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後編 3球勝負
「おい、マル、聞いてるのか」
俺が過去を思い出しているうちに、いつの間にかマウンドに来た伴野ピッチングコーチが、俺を現実に戻す。
「ランナーが何人いようと、垂水をホームに返さなければいい。次の梅崎、歩かせて5番の土屋勝負。マルは土屋は抑えてるからな」
「わざわざランナーを2塁に進めてやるのは悪手でしょう」
セカンドの外山。
「梅崎と相性悪いちゅうのもあるけど、どっちみちマルの牽制と霜月の肩じゃ、俺でも盗塁できるわ。走り放題やもん。ランナーがセカンドに行くのは殆ど既定路線や」
鎌田さんがそう返す。
俺はまだ投手としては経験が浅く、球を投げる以外の部分が粗削りなのだ。
なんせ高校でも投手としての動きは投内連携が中心で、技術はあまり教えてもらっておらず、独立リーグに入ってからの2年間とセネターズに入ってからの1年間しかまともに牽制もクイックも練習していない。
玲奈もキャッチャーとしての経験は俺がピッチャーを始めてからだから似たようなものだ。玲奈は独立リーグでもセネターズでも貪欲に学んでいたとはいえ、肩の弱さは克服できた訳じゃない。
「鎌田さん、すみません……」
玲奈がそう小声で言う。
玲奈はプロに入ってから、負けん気や強気の姿勢を見せて食らいついていたが、自分の限界を感じざるを得ない壁に何度もぶち当たっていて、時々気弱になることが昔に比べて増えた。
正捕手の鎌田さんは盗塁阻止率が12球団で№1だ。
このシリーズ、シャークスと渡り合えているのも鎌田さんの力量が大きい。
そんな鎌田さんと女の自分を比べたら、それは自信を無くすだろう。
それに玲奈はわかっている。
ウチは大砲を下ろして俺と玲奈を送り込んでいる。
ここで追いつかれ、勢いが相手に移ったら、ウチが勝つ目は極めて小さくなるということを。
更に言えば、スコアリングポジションにランナーを置いて迎える梅崎は、これ以上なく恐ろしい相手だ。
同点どころか一振りで試合をひっくり返され、奈落の底に叩き落とされることだって昨日の試合のように十分以上に有り得る。
そんな重圧を、玲奈は今その華奢な体でひしひしと感じているんだ。
自信を無くした玲奈の姿を、俺は見たくない……
いや、玲奈の弱気な所を俺以外の人間に見せたくない!
「待って下さい、伴野コーチ。梅崎と勝負させて下さい」
俺は何故かそんなことを口走っていた。
「マル、お前、どうした?」
伴野コーチが不思議そうに言う。
思えば、伴野コーチの言う事に俺が反抗したことは一度も無い。
「梅崎は凄いバッターです。このまま行ったら球界の歴代通算のHR記録も塗り替えるでしょう。
名村監督の、歴代通算2位記録が塗り替えられるのは勿体ないと思いませんか」
俺の口から自分でも意味のわからない言葉が飛び出す。
伴野コーチはニヤッと笑い「マル、思ってもないこと言うな。理屈が通ってないぞ。本音はどうなんだ?」と俺の内心を見透かしたように聞き返す。
「……このまま、梅崎に負けたまま終われません。逃げたくないんです」
本音は少し違う。俺がじゃない。玲奈がだ。例えそう思っていてもチームの勝利を優先するべきだって玲奈は思って自重してる。或いは弱気になっている。
「その結果、日本一を逃してもか?」と伴野コーチが表情を変えずに言う。
