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通されたのはパネルで区切られただけのこじんまりとしたスペース。
その向こうでは活気を取り戻した社員たちの声が漏れ聞こえている。
「ユキくんは社長の大切な人なんだよね?」
「え?」
二人きりになるなり水森はきらきらした笑顔で雪也に問いかけた。
「ねえねえ、どんな風に社長を口説いたの? いいな〜僕もかっこいい彼氏が欲しいな〜」
「えっ? ええ〜?」
「でも、僕バリネコなんだけど、どっちかっていうと攻めたいタイプだから難しくてさ〜ってあれ? ユキくん? 僕喋りすぎ?」
引いちゃった?
水森の立て続けのトークについていけずに思わずおろおろと動揺してしまう。
雪也はあまり人と長く会話することに慣れていなかった。早口で捲し立てられる経験が不足しているため、言葉を理解するのに必死だ。
雪也は眉を下げて、水森に謝罪した。
「あの、あんまりいっぺんは難しいかも……」
「そっかそっか、ごめんね。僕おしゃべりってよく注意されちゃうんだ。気をつけるね」
「うん、あの、ね……お話しありがとう」
雪也は水森の気遣いが嬉しくて自然と笑顔になった。
一瞬固まった水森が、まじまじと雪也の顔を見つめる。
「これが社長を落とした笑顔か……破壊力すごい。でも、やっと笑ったね」
「え?」
「なんか辛いことでもあった? 相談くらいなら乗るよ?」
水森にソファーを勧められて、頭を撫でられる。
松永とは違った感覚に、雪也は戸惑った。
水森が優しく目を細める。顔は幼いが、こういう仕草をすると途端に年上だと思わせてくるのがずるい。
雪也は観念して小さく口を開いた。
「松永さんが、俺に求めてるものが、わかんなくて」
「うん」
「俺、毎日松永さんのために、セックスするつもりだった。けど、それは仕事じゃないし必要ないって」
「……大事にされてるんだね」
「……そうなの、かな、ぁ?」
何故だか水森の前ではすらすらと想いが出る。
そばにいればそれでいいと言われて嬉しかった。
松永に、大切だと言われた。
でも松永は、雪也にセックスを求めなかった。
セックスをすることは、あの部屋から出た雪也に残された、松永を幸せにする唯一の方法で。
それを拒まれて、雪也は途方に暮れていた。
混乱する思考では、嬉しいも悲しいも上手に処理出来ない。
松永は、雪也の存在を肯定してくれたのではなかったのか。
なのに、セックスをしないでいい、だなんて。
その現実が、雪也の脳内と感情を掻き乱す。
「ユキくんはさ、セックスすき?」
「……考えたこともなかったぁ」
雪也にとってセックスは好き嫌いで判断できるものではなかった。言うなれば義務。
雪也はセックスが好きなわけではない。
雪也にとってセックスは、ただの労働に過ぎなかった。
だからこそ雪也は、松永のそばにいることを、セックスも込みで考えていたのだ。
雪也の存在意義は、セックスをすることによって達成する。今までずっとそうだった。
あの場所から逃げても、松永に拾ってもらっても、それは覆せない現実だと思っていた。
逃げてなお、雪也が松永のために存在しているのは事実で、松永のためにセックスすることこそが、雪也の存在意義なのは変わらない。
「僕はね、セックスが好き。だから仕事にしてるし、仕事だから気分じゃなくてもセックスしなきゃいけないこともある」
真剣な顔になった水森が、雪也の隣に移動する。
雪也は水森の言いたい意味が理解できずに、それでも理解しようと、その瞳を見つめ返した。
水森は雪也にも伝わるように、殊更ゆっくりと言葉を紡いだ。
「そりゃあみんな、僕みたいに好きなことを仕事にしてるわけじゃないよ。したくなくても仕事だからセックスする、なんて世の中にはゴロゴロ転がってる。でもさ、プライベートまでセックスしなきゃいけないってことはないって、絶対」
「でも……っ」
だって雪也は、松永のためにセックスするのであれば、好きじゃなくてもいくらでも耐えられた。
そばにいられなくても。
あの牢獄のような場所から一生出られなくても。
それが、松永のためだったから。
水森は雪也の手を握ることで、その続きを遮った。
「ユキくんは、セックスしたいの?」
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