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「やっほー。来たよー」
応対に出てきたネグリジェ姿の詩音に、レジ袋を顔の高さに持ち上げて笑いかける。シーフード味のカップラーメン、チョコレート味のコーンフレーク、牛乳、アメリカンドッグ、キシリトールガム、イカリング、ポテトチップスうすしお味、卵サンド、ゼロカロリーコーラ。アメリカンドッグはコンビニで、それ以外はスーパーマーケットで調達した。
「ありがとうございます、コーメイさん。すみません、助かります」
さも恐縮したように頭を下げたが、顔から読みとれるのは好意を受けた喜び一色のみだ。
ベランダで寝こんでいるのを発見してから、今日で四日目。顔色はだいぶよくなったし、玄関まで歩いてこられるほど体力も回復したが、全快するまでにはもう少しかかりそうだ。二日目、熱が引いた嬉しさのあまり外出するという愚行を犯し、再び熱を出して寝こんでしまったせいで。
もっとも、その一件を大いに反省したようで、以降は大人しくしている。一日一回か二回の買い出し、ゴミ出し、洗濯物をコインランドリーで洗うなど、家事を代行してもらっているのを申しわけなく思い、手を煩わせる期間が長引くのを避けたい気持ちも作用しているようだ。あと二日も経てば、必ずや元気な詩音に会えるだろう。
「アメリカンドッグ、いい匂いですね! さっそく食べよっと」
「あれ? 朝食、昨日買ってなかったっけ。忘れちゃってたかな」
「もう食べましたよー。でも、なんか、早くも小腹が空いちゃって。不思議ですよね、部屋でごろごろしてるだけなのに。コーメイさんもいっしょに食べていきます?」
「いや、今日は遠慮する。これからひと仕事あるから」
「あっ、そうでしたね。この件に片がついたら、また四人で食事をしましょう。鍋を囲んだときみたいに」
「そうだね。四人でいっしょに」
なにを食べるかについて意見を出し合い、詩音の腹の虫が鳴いて、笑い声が重なった。それを潮にコーメイは203号室を辞した。
『そうだね。今度は、誰も死なずに決着してくれればいいんだけど』
そう言葉を返すつもりだったのだが、咄嗟に別のセリフに変更した。相手の言動に応じて、自らが発信する言葉を即興で最適化するテクニックは、説得屋をはじめてからずいぶんと上達した。
養生中の詩音に、ネガティブな言葉はかけたくなかった。
しかし、不吉な予感は拭い去れない。
無理もない。
なぜならば、山野レイは昨日、ホームセンターでロープを購入したのだから。
「……おかしいな」
コーメイはつぶやかずにはいられなかった。つぶやかないほうがどうかしている。
定刻の午後十時を十分が過ぎても、山野レイが山野家から出てこないのだ。
目を奪われるほど大きくはないが、目を惹くほどに大きくはある、住宅というよりは邸宅と呼びたくなる山野家。そこからほど近くにある、正面玄関と裏口、両方を見張れる電信柱の裏側。いつもどおり十五分前にその場所に来て、半時間待ったが、音沙汰がない。
首吊り自殺を決行したのかもしれない。
山野レイが昨日購入したものの詳細を把握しているコーメイとしては、その可能性をどうしても強く意識してしまう。
一方で、もう少し待てば出てくるはずだ、と信じたい気持ちもある。尾行を開始して以来、山野レイが外出しなかった日は一度もなかった、というのがその根拠だ。嫌な予感がしないといえば嘘になるが――。
「とりあえず、もうちょい待ってみるかな」
二つの出口に常に注意を払わなければならないため、スマートフォンで時間が潰せないのがつらいところだ。山野レイは幽霊のごとく、開閉音を立てずにドアから出入りするため、一秒たりとも油断はできない。人通りが少ない道とはいえ、通行人や近隣の住人からの目も気になる。
粘り強く待ち続けたが、やがて我慢の限界が訪れ、ジーンズのポケットからスマホを取り出す。山野ルルカは朝八時に出勤するという話だったから、今ごろは職場にいるはずだ。
「牧岡さん。どうされました?」
すんなり繋がった。声からは落ち着きが感じられ、尾行中に緊急事態が起きたからかけてきた可能性が念頭にあるようには、とても思えない。
「お仕事中のところ申しわけありません。ちょっと今、山野さんの自宅の前で待っているんですけど、レイくんが家から出てこないんですよ」
「あっ、そうなんですか?」
そうなんですよ、と応じ、今後の対応について意見を求める。山野ルルカが思案していた時間はさほど長くはなかった。
