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世界と後悔
初めて撮影を行ってから早二ヶ月。雪也は松永の元で何本ものビデオを撮影した。
松永の話では、他の提携会社からも、あの男優を貸して欲しいだなどと電話がひっきりなしに入り、雪也はその界隈で一時期時の人となってしまったとのことだった。
まだ本番、と呼ばれるセックスはしていないが、オナニービデオと玩具を使った絡みの撮影は何本もした。
フォーシーズンは所属タレントを他の会社の撮影に貸し出すサービスも行なっていたが、松永は自分の会社のスタジオで自分が同伴でないと雪也の撮影を行わなかった。
それは、奇しくも嬉しくもあり、切ない感情を雪也に抱かせる。
松永のために身を捧げられる喜びと、男優でない松永に抱かれることはない、という落胆。
雪也はセックスが好きではない。
しかしそれは、相手が松永でない、という条件のもとにおいて発生する感想であった。
松永に夜伽を断られた日。
雪也は自分の中に生まれた相反する感情に戸惑いを覚えた。
そして、理解した。
ああ、自分は、この男になら抱かれたかったのだ、と。
存在証明として義務的に行なってきた行為。
不要だと切り捨てた松永。
今まで盲目的に松永を慕ってきた心に芽生えた、一つの欲求。
松永に、愛されたい。
松永と暮らし、松永のためだけの座敷童でいると決めたあの日から、雪也の心は幸せで満たされている。
だから、これ以上を求めるのは、わがままだ。
松永とて、いつまでも雪也を傍に置いてくれるかわからない。
だったら、今、自分に出来る最大限の幸せを松永に与えよう。
だから、自分は、松永でない男に抱かれるのだ。
それが、自分の幸せなのだ。
雪也はそっとその心に蓋をした。
「雪也」
「なに?」
松永からの問いに、考えに耽っていた雪也は咄嗟に反応することが出来なかった。
「今日、外に出てみないか?」
日常となった朝のテーブル。
出会った日以来、松永のマンションに住み込み、撮影のない日はマンションの中で過ごすことが常となった今日。
雪也のために松永が雇った家政婦が出入りする以外、雪也の世界は松永と、松永の会社のスタッフで出来ていた。
松永はいくつか会社を経営しており、毎日忙しそうに家を出ていく。
松永がいない間の外出は禁じられていないが、外に出るなど考えたことがなかった。
雪也がすべきことは、いかにいやらしく雄を誘うかということだけなのだから。
それは、この家と、フォーシーズンにいなければ出来ないことだった。
雪也はこの家から出てはならない。
それをしてしまったら、きっとこの幸せの終わりを意味する。
「……んーん。家にいる」
「……俺と出かけるのは嫌か?」
どこかショックを受けたような顔で松永が呆然と呟きのような問いを漏らした。
松永と一緒にいられるなら、と心が動きかけるが、あの場所から逃げて来ている雪也が外に出る、ということは、それなりのリスクを伴うものだった。
「そうじゃ……ないけどぉ〜……」
故に渋ることになる。
「……であれば、俺以外と近場に行くならどうだ?」
「……あんまり、遠くじゃなければ」
この家の近くなら大丈夫だろうか。安易に答えた雪也に、松永は眉を顰めてため息を吐いた。
機嫌を損ねたことがわかり、雪也は理由もわからずに体を硬くした。
「いや、怒っているわけでは……わけではないが、うーん」
言い淀む松永に首を傾げて、雪也はマグカップのコーヒーを飲んだ。
そして雪也は、この家に来て初めて外出することとなった。
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