15歳の少年ふたりがごはんを食べる話

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「ごちそうさまでした」 パンッと手を合わせる。米が茶碗に張り付くと嫌だから急いで流しに持って行った。 今日はがんもの味噌汁がうまかった。さすが俺。 ハルの焼いた鮭も……まあ、悪くなかった。なんか煤みたいになってて食べられるところ少なかったけど。 「今回は洗い物、俺がやる」 洗剤を垂らしたスポンジを俺の手から取ったハルが横に立ってそのままぐいっと流しの前から押し出される。ハルはこの前うちで同じことを俺の母ちゃんにもやっていた。 母ちゃんは「そーゆーとこモテるよ!」って親指立ててたけど俺はうまい味噌汁を作れる男の方がモテると思う。俺より十センチくらい背が高くてちょっと顔がいいからって。そう口を尖らせてハルの後ろ姿を睨んでみる。 まあ、確かに洗い方は綺麗だと思う。俺みたいに床を水でびちゃびちゃにしないし。 やることもないし、床にしゃがんで目を瞑る。 浮かぶのは目の前のハルの背中と飯を食ってるときのちょっと幸せそうな顔。狭い台所に響く食器の重なる音、水の流れる音、それから注意して耳を澄ませていないと聞こえない、ハルの小さな鼻歌。本人は聞こえていないと思っているみたいだ。俺も言わない。言ったら二度と聞けなくなってしまう気がするから。 俺はこの時間が好きだ。誰かと、ハルと食べる飯が、好きだった。 俺は味噌汁が好きだ。夏に飲めば熱中症知らず、冬に飲めば冷えた体を温める。春と秋も勿論うまい。 いつも通り顆粒だしを入れてお湯を沸かす。沸騰したら具をいれる。 今日は白菜とニンジン、それから豆腐。本当はもう一種類くらいなにかいれたいところだけど、俺は夏休みでも母ちゃんは大人だから仕事だ。しかも今日は金曜日だからスーパーのレジのパートの後にスナックで働いて酔っ払った母ちゃんが帰ってくる日。それなら少し汁が多めの方がいい。 「うん、今日もうまいうまい」 一口味見して火を止める。米は冷凍していたやつをレンチン。おかずは焼き鳥缶……は昨日ので最後だったから今日は納豆。 納豆もいい。安くて栄養があってうまい。テレビをつけて座椅子に座る。テーブルは母ちゃんの化粧品とか近所のスーパーのチラシが山盛りになっているからちょっと退かす。奥の方の山が崩れて床に散らばった。あーあ、と言いながらまたテーブルに積み上げる。 なんか昔こういうゲームをゲーセンでやった気がする。チラシじゃなくてお菓子やおもちゃだったけど。 「いただきまーす」 中学生の俺が一人で夕飯を食べることを可哀想だと言う人がいるけど、俺は周りが思っているほど寂しくない。可哀想だなんてのは思ったこともない。 でも、たまに、ごくたまに、給食みたいに誰かと同じものを食べたり「いただきます」「ごちそうさま」を誰かと一緒に言いたいな、なんて思う。同じ場所で同じ時間でなくてもいい。同じのもを食べられるだけでもいい。 「よし。たまにはおかずも作っちゃいますか」 冷凍庫から和風野菜ミックスを取り出して鍋に入れる。鶏肉はないけど、まあいっか。 丁度、腹が空いていたし、それだけ。別に隣に引っ越してきた時季外れの転校生に渡すためとかじゃない。余ったらあげてもいいけど。もう一度言うけどそのためじゃない。 足りないかも、と二袋目の野菜ミックスを鍋にあけた。 時季外れの転校生、倉本 春(くらもと はる)が転校してきたのは中学最後の夏休み直前だった。蝉の声に掻き消されそうになりながら朝礼で自己紹介をする無愛想な顔をどこかで見たことがある、と思ったら少し前に俺が住む団地の隣の部屋、二〇二号室に引っ越してきた親子の息子の方だった。 クラスのアイドルや委員長が学校内の案内だとかなんとか話しかけてもにこりともしない。 無愛想だけれど仏頂面に眉間のシワもクールだと言われたら納得してしまうほどには綺麗な顔をしている。それに加えてクラスで一番高そうな身長。低いのに通る声。モテそう。それが、倉本の第一印象だった。 「こんばんはー。二〇一号室の者でーす」 インターホンを押すとドアは直ぐに開いた。 