絆 6

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絆 6

「想くん、今のうちに少し眠った方がいい。着いたらそれどころじゃなくなると思うから、休める時に休もう!」 「はい、そうします」  僕はブランケットを胸元までかけて、目を閉じた。  ちゃんと眠れるだろうか。  朝、ニュース速報を見てから、怒涛のごとく時が流れた。  お母さん、大丈夫かな。 「あっ……しまった」  お母さんに連絡もせずに飛行機に乗ったことを、今になって気付いた。  お父さんに『僕がお母さんを守る』と誓ったのに、なんてことを。  真っ青になると、若林さんに心配された。 「想くん、どうした? 眠れないのか、具合でも悪いのか」 「あの……実はカイロに行くこと、母に連絡するのを忘れていて」 「あぁ、それなら大丈夫だろう。駿くんに日本でのことは任せたのだろう。駿くんはすぐに想くんのお母さんに直に報告に行くと言っていたよ」 「駿がそんなことを」 「彼はいい人間だね。真っ直ぐで行動力もあって」 「はい、とても頼りになります」  僕は出国手続きをする前に、駿に全てを委ねた。 『僕の代わりに、どうかお母さんをのことを』 『想、心配するな。想がしたいことを俺がするよ』  早速実行してくれたのか。 「Wi-Fiがあるから機内でもメールは出来るよ」 「はい、してみますね」  僕は急いで、まずは母宛にメールを送った。 ……  お母さん、僕は今、カイロ行きの飛行機の中です。  何も言わずに飛び立ってごめんなさい。  お父さんの同僚の若林さんと、お父さんの入院先に向かいます。  お父さんが目を覚ましてくれると信じています。  お母さんのことは、すべて駿に頼んであります。  お母さん、どうか祈って下さい。  僕がお父さんを連れ戻して来られるように―― ****  祈りとも希望とも、取れる内容だった。 『一寸先は闇』というが、本当にその通りだ。  今日1日で僕の世界は、ひっくり返った。  この年齢になるまで、どんなに恵まれて育ってきたのか。  両親の愛情を一身に受けて、成長してきたのか。  そして駿に愛され、駿を愛し、満たされた日々なのか。  お父さんが3年後に帰国したらお母さんと駿と空港まで出迎え、一緒に帰国のお祝いをして、暫く一緒に暮らした後、僕は駿の家に引っ越そうとも考えていた。  夢物語のような日々を、ずっとずっと先の未来まで思い描いていた。  お父さんも同じだった。  お父さんだって、まさかこんなことになるなんて思っていなかったはずだ。  やっぱり切なくて切なくて、堪らないよ。  胸が苦しくてスマホを握りしめていると、そこに着信があった。  駿からだ。 「想、おばさんにメールしてくれてありがとう。喜んでいたよ。心配するな。ちゃんと想の行き先は伝えたし理解してもらっている。だから想は想がすべきことをやればいい。こっちは心配するな。暫く俺の母さんが一緒に過ごしてくれるから安心しろ。それより、あまり思い詰めるなよ。起きてしまったことは変えられない。だが未来はまだ何も決まっていない『一寸先は光』だ! さぁ少し休め」    良かった。お母さんをよく理解してくれている駿のお母さんが傍にいてくれるのなら安心だ。  そして駿、僕を励ましてくれてありがとう。  そうだね。 『一寸先は光』か……確かに。  今の僕は暗い闇に包まれているようだが、見えていないだけですぐ先には明るい光があるのかもしれない。『希望を持て、光になれ』と、駿が応援してくれている。  お父さんに呼びかけよう。  お父さんも今、闇の中にいるのだ。  歩みだせば、その光の中に身を置くことができるという希望に、僕はなりたい。  お父さんを苦しみの中から救う光になりたい。  僕はお父さんが大好きです。  今まで守ってもらった分、僕が動く。  僕にだって出来ることがあるはずだ。  自分を信じて―― 「駿、ありがとう。駿がいてくれるから頑張れる」 「想、無理だけはするな。何かあったらすぐに俺にコールしろ」 「うん、頼もしいよ」  ようやく眠れた。  そして目が覚めると、もう着陸態勢になっていた。 「想くん、着いたら入国ビザを取得して、すぐに病院に向かうよ。現地は治安が良くないから、俺から離れないで」 「はい、よろしくお願いします」 「お父さんはまだ意識が戻らないが、今、がんばってる。君の声を届けたい。一刻も早く」   ****  暗黒の世界は、迷路のようだった。  私を遠くから呼ぶ想の声、妻の声、駿くんの声……若林の声。  いろんな声がするのに、それを頼りに歩くが……どうやら道に迷ってしまったようだ。  ここは暗すぎる。せめて光があれば……  それにしても、やれやれ……足がかなり痛いな。    振り返ると、歩いて来た道に赤い印が点々と出来ていた。  あの道を戻れば、もう楽になれるのか。  痛みも苦しみもない、暑くも寒くもない、天上の世界へ。  そこに小さな足音が聞こえた。  暗闇に小さな影が横切ったので、慌てて呼び止めた。 「誰だ?」 「パパ? パパなの?」 「そ、想? 想じゃないか」  驚いたことに、幼い想がいた。 「パパも、まいごになっちゃったの?」  私の前にいる想は、まだ5歳くらいか。  酷い喘息の発作を繰り返し、高熱を出して苦しんでいた頃だ。 「あぁ、そうみたいだ。想もか」 「うん、たくさんお熱がでて辛くて、そうしたら、ここにいたの」 「えっ」 「あ、パパ、あそこに光がみえるよ。あそこにいこうよ」  想は、私が来た道を指さした。 「あそこにいけば、もうおせきも出ないし、お熱もでないんだって。パパもいっしょにいく?」  想が私の手を取って歩き出す。  その手があまりに冷たくて驚いた。  暗闇に目が慣れると……想が着ているパジャマにゾクっとした。    「想! 駄目だ! そっちは駄目だ。死んでしまう!」 「え……? 死んじゃうの?」   その緑と赤のチェックのパジャマは、クリスマスの夜に子供部屋で大発作を起こして生死を彷徨った時に、想が着ていたものだった。 「想、今すぐ、お父さんと帰ろう!」 「パパと? うん、パパとおでかけできるの? うれしい」  想の手をギュッとつかんで、私は痛む足を堪えながら、一歩一歩暗い道を進んだ。  地上の光を求めて――  
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