協奏曲は始まらない

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次の日の朝、ビルがひしめき合う大通りを通って店につく。開店準備をし朝礼を終えたら一日が始まった。 私はスタイリストを目指してがむしゃらに働いていた。拘束時間が長い割に給料は安い。それでいて足腰は痛むし、肌はカラー剤でいくら皮膚科に行ったり、高級クリームでスキンケアをしても荒れたままだった。 しかし疲労はあるが全く苦ではなく楽しかった。自分の手でお客様の魅力をより一層引き立てるこの仕事が大好きだった。 夜七時頃。あと一時間で客入りが終わるというところで、気を引き締めてラストスパートをかけていたときだった。 お客様が一人入ってくる。 この店のトップスタイリストの横峰が敬語をやめ気軽な口調でそのお客様に「いらっしゃい、久しぶり」と声をかけていた。恐らく友人なのだろう。 私は別のお客様のカラーリングをしていた。カラー剤を作って塗ってを繰り返し通路を行き来していた。気のせいだろうか、その度横峰と軽口で話すお客様から視線を感じた。 「あの子ってなんて名前?」 横峰と仲の良いお客様から発せられた。 「あの子って?先月入ってきた恵ちゃんのことかな」 横峰は穏やかな口調で返答する。 「恵って、高橋恵?」 「そうだけど」 横峰がそう返事するとお客様はそこから黙り込んでしまう。左側のひとつ席を空けたお客様は横峰との談笑をやめて、横目で私を再び見たあと固まっているようだった。 そしてシャンプーの準備をしにお客様の後ろを通り過ぎようとしたときに腕を掴まれた。 「僕、中村奏太。高橋、覚えてる?」 見つめられたその瞳は見覚えのある、くっきり二重の切れ長の瞳。昔は前髪に隠れてよく見えなかったけれど。 「Ricoの向かい側のカフェで待ってる。仕事終わったらきて」 懐かしい声に胸の奥底から名前の付けられない感情が沸き立っていた。
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