、あんたを甘く見ていたと思ってな。そうか。楽しんでるのか。」
ジークが喉を鳴らすように低い音で笑う。
私の強かな好奇心を、大きな虎が甘えた時のような音を出して笑う。
「まぁ、人間の営みには昔から興味があったから……」
ジークの胸が擽ったくなるような笑い声を聞いていられず、私は軽くそっぽを向く。
「真似をしてみたいだなんて、子どものようだと笑えばいい」
「ふっ…、笑ったりしない」
笑いを潜ませた声でそう告げられる。
「俺としては屋敷に戻ってきてほしい。俺はまだ中々自由になる時間が作れないからな。あんたの様子を知るためにも、屋敷で生活してほしいんだが」
私の顔をチラと見ると、渋い顔付きをする。
「ケインが諦める程の『意思固く』だからなぁ」
ケインとはジークの執事の名前で、私が屋敷から離れて住む際に大変お世話になった人である。
「ジーク、私は確かに人の世の初心者ではあるかもしれないが、本当の子どもではないんだ。そこまで心配してもらわなくても、それなりに生活はできる」
かつて島から降り立ったばかりの折に、人の世の常識の知らなさで随分苦労をかけた自覚がある。ジークも未だその印象を引きずっているのかもしれない。
私は旅の途中のいずこかの村で見た、捨て猫の世話を必ずすると言って母にねだる幼子を思い出しながらジークに懇願した。まぁ世話する相手は自分自身なのだが。
ジークはしばらく考えるように目を閉じると、一区切りするように軽く息を吐いた。
この男はいつでも切り替えと決断が早い。
「分かった。あんたを縛る権利は俺にはない。ただ幾つか約束をしろ。それが守れないなら俺は今からあんたの大家の元へ行って部屋を解約した後、あんたの仕事仲間に退職の旨を伝え、飲む約束をした人間を探し、二度と誘わないよう釘を刺してあんたを連れて帰る」
「な、な、なん……」
ジークがやると言って口に出したのなら、それは必ず実行される。その内容がどんな馬鹿馬鹿しく思えるような事でもやり切ってしまうのがこの男なのだ。
数々の有言実行を目の当たりにしてきたため、私は背筋が冷える思いでジークを見上げた。
「なるほど。権力があるっていうのは中々悪くないな……」
「権力を嫌って千人隊長まで降りた人間のくせに……!」
面白げに権力を振りかざしてくるジークを、私は思い切り睨みつける。
四六時中一緒にいた旅の中でも、ジークが無意味に権力を振りかざした所を見たことがない。それなのに今更になって私に力をチラつかせてくるその傲慢さを殴りつけてやりたい。
「約束事は三つだ。まず所在地は常に俺にわかるよう明確にしろ。黙って知らない所に行くのは無しだ。俺に伝えるのがどうしても嫌な時はマーカスでも良い。とにかく黙って何処かへ行くな」
思ったよりも常識的な内容に私は素直に頷く。
「二つ目はシルヴィ、あんたも重々分かっているとは思うが、天使である事は隠し通せ。誰にもだ。不用意に飛ぼうだなんてするなよ。エノク語の詠唱も本当はやって欲しくない。けれどこれはあんたの生活にも影響が出るからな。術を使う時は慎重にいけ。今日みたいに俺が後ろに居ることも気付かず無防備に使おうとするな」
ジークは私の両肩を掴み、しっかりと目線を合わせてくる。その真剣な眼差しに、ジークが思った以上に私を気にかけてくれていると知る。
「どうしても飛びたくなった時は俺を呼べ。人のいない場所まで遠駆けで連れて行ってやる。
もし天使としての能力が何かしら必要と感じたのなら、まず俺に連絡しろ。いいか、時間や俺の都合なんぞ気にかけるなよ。あんたは大体にして思慮深く振る舞おうとするからな。変にこじれる前に必ず俺に相談しろ」
「いや、ジークだって忙しいんだ。そこまで気を使って貰わなくても……」
今でさえ目まぐるしく忙しいジークを、そんな自己都合でホイホイと呼びつけられるはずがない。
私が思わず辞退しようとすると、両肩を掴む掌に痛いほど力が込められる。
「変に、こじれる前に、俺に、相談しろ」
凄まじい眼力で、一節毎に切って言い聞かされた。
「うぅ……、わかった。何かある前に相談する」
「それでいい。最後の三つ目だ。友人関係は全て俺に報告しろ」
「それは横暴がすぎる!」
思わず声を張り上げる。私にだってプライベートやプライバシーがあるのだ。
「私は小さな子どもではないと言っただろう?! 母親に今日できた友達を紹介するように全てあなたに話せって言うのか? あなたは忘れているかもしれないが、生きた年数は私の方がうんと長いんだぞ!」
「天使の生活の中でだろう! ここは人間の世界だ、あんたが思ってるよりも残酷な世界でもあるんだ!」
そんな事は分かっている。人に宿る残酷な心など、旅の中で嫌になるほど見てきているのだ。
けれどそんな私の心を読んだのか、ジークは静かに首を振った。
「あんたは経験からこの世の残酷を学んだつもりでいるかもしれない。けれどそれが全てじゃない。分かっているつもりで分かっていない。俺はあんたのその薄い警戒心が怖い」
ジークの私を見つめる瞳から彼が何を考えているのか読もうとするが、テンペストストーンの瞳は私に何も語らない。
「シルヴィ。守ってくれ。せめてあんたが問題なく人の世で生きられると俺が納得できるまでは」
ジークはやはり私が島に帰れなくなった事に責任を感じている。
「俺を安心させてくれ」
そうでなければ、こんな懇願じみた事を言う男ではなかったはずなのだ。
私はもう、頷くよりなかった。
「部屋を解約されて、仕事も解雇されて、友人も出来なくなってしまうのは困る……」
しぶしぶと承諾した態にしなければならなかった。ただジークの懇願に折れてしまった事に気付かれたくない。私のなけなしのプライドがそう叫んでいた。
「そうか」
そんな私を尻目に、ジークは撤回させぬとばかりに素早く頷いた。
「俺への連絡手段はそれ用の鷹をよこす。旅の道中で何度も見ているとは思うが、俺以外に懐かない賢いやつだ。なんせ魔王の手もかい潜ったやつだからな。人に捕らえられる心配もないし、何かあればそいつに手紙を託してくれ」
すぐ具体的な方法を提示する事で後進を防ぐ。ジークの常套手段に絡め取られてしまった事に臍噛む気持ちになる。
好まない権力をチラつかせ、無茶な条件を最初につけたのも、私が自分に言い訳をしやすいようにするためだったのだろうか。
「ジーク、あなたは本当にひどい人間だ」
私の事を思ってやってくれているのは分かるが、それでもその今も昔も変わらない強引さと人の気持ちを無視するやり口に、私は思わず憮然として非難する。
ジークは口の端だけで面白そうに笑った。
「俺が良い人間だなんて期待するあんたは本当に警戒心が緩い」
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