「おい、マル! さっき俺が言ったこと忘れたんか? 一年最後の試合、負けて終わったら嬉しさ半減やて! めっちゃ悔い残るんやで?」鎌田さんが言う。
「鎌田さん。悔いって多分、あの時勝負を避けてれば、じゃないでしょう? あの時ああリードしたら抑えられた、でしょう?」
俺がそう言うと鎌田さんは、むー、という顔で考え込む。
玲奈以上に負けず嫌いの鎌田さんが、勝負を避けてとか考える筈がない。
絶対に相手を打ち取るための手順に間違いがなかったを考えて悩んでいる。
最もキャッチャーのリード通りにピッチャーが常に投げられるものでもないので、ピッチャーの投げミスを悔やんだりするのかも知れないが。
「わかった。なら勝負しろ」
伴野コーチはあっさりそう言った。
「コーチ、いいんですか……?」玲奈がおずおず聞き返す。
「監督の指示は、基本梅崎敬遠土屋勝負だが、他の奴じゃなくてマルが勝負を言い出したんならさせてやれ、ってことだ。超一流はこういう場面をねじ伏せて勝つ、ってな」
「いや、俺はそこまで「気概の話だ、監督が言ってるのは。気持ちが乗ったボールはなかなか打てない。どんな速い球でも気持ちが乗ってなければマシンが投げる球と一緒だ。それとも言い出しておいて自信はないのか?」
俺の言葉を遮り、伴野コーチはそう言った。
「マル、日本一とか関係なく、お前の思う大事なもののためにねじ伏せろ。お前ならやれる」
俺の利き腕の右肩をポンと叩き、伴野コーチはベンチに下がっていく。
「ほしたら、覚悟決めて守ったろか。マル、ベースカバー忘れんなよ」
鎌田さんが簡単に守備体形の確認をしたあと、野手陣もそれぞれのポジションに散っていく。
「玲奈」
俺はポジションに戻ろうとする玲奈を呼び止めた。
振り向く玲奈に言う。
「俺を強引にここまで連れてきたんだ。玲奈らしい強引さで梅崎の奴を叩き潰してやろう」
俺の言葉を聞いた玲奈のマスクで隠れた表情が、不安を孕んだものから強気になる。
「カズに言われなくても!」
言い返してくる玲奈、わかりやすい。
玲奈の眉毛は良く動く。
強気になるとつり上がる。
今はマスクに隠れていても強気につり上がっているのが俺にはわかる。
「3球勝負。完膚なきまでにねじ伏せよう。組み立ては玲奈にお任せで。ナムさん仕込みのリードで頼むよ。俺は玲奈が受けてくれないとピッチャーなんてやれない。
けど玲奈が受けてくれるんなら、玲奈が思ってる以上の球を投げ込むよ、もう玲奈でも打てないような球を」
「今日は言うじゃない、カズ。私を空振りさせたことないくせに」
ベンチ入りすれば名村監督の近くに座り、呟きに耳を傾け名村理論を吸収しようとしている玲奈。
他のピッチャーとは試合で組まないから、俺が投げる球でしか玲奈のキャッチャーとしての進歩は証明できない。
俺が打たれたら、玲奈が打たれたのと一緒だ。
伴野コーチがさっき言った、俺の大事に思うもの。
俺を引っ張って来た玲奈が、プロで通用する捕手になったって証明することだ。
玲奈を胴上げ捕手にしてやるんだ。
玲奈が続けて口を開く。
「打たれたらカズの球に気持ち入ってないせいだからね。昨日アイツホームランの前に何て言ってたと思う? 速くても棒球だって言ったのよ!」
「そっか」
「もう! 何でそこでいつものカズに戻るのよ! ……でも、さっき勝負を自分から言い出してくれたのは嬉しかったわ。私もチームの勝利のためなら敬遠も仕方ないって思ってたけど、それって弱気よね!
