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「……俺はお前に名前呼びを許可した覚えはないが」
「そんなこと言うなよ! 俺と美冬の仲じゃん!」
決して褒められているわけでもないのに葵はアーモンド形の大きな目を嬉しそうに細めた。
(胸がきりきりする)
雪也はぎゅっと胸の辺りを握りしめた。
「そんな仲になった覚えはない。……それに、何故俺がお前をいつまでも探さねばならない」
失踪した当初は誰も代わりがいなかったから、必死で探した。
しかし、松永は雪也と出会った。雪也は葵の代わりを演じたわけではなかったが、葵以上のものを残した。
だから、松永は葵を切り捨てたし、雪也を手元に置いたのだ。
「な、んで…….なんでそんなこと言うんだよ! 俺が一番可愛いのに! 俺が一番美冬のことわかってるのに! 美冬が……美冬が俺のこと構ってくれないから……っ」
錯乱したように葵が何かを喚き散らしているのが、憐れだった。
松永はけして葵に甘かったわけでもなかったし、今の松永の心が雪也にあるのはスタッフの誰もが理解していた。
それを、葵だけが理解しない。
その憐れみに、誰もが気を取られた。
「美冬の、わからずや!」
葵が体ごと松永に体当たりする。
そして、時が一瞬止まった。
「え……?」
声に出したのは、果たして誰だったのか。
ぽたり、と赤い染みが、床に円になって落ちた。
続けざまにぽたりぽたりと、円に重なるような赤が広がっていく。
「ぐ、……」
「社長?!」
スタッフが数人がかりで葵を羽交い締めにして松永から引き離した。
その手から取り上げられたナイフが、真っ赤に濡れそぼっている。
「救急車を!」
坂本が声を荒げてスタッフに指示を出す。
設備のタオルや服をかき集めて、倒れた松永の腹に坂本がぎゅうぎゅうと巻きつけた。
「……っ、まつ、なが、さ……?」
ふらついた雪也を水森が支える。
紙袋が、床にかしゃん、と落下した。
今にも頽れそうな足を叱咤する。雪也はその場に立ち尽くすしかなかった。
「雪也落ち着いて! 大丈夫、大丈夫だから!」
その間も松永の体は赤く染まっていく。
荒い呼吸で、松永の胸は激しく上下していた。
「ゆ、き、……や」
眉を歪めて、額に汗を浮かべた松永と、雪也の目が合う。
背中に電流が走ったような衝撃を受けた。
そして雪也は、その場から、逃げ出した。
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