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「武士さんはなんでここに?」
「中央から町に戻る途中なんだよ。昼休みも兼ねてるしな。」
「へぇ」
外気をシャットアウトした車内はそれはそれは快適だった。身動きの取れないコートとマフラー、帽子までとってシートに深く体を預ける。何より、隣に感じる武士さんの気配が嬉しい。
武士さんは郵便局員が一年で最も嫌う年末年始の大仕事のおかげで、軽く半月は顔を見ていなかった。思えば1ヶ月前、ただてさえ町の仕事で忙しいのに、中央郵便局への出張を命じられた時のあの顔は忘れられない。「死んだと思ってくれ」と捨て台詞を残して旅立つ後ろ姿は、戦地に赴く戦士というよりはむしろ、売られていく子牛を連想させた。
そんな、久しぶりに見た武士さんの顔色はやはり酷いもので。
「仕事忙しいんですか?」
「まぁ…な。」
しまった、地雷だったか。
一瞬そう懸念したが、彼もここ1ヶ月のストレスを発散したかったようで、堰をきったかのように語り始めた。無茶苦茶な就業時間、バイト生の無断欠勤、自分のミスへの自己嫌悪。社会人って大変だ。
武士さんに負けじと俺も呼吸の合間に近況報告をする。近況、といってもこの時期は入試の事しか考えきれなくて、受験勉強の進度や学校の友人達の進路…そこから担任の話に発展した。一言その名前を出せば、案の定武士さんは苦笑をもらす。
「なんであんなに嫌われたかな」
「ゴールデンコンビとか呼ばれてたのにね。」
「そのあだ名はやめろ。嫌がらせだ。」
「なんでですか?未だに部の伝説になってますよ。北野・小倉のダブルス」
実は武士さんとウチの担任はウチの学校の出身で、しかも俺がマネージャーをしているバドミントン部の伝説のダブルスなのだ。当時の事は知らないが、とにかくめちゃくちゃ強かったらしく、全国大会準優勝の輝かしい成績を持つ。…が、何度も言ってるように、仲はあんまり良くなかったみたいだ。武士さんはともかく、先生は武士さんがが苦手、どころか嫌いと公言している。
「昼飯もよく一緒に食ってたんだけどなぁ。同じ女子好きになったし」
「それって仲悪くなりません?」
「いや、2人仲良くフラれたから。【2人の絆を壊すわけにはいかないわ】だって。ウケる」
笑えねーよ!とツッこむ若かりし担任の叫びが聞こえてくる気がした。
「先生はさ、武士さんの【なんでもわかってるぞー】みたいな雰囲気が嫌なんだって」
「なんだそりゃ」
バンドルを叩いて爆笑する武士を見ながら、俺は少し首を傾げた。武士さんには悪いけど、先生の気持ち俺ちょっとわかる気がする。底抜けに明るくて包容力があって…年上ならこれほど頼りになる人はいないけど、同級生にこんな男前兄貴がいたら辛いだろうな、というか。
香の陰に隠れていた自分と被る、なんていったら担任は絶対確実に怒るだろうな。
その後、しばらく車内は無言になった。流れてくるラジオからは流行りのポップスに混じって、ゲスト歌手の過ごしたこの一年だとか、リスナー達が考える今年一番のイベントだとか、そんな年末らしい情報が流れてくる。
沈黙は嫌いじゃない。特に、この人の側だったら。
「武士さん」
「ん?」
「白大、の模試受けました。A判定だって」
「…へー」
興味なさげな返事に勇気づけられる。ハンドル横の暖房に手をかざしながら視線を窓の外へ向ける。曇ったガラスの向こうから見える空の色はどんより鈍い灰色で、今にも雨だか雪だかが降りだしそうだ。まぁ、いくら寒くてもこの中心街辺りはそうそう雪も降らない。同じ県内とはいえ、山に囲まれた我が町と一緒にしちゃいけないのだ。
…と、そういえば。連想され視界を埋めたのは、少し前に見たとある東京の高校だった。葉介達に案内されたのはまだ本格的な冬になる前だったが、意外と自然の多い環境に驚いたものだ。中高大が隣接できるような、とにかく広大な敷地面積を確保するためにはある程度市街地から離れた土地じゃないと厳しいんだろう、とは秋田の台詞だったような。
「西大も受けたって言ったらビックリします?」
「するするー」
「…ビックリしてないじゃないですか」
「まだ言ってねえだろ。で、判定は?」
「…C。でも別に受けないから良いんだけどね」
「受ければ、っていうか受けろ」
思いの外強い口調で言われた台詞に驚いて運転席に顔と体を向けた。と、同時に頭上に強い衝撃が加わり、一瞬目の前が真っ白になる。
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