打たれたらカズのせい! 厳しいとこ要求するからちゃんと投げなさいよ!」
そう言うと玲奈はキャッチャーのポジションまで戻り、主審に声を掛けた後腰を落とし構える。
バッターボックスに入った梅崎を見る。
昨日打たれる前も思ったが、梅崎は俺じゃ何を考えているのか表情や仕草からは読めない。ただ気迫のこもった目でじっと俺を見つめて来る。
だが玲奈なら、何をその時に狙っているか、察してサインを出してくれるはずだ。
梅崎はいつも通り、右打席に立つと納得のいくまでガツガツと左足で地面を均す。
俺と玲奈より1歳上の梅崎は同じ県の先輩に当たる。
俺達が出場辞退した高2の夏の大会で優勝したのが梅崎率いる私大付属高校だった。
もし俺達が勝ち上がっていれば決勝で当たっていた。
梅崎のいた私大付属は、うちの県から久々にベスト4まで進出したが、原動力になったのは梅崎の投打に渡る活躍だった。
高卒ドラ2で福岡シャークスに入団し、プロ入り後は野手に転向。入団2年目から出場機会を得て、今では押しも押されもせぬ球界を代表する25歳の若き4番。
名村監督に睨まれたが、シリーズ開始前に一応相手ベンチに挨拶に行った時は気さくに挨拶をしてくれた、気のいい人なんだろう。
だけど今は倒すべき最強の敵だ。
この男を絶対に打ち取る。
主審の声がかかり、試合が再開される。
玲奈のサインは、ど真ん中、カーブ。
カーブは高校の頃から投げている球だ。
俺はランナーがいようといまいと常にセットポジションで投げる。
胸の前で組んだグラブの中でダミーで何度も握りを変えつつ1塁ランナーの垂水を肩越しに見る。
バッター勝負と決めている。
どうせ俺の牽制技術と玲奈の肩では走られるのはわかっている。
だからこそ玲奈はど真ん中を要求している。
あれこれ考えず、ただ玲奈のミットを見る。
何故か玲奈のミットに俺の投げるボールは吸い込まれるんだ。
ただ漫然とじゃなく、玲奈の期待以上の球を投げてやる。
俺は投球動作を起こし、手首だけ真横に捻る意識でボールをリリースした。
推進力に使う回転を、全て横回転に振り向ける。
横に回転するボールが山なりの軌道を描きながら玲奈のミットに吸い込まれる。
バッターの梅崎は微動だにせず見送った。
「ストライークッ!」
主審がジェスチャーと共にコールする。
この間に1塁ランナーの垂水は2塁に盗塁していた。
垂水の盗塁を助けるためにわざと見逃したのか?
それとも狙い球と違ってたのか?
いや、ゴチャゴチャ考えるのは止めよう。
玲奈のリードに、玲奈の期待以上の球で応える。
それだけに集中すればいい。
玲奈からの返球を受け取り、玲奈の出すサインを見る。
アウトコース低め、ストライクからボールになるスライダー。
俺のスライダーは、伴野コーチから独立リーグ時代に教えて貰った。
ストレートとカーブしか球種のなかった俺がスライダーを覚えたことによって、玲奈のリードの組み立ては広がった。
伴野コーチの現役時代と同じ「高速スライダー」。
伴野コーチも俺と同じように肩など体の関節が柔らかく、それ故に投げられたらしい。
球速はストレートより10km/h程遅いが、曲がり出しが遅く、曲がり幅は他の投手と変わらない。
セットポジションからセカンドランナーの垂水に目をやる。
玲奈が弱肩とはいえ、さすがにキャッチャーから距離の近い三塁への盗塁は無いだろう。
バッターの梅崎との勝負と決めているのに、そんなことを思うこと自体、集中していない。
玲奈のミットを見つめる。
小さなミットだが、俺にとっては限りなく大きく、どんな球もあのミットに吸い込まれるように収まる。
俺は左足を上げ、前に踏み出し腰を回転させる。
腕が後から遅れるように出て来る。
リリースの瞬間、ストレートよりも右手中指に力を入れボールを弾く。
俺の投げた球は、アウトコースやや中よりに向かうが途中で軌道を変え、ホームベースを舐めるように玲奈のミットへ。
そこに突然梅崎のバットスイングが割り込み、俺の投げた球をバットが捉える。
カキンッ
快音が響いたが、打球はシャークスファンが陣取る一塁側の観客席にライナーで飛び込むファール。
「ファールボールにご注意下さい」
場内にウグイス嬢のアナウンスが流れる。
かなり踏み込んで捉えられた。
ボールになるスライダーだったのでファールになったが、ストライクならフェアゾーンに打たれていたかも知れない。
だが、これで追い込んだ。
主審が玲奈に球を渡し、玲奈が俺に投げ返す。
自慢の主砲が早くも追い込まれた福岡シャークス。
ベンチの選手は全員身を乗り出し、或いは立ち上がり、メガホンを手に梅崎を激励する。
球場をぎっしりと埋めるシャークスの応援団と観客は、追い込まれたものの自分達の誇りが昨日の様に一撃で試合をひっくり返して日本一を掴み取ることを期待し、大声援を送る。
『ウ』・『メ』・『ザ』・『キ』・『ケンスケッ!』 タン・タタタン!