「……はい」 出てきた倉本はTシャツにジャージであからさまに面倒くさそうな顔をしている。 なんかデジャブ。昼間買い物に出たときに女子のグループが倉本の家に宿題一緒にやろうとか言いながら押しかけているのを見かけた。玄関先でそれを対応する倉本。今、その時と全く同じ顔をしている。 「あと一分」 「へ?」 「カップ麺。なに? 用があんなら早くしろよ」 なんだコイツ感じ悪い! まあ確かにカップ麺作ってるときに人がきたら嫌だろうけどさ。 「ごめんごめん、飯作ってたんだな。これ、沢山作ったから良かったらおかずにしてよ」 へらへら笑いながら筑前煮の入ったタッパーを渡す。倉本は父ちゃんと二人暮らしと聞いていたので大体二人前くらい入れたつもりだ。 「ああ、どうも」 それじゃあ、とでもいうように受け取ると素早くドアが閉まる。 「……あ、うん」 もう誰も出てこないドアの前で一人、俺は立ち竦む。まあ、誰かと同じものを食べる、という目的は果たされそうなので、いいか、と思うことにした。 翌日の昼過ぎ、今度は俺の家のインターホンが鳴った。訪ねてきたのは倉本だ。 昨日の筑前煮が不味かったから文句言いに来たのか?そんなことを思いつつドアを開けると紙袋を渡される。 「え、タッパー? わざわざ返しにきてくれたのか」 使い捨てのやつだからいいのに。普通のタッパーより少し薄い。レンジで長時間温めると溶けてしまうくらい脆い。そんなタッパーが綺麗に洗われて、更にはお菓子まで添えられている。 「お礼出来そうなモン、探したんだけどそれくらいしか家になかった」 コンビニ限定フレーバーのチョコレートだ。普段スーパーのファミリーパック以外買わない俺からすればこれはお宝みたいなもので。 「あ、あのさ、今度は肉の入ったやつ食いたくねえ?」 お礼の、お礼がしたくなって思わず口走る。 「……俺、肉は豚肉が一番好き」 ビックリしたのか一瞬目を見開いた倉本がぼそっと呟く。豚肉、豚肉と言えば。 「お! じゃあ丁度いいや! 上がって上がって」 玄関のドアを大きく開けて倉本を招き入れる。おじゃまします、と言って素直についてくる倉本に安心した。昨日も今も迷惑がられているんじゃないかと不安になったけど、大丈夫そうだ。 「はい、豚肉入り味噌汁」 「……これ豚汁じゃねえの」 倉本が豚肉入り味噌汁を指さしていう。 「ちげーの! 俺の中ではあくまでも豚肉入りの味噌汁なんだよ!」 確かにニンジンにゴボウに長ネギ……豚汁と言われれば豚汁だけどあくまで味噌汁。 そしてメインデッシュ。これを米と掻き込むと一瞬で幸せになれる。 「……って、米炊き忘れた! つーか米びつ空じゃん!」 さて、と炊飯器開けたら空だった。今日に限って冷凍もない。今から買いに行って炊いたら早炊きだとしても一時間は掛かる。どうしよう、と頭を抱える俺に立ち上がった倉本が声をかけてきた。 「米、さっき炊いたやつが家にあるからもってくる」 俺が返事をする前に部屋を出て行った倉本が炊飯器を抱えて戻ってくるまで数分とかからなかった。 「あー、やっぱうめーなー」 炊きたての米と味噌汁をかっ込む。昼飯のカップ麺の残り汁にいれて食べる予定だったらしい。炊きたての米を、残り汁に……なんて贅沢。今度やってみよう。 「父さん以外と飯食ったの久々」 倉本が自分から話したのはそれだけだった。倉本は一口一口、丁寧に口に運ぶ。給食みたいな賑やかさはないし母ちゃんと食べるときみたいにテレビ見ながら爆笑したりもしない。でも、凄く楽しい。 「お前さ、」 「直孝。ナオでいいよ」 お前って呼ばれるのがなんか嫌で名乗る。 「……ナオってさ、友達多いだろ。なんで俺と飯食ってんの」 「ん? ああ、みんな夏休み中はばあちゃん家とか行ってるから居ないんだよ」 「あと、お隣さんと飯食うのもいいじゃん?」 「……春」 「ん?」 「俺もハルでいい。呼び方」 春、ハル。そんなふうに呼んでいる人を学校で見たことがない。多分、つまり、俺の特別。 じわじわ嬉しくなって頭の中で何回も繰り返してみる。 ごちそうさま、そうハルが手を合わせると同時に玄関のドアが開く音が響く。 「ただいまー、ってあれ? お友達?」 