「それでは、あと一時間、十一時まで待ってもらえますか。その時間まで待っても出てこないようであれば、今日は帰っていただいて結構です」
「よろしいんですか?」
山野さんが帰宅するまで待ってもいいんですよ、というセリフが浮かんだが、口にはしない。体験してみるまでもなく、そんなにも長時間待つのは苦痛なのは明らかだからだ。
「はい、構いません。あの子もたまには、ずっと家にいたい気分のときもあると思うので」
自殺願望を持つ息子が普段とは違う行動をとったというのに、呑気すぎるんじゃないか。もう少し、我が子のことを心配してもいいだろうに。長時間の見張りを命じられなかったことをありがたく思う気持ちとは別に、そう思う。
息子さん、もしかしたら、山野さんが出勤したあとで首を吊ったんじゃないですか? 昨日、ホームセンターでロープを買っていましたよね。
そう言ってやろうかと思った。実際に行動に移そうとした。言葉は喉を通過しかかったが、
「分かりました。では、十一時まで待ってみます。お仕事中に失礼しました」
すんでのところで呑みこみ、通話を切った。
「……どうなっても知らないからな」
指定された時間を過ぎても、山野レイは姿を見せなかった。
帰宅が早いと詩音に心配されそうだったので、コーメイは街をぶらぶらと歩くことにした。一時間くらいならば、昼食に備えて胃袋の空き容量をより広げておくという意味でも、そうしたほうが望ましい。
やがて正午を回った。チェーンのカレー屋に入り、大盛りのカツカレーとコーンサラダとフライドポテトをたいらげた。エネルギーの補給を済ませたあとも引きつづき、あてどもなく街を逍遥する。
商店街を冷やかしていると、行く手から見知った顔がこちらへと歩いてきた。コーメイは立ち止まり、待ち構える態勢をとる。その人物は、得体の知れない巨大なものを胸に抱えている。
「泰助くん」
コーメイの目の前で足を止める、泰助は物体を抱き直して苦笑する。いやあ、困ったことになりました、とでも言うように。
「どうしたの、それ。拾ったの? それとも、誰かに貰った?」
「いえ、景品です。ゲームセンターのUFOキャッチャーでゲットしました。というか、ゲットしてしまいました」
物体の前後が百八十度転換したことで、ティラノサウルスのぬいぐるみだと判明した。デフォルメされたその顔は、愛嬌があるとも不細工だともつかない。
「大物だね。ゲームセンター、よく行くんだ?」
「単なる暇つぶしです。たまたま足を運んだゲーセンで、たまたま遊んだUFOキャッチャーで、たまたま大物をゲットした、という感じですかね」
泰助はぬいぐるみの顔を覗きこむように見て、一つ息を吐く。大きなぬいぐるみを持ち歩く羽目になっただけにしては、あまりにも陰気すぎるため息だ。
「娯楽が少ないですからね、この街は。だから、一人で遊びに行くとしたら、興味がないゲームセンターも選択肢に入ってくるわけです。まあ、僕が無趣味なのが悪いんですけど」
「泰助くん、どうしたの。今日はやけにネガティブだね」
「いつもどおりですよ。ところで、牧岡さんはなにをされているんですか」
「俺も暇なんだ。仕事をしていたんだけど、予想以上に早く終わってね。詩音ちゃんが風邪をひいて安静にしているから、隣でバタバタするのもどうかなー、と思って」
「ああ、そうだったんですか。でも、事務所なんだから、むしろいないといけないんじゃないですか」
「常識的にはそうだけど、うちは来客はめったにないから」
看病を求めて詩音が電話をした件を、泰助がどう思っているのかがコーメイは気になった。しかし、尋ねようと決心するよりも早く、彼は聞き捨てならない発言をした。
「風邪で思い出したんですけど、テーコちゃんは大丈夫なんでしょうか」
「……どういうこと?」
「先日テーコちゃんを見かけたんですけど、ちょっと調子が悪そうっていうか、顔色が冴えませんでしたよ。出歩いていたということは、体調というよりもメンタルのほうに問題があったんでしょうか」
「えっと、それはいつのことかな」
「何日前だったかな。天気雨が降った日の午後、って言ったら分かりますかね。空は晴れ渡っているのに小雨が降った日です」
コーメイは息を呑んだ。雨。その天候と関連があるというだけで、たまらなく嫌な予感がする。
話し相手の顔色の変化を見てとったらしく、泰助は口を噤んだ。コーメイは真剣極まる顔で言う。
「その話、詳しく聞かせて。立ち話もなんだから、どこか適当な店に入ろう」
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