『ウ』・『メ』・『ザ』・『キ』・『ケンスケッ!』 タン・タタタン!
梅崎の名を呼び手拍子を叩くだけ、ただそれだけだが、4万人近い集団が全員一斉にそれをすると、音圧が塊の様に押し寄せてくる。
シャークスと対戦するチームはこの観客の圧力とも戦わなければならない。
第2戦ではあまり気にならなかったが、昨日の第6戦、満塁で梅崎を迎えた場面では、俺はともかく玲奈は圧倒されてしまっていたようだった。
最も俺が冷静でいられたのも、ついさっきまで感じていた場違い感で、現実味がなかったためでもある。
俺と玲奈は優勝の懸かった試合というのは独立リーグでも経験していたが、悲しいかな独立リーグの声援はまばらだから、ここまでの圧倒的な雰囲気と言うのは俺も玲奈も経験したことがなかった。
東京セネターズの応援団と観客も、負けじと声援を送っているが分母の数が違いすぎ、太鼓の音が辛うじて聞こえる程度にかき消されてしまう。
まるで球場全体がシャークスの逆転勝利を願っているかのように錯覚させる圧倒的な圧力がある。
でも、俺には関係ない。
俺に出来ること、それは玲奈のミットにただボールを投げ込むことだけだ。
ちらりと2塁の垂水に目をやり、変な動きをしていないことを確認し、一度深く息を吸い込む。
肺一杯に吸いこんだ空気をゆっくりゆっくりと吐き出す。
ふと玲奈を見ると、玲奈も一度立ち上がり、俺と同じように深呼吸をしている。
玲奈もこの球場の雰囲気に立ち向かっている。
俺が知っているいつもの強気な玲奈を取り戻している。
3球勝負。
俺はこの場面でどこに何の球種を投げるか、自分でもある程度決めていた。
玲奈のサインと違っていても、俺はそこに投げるつもりでいる。
ただ、悲しいことに絶対に玲奈のミットに収まるように球は行くから、俺の意思なんて無いも同然なのだ。
俺の意思で変えられるのは球種と球速だけ。
そして玲奈の出すサインを確認する。
玲奈の出したサインは、寸分違わず俺が投げたいと思っていた球種とコースだ。
この場面で玲奈と俺の考えが一致した。
あとは、玲奈の期待以上の球を玲奈のミットに投げ込むだけだ!
そう思っていると梅崎が一度タイムをかけ、打席を外す。
梅崎も大きく深呼吸をし、打席に入ると入念に左足の着地点付近を削り、均す。
梅崎程のバッターでも緊張している。
多分タイムを掛けたのは俺の気を外し、自分の呼吸に持っていきたいのだろう。
だが、玲奈と俺の考えが一致している今、俺は全く気にならない。
どんなタイミングだろうと、ただ、玲奈のミットに球を投げ込めばいいのだ。
主審の声がかかり、俺はセットポジションを取る。
頭の中で登板前に伴野ピッチングコーチが掛けてくれた言葉を反芻する。
『マル、お前の投球フォームは霜月に投げる時はほぼ完成してる。あとは手首の使い方。お前の手首は柔らかいし強い。それを最大限生かせば、誰もお前の球は打てない』
その言葉を信じ、俺はゆっくりと投球動作を起こす。
俺は左足を上げ、思い切り前にスライドさせて両足を付き腰を回す。
腰の回転に伴い肩、上腕、前腕と下半身の力が伝わり、しなるように前に押し出す。
そしてリリースの瞬間、いつもよりほんの少しだけ球を放すのを我慢し、最後に手首を思い切り返し、縫い目に掛かった人差し指と中指で球に強烈な縦回転を与えて放してやる。
俺の全力のストレート、狙ったコースはインコース高目。
さっきアウトロー低め、ギリギリボールになるスライダーに手を出した梅崎の意識の中に半分程度はさっきの残像が残っているだろう。
いくら来た球を打つ天才タイプのバッターでも、ほんの僅かの始動の遅れで手が出ないコースだ。
しかし梅崎はそのコースを待っていたかのようにドンピシャで始動した。
バットを振り回さず腰の回転に合わせて腕を畳んで回し、自分の体の前で球を捉えるタイミング。
梅崎の鋭いスイング。バットにボールが当たった。