母ちゃんが帰ってきた。今日の母ちゃんはスーパーのパートバージョン。キラッキラの金髪は後ろで一つに纏めてある。爪も長くてキラキラ。あの爪でスーパーで一番早くレジを打つ。勿論週末のスナックの自称姉ちゃんバージョンも格好いい。俺の自慢の母ちゃん。 ハルの顔を覗き込んで「ああ! お隣の!」とハルの肩をバンバン叩く。その後、母ちゃんに流されて三人で改めて夕飯を食べた。俺とハルは山盛り二杯目で結構苦しかったけど、やっぱりスゲー嬉しくて、楽しかった。ハルは空っぽになった炊飯器を持って帰った。 その日から残り少ない夏休みの間、どちらかが相手の家を訪ねて「腹減った」と言うのを合図にほぼ毎日、ハルと俺は一緒に飯を食べた。 そのなかで俺の母ちゃんとハルの父ちゃんが話し合ってかかった食費は割り勘にすることになった。基本的に買い物は俺が行く。その食材を使って味噌汁は俺が作って米はハルが炊く。おかずは交互で作ることが多い。 「なあ、ハルってなんでこんな時期に引っ越してきたの?」 「父さんの転勤」 「へー、あ、母ちゃんは? 俺の家は母ちゃんだけなんだけど」 「うちは父子家庭」 「あ、そうなんだ。飯は? いつも父ちゃんと食ってんの? 俺は一人で食う ことが多いんだけど」 「父さん仕事で夜遅いから一人で食ってる……俺を一人で育ててくれる父さんを俺は尊敬してる」 「おっ! なんだ一緒じゃん。好きなもん食えるし一人飯も結構いいよな」 「……ナオは寂しくねえの、とか聞かないんだな」 「一緒って言ったじゃん。俺も一人で育ててくれてる母ちゃんを尊敬してる。それが悲しいことでも寂しいことでもないの、分かってるよ」 「……そっか」 ハルが小さく笑って、恥ずかしげに目を逸らした。そんな顔もするんだ。 飯を作りながらお互いの話を沢山した。俺たちの間に同情とかそういった感情は一切なかった。だからこそ、二人で食べる飯は本当にうまくて、楽しかった。 長い夏休みが明けてからもハルと俺は三日に一度は夕飯を一緒に食べる関係が続いている。 「さーて、食べ終わったし、今日もお願いしまーす、先生」 「ナオ、ここ足し算間違えてるぞ」 「宿題の採点早いッス、ハル先生」 食事が終わった後はハルが俺に勉強を教えてくれた。後から知ったことだけど、ハルは全国模試で常に十位以内に入っていたらしい。教え方が上手いのも、ハルの家のテーブルの上にはいつも付箋だらけの参考書が広げてあるのも。 「なー、倉本これやってる?」 放課後の教室で、友達の田中がハルの机に乗り出してスマホの画面を見せる。最近流行っているらしい数人でチームを組んで敵を打ち倒すゲームだ。 「やってない」 「まじで? めっちゃ面白いぜー」 机の上に置かれたハルのスマホを指さしてアプリのインストールを促す。 「ゲームの面白さがわかんねえんだ。悪いな」 ハルはそうバッサリ断った。この前女子に連絡先の交換を迫られて同じように返して撃沈させているのをみた。多分ハルに悪気があるわけじゃない。正直で物事をはっきり言うタイプなんだと思う。ハルはまた問題集に目を落とす。 「そっかー。あ、倉本ももしかしてナオと一緒でゲームよりチラシ派?」 ハルが返事をするより先に思わず食い付いてしまった。 「なんだよーそんなら早く言えよ」 俺はふふん、と鼻を鳴らして自慢げに机上にチラシを広げる。まるで宝の地図みたいに。 スマホの代わりにガラケー。ゲームの代わりにスーパーのチラシ。 それが俺のスタイルだった。今日も格安スーパーオカムラ屋のチラシに丸をつけて買う物をピックアップしてある。今日は卵の日だから授業が終わると同時にスタートダッシュを決める予定だ。 「あ、でもさ、これって一日前の日付じゃね? 今日の見なくていいのかよ隊長」 うっ、と言葉に詰まる。俺の家は新聞をとっていない。つまりチラシは配達されない。 チラシは近所のおばちゃんが見終わったものを譲ってもらっているので、どうしても一日遅れた情報になってしまう。もっとも、大抵のスーパーが二、三日分まとめてセール情報が掲載しているので深刻な問題ではないけれど、最新の安売り情報が見られないのは少し悔しい気がする。