座敷童

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 なぜ、ここに、松永が、いる?  扉を背にして立つ松永の姿を目で捉えて、雪也はただ狼狽した。  あんなに欲しかった声が、今は痛い。  松永が、一歩雪也に近づいた。  雪也は、一歩ずり下がる。  そしてまた一歩。  一歩の攻防はすぐに終焉を迎えた。広くない部屋だ。雪也の背は、すぐに壁についてしまう。  松永のネクタイに、時計のモチーフのネクタイピン。  あの日、雪也が用意して、贈れなかったプレゼントだった。  身に付けてくれた嬉しさに、共にいられない悲しみが覆い被さる。 「お、れ」  雪也はやっとのことで言葉を絞り出した。  それきり、俯いて膝に顔を埋める。松永の顔を見てしまったら何も言えそうになかった。 「まつなが、さ」 「みふゆでいい」 「みふ、みふゆ、」  雪也は震える声でまた一つ名前を紡いだ。松永が雪也の前に膝をつく。そしてその頭を撫でた。  松永の部屋に戻ったみたいに錯覚する。  決壊したように涙が溢れて、もう駄目だった。 「おれ、お、れ……」  震える唇で、切望を口に乗せる。  顔を上げて見た松永は、何もかもを受け入れるような優しい目をしていた。 「もっと、淫乱に、するから、」  雪也の目から涙が滑り落ちる。  松永がその涙を指で拭った。 「だか、ら」  きゅうっと心臓が掴まれるような感覚を切り捨てて、雪也は松永を渇望した。 「おれを、抱いてください」  男たちに言わされたことはあっても、心から強請ったことのない思いだった。  何度松永の前で違う男に体を乱されても、決して口にしなかった言葉だった。 「だい、て」  松永は、雪也を抱きしめた。 「みふ、」 「淫乱でなくても構わない」  雪也は愕然とした。  淫乱でない自分になど、価値はないのだ。  淫乱でないと、愛されない。  松永の言葉を拒絶と採った雪也は、絶望に涙を流した。 「雪也」 「みふ、」 「今まで辛い思いをさせたな」  松永が何を言っているのかわからない。 「全部、わかっていた。おまえが、座敷童ってことも」 「な、んで……?」  苦々しい顔で言葉を紡ぐ松永。その腕の力は弛まない。  雪也は混乱した。 「美春がお前に出会った次の日、美春に告げられた座敷童について調べた。お前が住んでいた部屋に行こうとしたが、見つけることができなかった。そして知った。俺の弟が生きていたこと、ウリを強要されていること」 (なに、なにを、言ってるの?)  思考が追い付かない。  妹は、美春は、約束を守れなかった。  あの日のすぐ後、窓が塞がれたから、それは理解していた。  でも、松永も、知っていた?  そのままに松永は言葉を紡いだ。 「すぐに、助けてやりたかった。それでも、こんなに時間がかかってしまった」 (たすけた、かった? おれ、を?)  違う、助けたかったのは雪也の方だ。  松永の助けになりたくて、必死で男を受け入れた。 「あの日、お前を譲り受ける予定だった」 「あの、ひ……?」  松永は言った。  雪也がホテルから逃げた日、松永は父親から雪也を引き取る気でいた。  しかし、撮影が立て込んだ上、葵の失踪事件があってそれどころではなくなったのだ、と。  父親に連絡を付けた松永は、翌日の夜に雪也を貰うはずだったのだ。 「だけどお前、逃げたじゃないか」 「!」  雪也はひゅっと息を吸い込んだ。  松永は自分を貰いに来たのに、自分は逃げてしまったのだ。  そしてお互いにそれを知らずに、偶然、出会った。
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