大切な人 3

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大切な人 3

「駿、いつまで納戸の掃除をしているの? そろそろ想くんたちが着く時間じゃないの?」 「ちょっ! ひでーな! 母さんがしろっていったのに」 「ふふっ、ごめんごめん。お客様が来るから綺麗にしたかったのよ。お陰でスッキリしたわ。ありがとうね!」 「どうせ部屋に転がっている荷物を納戸にしまい込むためだろ。あーあ、普段からもっと部屋を片付けた方がいいよ」 「あら?」    母さんが突然手を伸ばしてきたので、一歩退いてしまった。   「な、なんだよ?」 「髪が埃まみれじゃない。ちょっと来なさい。取ってあげるから」 「い、いいって! 想を迎えに行ってくるよ!」  いい年して母さんに触れられるのは照れ臭く、頭をブンブンと振り払った。  すると白い綿埃がふわふわと舞ったので笑った。  そのまま一目散に小径を駆け抜けて曲がり角に立った。  ここから先には、見渡す限り森林が続いている。  本当にここは横浜市内かと疑う程、自然豊かな土地だ。 『横浜市新緑区しろつめ草』という住所通り、足元にはクローバー畑が広がっているので、春から夏にかけては白い花を咲かせて綺麗なんだ。  都心へは直通電車で30分程度で出られるし、駅からも歩ける距離なのに、深い森に埋もれそうだ。  俺は断然海が好きだが、森が好きな人もいる。今日やってくる葉山さんのように。  風が吹く度に色づいた葉が、カサカサと乾いた音を立てて舞い降りてくる。  そろそろだな。   「あ、来た!」  くすんだ赤や黄色で溢れる世界に、青い車が真っ直ぐやってくる。  まるで『幸せの青い鳥』のようだな。    クリスマスの日に、想の部屋でおばさんから読み聞かせてもらった絵本の内容をふと思い出した。    …… 「まぁ駿くん、来てくれて嬉しいわ。ありがとう」 「おばさん、想は?」 「昨日の夕方からまた発作が出ちゃって。でも今はもう落ち着いているのよ」 「これ……今日終業式だったから、想の分の冬休みの宿題と荷物を持って帰ってきたんだ」 「ありがとう、重たかったでしょう」 「こんなの、へっちゃらだよ」  それより想の顔を一目でも見たかった。 「想に会ってくれる?」 「いいの?」 「もちろんよ。今温かいミルクティーをいれるわね。もし時間があったら一緒にクリスマスをしてくれる? 昨日のクリスマスイブはお父さんもいたのに……発作が出ちゃって何も出来なかったから」 「うん! じゃあ手洗いうがいをするね」    想の部屋の前で、俺は大きな声を出した。 「そう、あーそーぼ!」  放課後になれば、あちこちで聞こえる呼びかけだ。今日の想は、この言葉を聞きたいんじゃないかな? 「しゅん……しゅんなの?」  すぐにパタパタと足音がして扉が開いた。  パジャマ姿の想が裸足のままベッドから降りて出迎えてくれたんだ。  その光景に驚きと共に、嬉しさが込み上げてきた。 「想、駄目だよ。早くお布団に入らないと、おばさんに怒られちゃうよ!」 「でも……もう寝るの……飽きちゃった」  俺にだけ見せる、想の甘えた声が可愛かった。 「じゃあ、俺もベッドに入っていい?」 「駿が……?」 「えっと、ちゃんと靴下脱ぐから」 「くすっ、そんなことはどうでもいいんだよ。うれしくって」  ふたりで想のベッドに潜り込んだ。  想の温もりで暖まったベッドは、ぬくぬくと心地良かった。  想って、あたたかいんだな。 「あらあら、二人で何しているの?」 「あ……ごめんなさい、勝手に」    温かいミルクティーをお盆にのせたおばさんは怒ったりはせずに、目を細めてくれた。 「いいのよ。想、良かったわね。お友達とクリスマスを過ごせて」 「うん! お母さん、あのね、お願いがあるんだけど……昨日サンタさんにもらった本を、駿にも読んで欲しいな」 「いいわよ」  ……    それは『青い鳥』という絵本で、幼い兄妹が幸せを呼ぶと言われる「青い鳥」を探す物語だった。話の内容はもう朧気だが、おばさんの言葉だけは覚えている。 『本当の幸せって、いつも手の届く身近なところにあるのよ』  あの日から……俺は想が近くにいてくれるだけで幸せだ。  運転している想とフロントガラス越しに目が合うと、心から嬉しそうにニコッと微笑んでくれた。すぐに想のお母さんが助手席に乗っているのにも、気付いた。二人が並んでいるとホッとするな。ずっと小さい頃から見慣れた光景だからかな?  車が停止すると、後部座席から葉山さんとそのパートナーとお子さんが仲睦まじく降りてきた。  絵に描いたような仲良し家族のオーラが眩しくて、キラキラ輝いて見えた。  なるほど、これは想もおばさんも上機嫌なわけだ。この明るく楽しそうな人達とのドライブは、さぞかし楽しかっただろう。 「あれ? 駿……髪に埃がついているよ」  いち早く気付いてくれる想。  嬉しくて、つい俺も甘えてしまう。 「想、取ってくれよ~」 「うん! じっとしていてね」  って……ついつい二人だけの甘い雰囲気に突入しそうになり、ハッとして引き返したってわけさ!  さぁこの日だまりのような家族を、今日は森でおもてなしをしよう。  俺の青い鳥と一緒に!
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