しかし、梅崎のバットの上ッ面に当たったボールは僅かに軌道を変えたファールチップ。
そして、まるで判っていたかのように投球と同時に中腰になって構えた玲奈のミットに吸い込まれた。
「ットライーク、バッターアウト!」
「おおっしゃおら――――――っ!」
俺は、生まれて初めてかも知れない雄叫びをあげ、右手を前に突き出した。
主審が続けてゲームセットと言いかけた時には既に、玲奈はマスクを脱ぎ捨て俺に向かって走り出してくる。
玲奈は走りながら尻のポケットに最後に自分がキャッチしたウイニングボールを捻じ込んでいる。
ちゃっかりしてるな。
俺が心の中で思うと同時に、玲奈がプロテクターを着けたまま、俺に向かって飛び込んで来た。
俺は玲奈の華奢な体を抱きしめる。
「凄いじゃん、カズ! 最後の球、私の要求以上だった! やっぱりカズは私が見込んだ通り、凄いんだよ!」
玲奈は俺に抱き着き、俺の胸に顔を埋めたまま、涙声で湿っぽく熱い呼吸で話しかける。
俺の心臓は、ただでさえ勝利で興奮しているのに、更にドキドキ脈打った。
俺は玲奈に言葉を返そうとしたが、鎌田さんや池端さん、外山らが次々に俺と玲奈に飛びつき、もみくちゃにされる。
「やったな、マル! ありがとな!」
「おいおい、育成上がりが大仕事やり過ぎだろ!」
そんなもみくちゃの輪の中で鎌田さんが
「よーやった、マル、霜月! 最後の球、梅崎のバットがボールの下くぐっとったぞ! どんだけ伸びたんや! ホンマようやった! ……でも独身の奴らがいる前でイチャつくのはチームリーダーとして許さんぞ!」と笑顔で言う。
「ハイ……すいません」
と返すのが精一杯だった。
ベンチを見ると、名村監督が満面の笑みで端神ヘッド、伴野コーチ等にエスコートされてマウンドまでのそりのそりと来る。
名村監督にとっても最強の古巣を倒しての、初の日本一だ。
感慨深いものがあるだろう。
玲奈は名村監督に駆け寄る。
「監督、有難うございました! 私とカズを信用して下さったおかげです! 監督の信用に応えられました!」
玲奈は尻のポケットからウイニングボールを取り出すと、名村監督に手渡した。
「おう、ありがとな。霜月も女子の華奢な体で、ようやったな」
名村監督はウイニングボールを受け取ると、孫にするように玲奈の頭をそっと撫でた。
そして俺に向かって言った。
「ワシャこう見えても忙しい人間なんや。このオフはお前らのお陰でえらく忙しくなるのが決まって嬉しい悲鳴や。ワシに仲人やって欲しかったら、早めに言えよ。何とかスケジュール空けたるわ」
「カズと結婚なんて、まだ早いです! まだ監督には色々教えて貰うことが一杯ありますから!」
玲奈が監督の後ろを付いて行き即座に否定する。
俺の後ろから誰かが肩に手を置く。
振り向くと伴野コーチだった。
「マル、お前まだまだ頑張らないといけないな」
笑いを無理に噛み殺したような、何とも言えない表情を作りながら俺に言葉をかける伴野コーチ。
「霜月が俺にだけお前のこと相談してきたことあるが、聞きたいか?」
ピッチングのコーチングとは違って勿体ぶった言い方をする。
気にならない訳が無い。
「聞きたいです」
「……なら、来年1年シーズン通して活躍したら教えてやるよ。じゃ、監督の胴上げするか」
「……はい」
俺も胴上げの輪に加わった。
監督を胴上げしながら少し冷静になって考える。
玲奈に抱き着かれてドキッとしたし、監督や鎌田さんにからかい半分で言われたことで舞い上がったけど、ようやくプロとしての舞台に俺も玲奈も立てたばかりだ。
玲奈にとってもまだまだ通過点だろう。
玲奈に連れてきて貰ったプロの世界。
来年も活躍してようやく胸を張ってプロって言えるんじゃないだろうか。
とことんまで玲奈に付き合ってやろう。
玲奈が満足するその日まで。
俺の球はあいつしか受けられない。 おしまい
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