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水森の買い物は順調に進み、手に持つのが億劫になった頃合いで水森はほとんどを配達に回した。
ランチを食べつつ見回ったため、すでに空は赤くなっている。
二人は帰路に着くことにした。
家に帰るまでが遠足である。水森は雪也を松永邸まで送り届けるために元来た道を先導した。
「楽しかったね〜」
「うん!」
手にぶら下げた紙袋をさっと胸に抱きしめる。
雪也がはじめての外出の記念に松永にと購入したお土産だった。
気に入ってくれるかわからない。でもこれだけは感謝の気持ちとともにその手で渡したくて、雪也はこれだけは配達に回さなかったのだ。
商店街を出て、公園に差し掛かった時。
滑るようにやってきた黒い車が、すぐ横で停車した。
水森が足を止める。
釣られて足を止めた雪也は、車から降りてきた人物を見て、目を見張った。
「こんなところにいたのか」
「せん、せ……」
松永を彷彿とさせる黒髪のオールバック。
歳を重ねて皺を刻んでなお整った端正な顔立ち。
嫌味なほどグレーのスーツが似合う男。
よく見知った気配に、雪也の全身が警鐘を鳴らして強張る。
「今までどこに……」
「あんた何?」
無遠慮に雪也の腕を掴もうと伸ばされた男の腕は、間に割り入った水森の手にはたき落とされた。
警戒心を露わにした水森が、男を睨む。
この場から一刻も早く立ち去りたい。
しかし、雪也の腕は守るように水森に掴まれていた。
その優しさが、今は、枷となって雪也を縛る。
「おや、……ああ、美冬様のところの」
「え?」
男の口から出た名前に水森が戸惑う。
余裕を得た男は水森に振り払われた手で額にかかった髪をかき上げた。
「であれば安心ですね。そのままで結構。せいぜい尽くしなさい」
それだけ言い放つと、男は車に乗ってこの場を立ち去った。
残されたのは、呆然とする水森と、恐怖に固まった、雪也。
震える両手を胸の前で固く握りしめる。
雪也は混乱していた。
有無を言わさず連れ帰られると思っていたのに、男が何も言わずに立ち去ったからだ。
雪也は一瞬自分がここにいる意味を見失った。
しかし、逃避しかけた雪也を、水森は逃がさない。
「ユキくん、どういうこと? 社長のこと、知ってて近付いたの? お金目当てだったの? それとも体?」
「ちが……っ」
雪也が松永に望むことなど何一つなかった。
あの出会いには一粒の打算もない。
水森は雪也の肩を掴んで自分の方に引き寄せた。
逃げそうになる体を押さえられ、首だけが下に俯く。
「じゃあさっきの人はなんなのさ!」
水森の追求が痛い。
松永の害になるものを許さない、という強い意思が、その目に宿っていた。
もう、隠しきれない。
「はなす、話すから……っ」
雪也は縋り付くように水森の腕を掴んで、震える唇を開いた。
「全部、全部……話すから、だから……っ、夜まで時間がほしい……」
真実を話すなら、最初に話すのは松永でなければならなかった。
誰に嘘を告げても、真実を隠しても。雪也は松永にだけは正直でありたかった。
かさり、と腕から紙袋が音を立てる。
松永は雪也にたくさんのものを与えてくれた。
その松永のために、これからもその傍らで、雪也の全てで尽くしたい。そのために、真実を話す。
これが最後の外出になってもいい。
真実を知って疎まれてもいい。
部屋の中で松永の幸せを祈るだけの生活でも良かった。
初めて雪也に外の世界を感じさせてくれた松永に、今できる最大限の感謝を。
「……わかった。社長と副社長と一緒に、話聞かせてね」
そっと自分を抱きしめる水森の腕を感じて、雪也はゆっくりと頷いた。
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