不要品

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妊娠中、かなり悪阻が酷かった。 「ああ!おおきい子だね!お母さんよく頑張ったねぇ!」 四千グラムを越えて産まれた息子は、かなりの難産だった。長い長い間陣痛に苦しみ、最後は吸引と押し出しで産まれてきたのだった。 妊娠し、具合が悪くなり、ホルモンバランスが崩れ、激痛を超えて出産する。そして寝ずの子育てが始まり、ホルモンバランスは戻らず、すぐに涙がでる。 これを一人で乗り越えるものと 夫婦で乗り越えるものものがいる 優里香は一人、リビングのソファに座り、手紙を書いていた。誰に当てるものでもない、冷たく固い手紙を。 これを読む誰かへ 私ね、妊娠した時、とても嬉しかったの だいすきなゆうくんとの赤ちゃんだ!って なのに切迫流産が分かって 絶対安静になっちゃって…不安だったなぁ 先生からセックス禁止にされたのに ゆうくんにそれを言ったら不機嫌になっちゃってさ しかも結局我慢できず 二回もしちゃったよね、あの時 すごい血が出て、先生にすごい怒られたんだよ! 私が泣いて、やめて欲しいお願いって言ったら ゆうくんわかったわかった!って うるさそうだったね それから毎日仕事帰りにパチンコいってさ でもかせげなくなった私に 文句を言える筋合いはなくてさ 赤ちゃんできたら色々お金がかかるんだよ?って 恐る恐る何度も言うの、ほんと嫌だったなぁ それなのにゆうくん、わかったわかったって 終いには、わかったよ!って怒ってさ ゲームで二十万の請求が突然きたこと あったよね!もう、びっくりした ちょっと笑っちゃったもん!笑 私が具合悪くても全然たすけてくれなくてさ 悲しかったなぁ 赤ちゃん産まれたら俺は変わるからさって 言ってたよね、でも産後も全然助けてくれなくて おっぱい痛くて熱がある私に 俺だったら大丈夫なんだけどって言ったりさ 俺だったら一人で育児できるって言ったりさぁ それで私は実家が遠くて友達もいない環境でさ がんばってたのに… お義母さんが遊びに来ては、助けに来たのよって 顔されて…辛かったな 今はそっとしておいて欲しいって 伝えてって言っても伝えてくれないし お義母さんはゆうくんの借金も パチンコも全然怒らないし ちょっと怒ったふりしても 優里香ちゃんだって言わないのが悪いんだから! なんて言われちゃってさ ああもうほんと辛かったよ でさ、この間もお義母さんが来たんだよ つい一週間前だよ? なのにまた一昨日から来てるんだよ 家事を手伝う訳でもなくてさ 謎の手作りのご飯(ゆうくんの好物)つくって 涼しくしておけば腐らないから!って 玄関に置きっぱなし!やめて欲しいよー 家来て勝手に色々持ち込んでさ 変な時間に寝てみたり、突然何か食べ始めたり… もう私たちって友達みたいだよね 仲良しなんだからいいでしょ?って 言うんだけど、親しき仲にも礼儀ありだよ それにこっちはめちゃくちゃ気使ってるよ 口の中で噛み砕いたもの子供にあげないでほしい スマホばーっかりみせてさ… 大音量で謎の音楽一日中流すし… あんなにママっこだったのに スマホ触らせてくれるしさ 一日中ゴロゴロしてくれるばぁばがいたら ばぁばっ子になっちゃったよ この二日間で完璧にね! しかもゆうくんの夕飯はちゃんと用意してさ 洗い物までするのに私のはしないって知ってる? なのに毎回またいつでも来てあげるからさ って言われるの!えー!私は呼んでないですよ! なにその助かってるでしょ?みたいなやつ あー嫌だなぁ、私の生きがいはさ、息子なのよ だって妊娠してから、友達も親もいない環境で、この子だけが私のお腹の中で生きて、私を求めて育ってくれたからね、辛い時も苦しい時もこの子はずっとそばにいてくれたからね でも今日わかったの!私はいらないのかってね ばぁばーばぁばーってお菓子持って追いかける息子を見てたらさ、分かったんだよね それに、お義母さんが言うのよ ゆうくんにそっくり!ってね、もうゆうくんに見えるー!ってね、うちの家系の顔!しかも性格まで似てる気がする!ってね さっきも何故か説教されたの 私はいつでも助けに来てあげるからぁ、だから、ゆうくんのことはぁ優里香ちゃんがしっかりしなきゃだめ!ね?わかる?ってさ! なんかさぁ、存在価値ってやつ?わからなくなっちゃうよね、つまり私は、お役御免なんだよ、分かるかなぁ、種を埋められて、花を咲かせて、私はもう、お役御免! ああ、私ね、息子が愛おしいの イライラしたことなんて一度もないのよ、一度も!一歳八ヶ月の息子が心の底から愛おしい でも気がついたの 古い植木を放置すれば、ゴミになる 庭は汚れて、幸せは逃げる 私は、ゴミ、ゴミは、捨てて、燃やしましょう 優里香はペンを置いた。 強く握りすぎていたのだろう、爪の当たる中指から血が出ていた。スマートフォンを眺める、そこには愛おしいムスコの写真があった。優里香の頬を涙が伝い、嗚咽がもれる。離れたくないのだ、愛おしい息子と。だが仕方がない、優里香はゴミなのだから。花をとられた、空の植木鉢なのだから。寝室で眠る愛おしい息子の顔を見ようと思い立ち上がったが、足が動かず、ただ泣き崩れるしかなかった。優里香はそのまま足を引きずるように玄関までいくと、用意していた少量のガソリンとライターを掴む。悲しい、別れというものはいつでも悲しいが、こんなに悲しいことは人生で初めてなのではないだろうか。最後に寝ていた息子の顔が浮かび声が漏れだして、優里香は唇を強く噛んだ。誰も来なかった陣痛室で、優里香と赤子は頑張ったのだ、そして二人は感動の出会いを経て、親子となり歩んできた。だが、それは若葉だったのだ。若葉には狭い鉢が必要で、根が伸びて、大きくなれば、小さな鉢の役目は終わるのである。ああ、悲しい、悲しい、優里香は、悲しいという感情を、知っているつもりで生きてきたのだが、実は知らなかったようだと思った。愛おしい息子。抱きしめたい、声を聞きたい、ああ、さようなら、さようなら。 優里香は頭からガソリンをかぶると ライターを握る親指に、力を込めた 「ほぉら、ママのお墓だよ」 父親とその息子、そして祖母が墓参りをしている。 あれから一年だねぇ、初めてのお墓参りだねぇなんて言いながら。ふざけ合い、大笑いをしながら、お昼何食べる?なんて話をして、適当に手を合わせて、三人でレストランに向かうのだ。レストランにつけば、もう母親の話題など、でない。ハンバーグが並ぶ。母親の話題など、でないのだ。 不要になった鉢植えなんて 色すら記憶から剥がれ落ちていくだけなのだ。
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