仕方のないことだから、と自分を納得させる俺に田中が「あ!」と声を上げた。 「そういやお母さんが言ってたんだけど、今ってウェブでチラシが見れるん だって。しかも他のスーパーと比較できたりするらしいぜ」 その言葉に俺の目がキラキラと輝く。 「まじか! なあ、ハルちょっとスマホで見せて」 「ん……これ?」 検索結果が表示されたハルのスマホを渡される。慣れない手つきで画面をスクロールするとオカムラ屋は勿論駅前のスーパー、学校から一番近い店まで出てきた。しかも、なんと常に底値だと思っていたオカムラ屋の卵より、駅前のスーパーで特売されている卵が十円安いという情報まで手に入れてしまった。 「ハル……ありがとう」 オカムラ屋より安い品物を置くスーパーを見つけて感極まる。ウェブチラシ万歳。 「よかったなナオ! これからは倉本に見せて貰ってそれメモって買い物すりゃいいじゃん!」 毎日のことだし流石に悪い、そう言いかけた俺の声をハルが遮る。 「いいよ。で、今日の飯なに?」 「お前そういうこというとモテないんだぞ知ってた?」 「そこは一緒に作ろう、なに買って帰ろうか、だよな!」 「わかった。なに買って帰る」 「へ」 「肉も安いってさっき書いてあったな。久々に肉食いてえ」 ハルと買い物に行くのは初めてだった。なんでも、倉本家では食品と日用品は宅配サービスを利用しているらしくスーパーに買い物に出ることは殆どないらしい。 目的の卵は無事ゲット。あれもこれもとはしゃぎながら数件回って、今日の夕飯は特売だった鶏むね肉でチキンカレーになった。カレーはバーベキューに続いてキャンプの定番でもある。つまり、誰が作ってもうまくなる、はずだった。 「カレーは俺に任せろって言ったじゃん! なんで全部半煮えなんだよ!」 近所のおばちゃんがチラシを渡しにきてくれて、目を離している隙にカレーも付け合わせの味噌汁もとんでもないことになっていた。ハルが「面白そうだから使ってみたい」と強引にカゴにいれた初見の野菜。紫キャベツが主役顔で鎮座している。そのうえ他の具材は明らかに煮込み時間が足りてない。 「……俺もなんでこうなったのかわかんねえ……気付いたころには手遅れだった」 魔女鍋みたいになっているカレーを見つめてハルがしゅんっとなる。そういえばハルが焼き魚以外を作ってくれたのは初めてだった。あんまりにへこむものだからいたたまれなくなって「取り敢えず食おうぜ!」と切り出す。今日の夕飯は鶏むね肉のカレー紫キャベツ入りと、紫キャベツとワカメと豆腐の味噌汁。カレーは野菜のシャクシャク触感がアクセント。味噌汁のキャベツとワカメの相性は最悪でもはや面白くなって笑いながら食べた。ハルは味噌汁が結構気に入ったとかでタッパーに入れて父ちゃん用に持って帰った。 「毎日ご飯作ってくれて本当にありがと。あ、はいこれ、今月の食費」 「どーいたしまして……って、こんなにかからねえよ」 母ちゃんから渡された金額を半分返そうとすると「いいから、いいから」と断られる。 「そんなことより、この紫キャベツの味噌汁おかわりしていい?」 「え!まじで!」 味噌汁は結局殆ど母ちゃんが食べた。 翌日、ハルの父ちゃんはどうだったって聞いたら「美味しいよ。こんなに美味しいんだな味噌汁とカレーって」と本当にうれしそうに完食してくれたという。息子の手料理がうれしいのか、もしくは単純に味が好みだったのか、それは聞かなくてもなんとなくわかる。 きっと俺の母ちゃんもそうだ。俺があの日から紫キャベツをみるとつい手を伸ばしちゃいそうになるのだって、たぶん、そうだ。 ハルがレシピ本を本屋で大量に買ってきたのはそれからすぐのことだった。 学校では「非の打ち所がない、無口で硬派なイケメン転校生」で密かな人気者のハルが自分の前ではレシピ本を片手に大根に火が通っているか何度も竹串で刺して確認している。 俺しか知らないハル、結構いいかも。なんて、ちょっとした優越感だ。 カレンダーはそろそろ十月も終わり、十一月になろうとしていた。
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