説得屋

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「まさか、ちゃんこ鍋とはね」  口の中の豚ロース薄切り肉を嚥下してから、詩音は率直な感想を述べた。  テーブルの中央にカセットコンロが置かれ、しょうゆ味のスープと、種々の具材が入った鍋が火にかかっている。その周囲に並べられた、食材が満載されたボウルの数は大量で、限られたスペースを埋め尽くしている。 「第一希望と第二希望、電話で言ったじゃないですか。どちからかが出てくるんだろうなって思っていたら、まさかの第三の味っていう。あ、不満があるとか、そういうことじゃなくて」 「これにはわけがあってね」  コーメイは左手に掴んでいた陶製の深皿を、自らの顔の高さに掲げてみせる。まるで事情の深さはこの皿の深さと同程度だ、と言わんばかりに。 「最初は豆乳鍋にするつもりで、豆乳鍋の素をカゴに入れていたんだ。でも途中で、シメに雑炊を食べたいな、ってふと思ったわけ。雑炊ならやっぱりしょうゆ系かな、と」 「でも、豆乳鍋にも合いますよ、雑炊」 「えっ、そうかな」 「キムチ鍋にも合う」  テーコは最小限の言葉で援護射撃を行い、くたくたになった白菜の葉をふーふーしてから口に入れた。 「マジかぁ……。かっこ悪いところ見せちゃったなぁ、今年で三十五なのに」  年齢は関係ない、という目でテーコがコーメイを一瞥し、今度はもやしを五・六本まとめて箸でつかんだ。詩音は大きめの豆腐の塊を口に入れたが、熱さを過小評価していたらしく、咀嚼するのに苦戦している。コーメイは豚肉と椎茸をいっしょくたに掴んで口に運ぶ。 「まあ、あれだね。俺がその味を食べたかっただけだね。うん」 「お相撲さん御用達なんですもん。一般庶民が魅了されるのも無理はないですよ」 「それにしても、ちゃんこ鍋の定義ってなんなんだろうね。ブランド? ブランドかな」 「テーコちゃんは博識だから知ってるんじゃない?」 「知らない」 「じゃあまあ、ブランドということにして、俺たちは腹いっぱいになるまで鍋を味わいましょうか」 「いい感じにまとめましたね」 「まあね。歳をとると、そういうスキルが自ずと身につくといいますか」  鍋の中身がいくらか減り、舌も滑らかになってきたところで、インターフォンが鳴った。 「誰だろ」  スープをすするテーコは、訪問者に心当たりはなさそうで、応対に出る気もなさそうだ。詩音はなぜかにやにやしている。コーメイは首を傾げながら席を立ち、玄関へ。  依頼をこなして金が手に入ったばかりだから、詩音の買い物の支払いを全額肩代わりし、鍋を奢っても差し支えないくらいに懐は潤っている。現状、新規の客はもっとも避けたい訪問者だが――。 「あれっ」  ドアを開けると、泰助が立っていたので面食らった。その手に提げているのは、お馴染みの煉瓦色の工具箱。 「泰助くん、どうしたの。今から不具合の修理をしますって雰囲気だけど」 「どうしたの、じゃないですよ。壊れたのは牧岡さんの部屋のトイレでしょう」  むっとした顔での返答だ。 「いやいや、トイレなら至って快調だよ。故障する未来が見えないくらい。ていうか、泰助くんに連絡した覚えはないんだけど」 「呼んだのは辻さんです。牧岡さんの家のトイレがノアの大洪水みたいになっているから、至急駆けつけてくれって」  足音が急接近したかと思うと、背後に詩音が立っていた。写真に収めたくなるような満面の笑みを浮かべているのを見て、コーメイは悟った。 「詩音ちゃん。泰助くんにも鍋を食べてもらいたくて、呼んだんだね」 「はい、そのとおりです。というわけで、泰助さん、食べていってください」 「嫌ですよ。こっちはこっちで夕食をとるところなのに」  詩音に手首を掴まれた泰助は、露骨に顔をしかめた。 「鍋がかすむくらい豪華な食事なんだ。泰助くん、なにを食べるつもりなの」 「幕の内弁当です。コンビニで買った」 「だったら、鍋のほうがランクは上だね」 「そうかもしれないですけど、だってほら、お二人の邪魔をするのも悪いし」 「テーコちゃんもいっしょです。お鍋、テーコちゃんが作ったから、食べてあげると喜ぶと思いますよ。あっ、ていうか、泰助さんのために作ったって言ってましたよ。今思い出しました」 「思い出したんじゃなくて、口から出任せでしょう」  泰助はため息をつく。泰助が指摘したとおり、テーコはそんなことは一言も口にしていない。ハイツ浜屋の一室を借りているコーメイや詩音とは違って、テーコと泰助の関係性は薄い。  言葉で心変わりさせるのは難しいと見て、泰助の腕に腕を絡め、無理矢理引っ張り上げようとしている詩音を、コーメイは表情だけでやんわりとたしなめた。そして、泰助に笑いかける。 「泰助くんにはなにかと迷惑かけっぱなしだから、そのお礼ってことで、ぜひ食べていってよ。味は保障する。すごく美味しいから。断ると、テーコは泰助くんに嫌われたと思ってショックを受けちゃうかも――なんてね」 「……分かりました。住人と交流するのも大家の役目、ということで」 「おお、秒殺! 説得するの、むちゃくちゃ早いですね! さすがは説得屋さん!」 「まあね」  ぱちぱちと拍手をする詩音に、コーメイは下手くそなウィンクを飛ばした。 「姪御さんを利用しただけじゃないですか」  泰助はぶつぶつ言っているが、素直に靴を脱いで家に上がる。それもテクニックの一つだよ。得意げに心の中でつぶやき、二人の背中を押して応接室へ。 「ああ、テーコちゃん。久しぶりだね」  泰助はにこやかにほほ笑みかける。ソファに浅く腰かけ、右手に箸、左手に取り皿を持ったテーコは、親に挨拶を促された人見知りの幼児のように小さく頭を下げた。 「えっと、どこに座れば……」  応接セットは一脚のガラステーブルと三脚のソファで構成されている。一人がけの上座にコーメイが座り、向かい合う二人がけの二脚にテーコと詩音がそれぞれ腰を下ろす形だ。つまり、テーコの隣か詩音の隣かの二択。 「じゃあ、隣いいかな?」  五秒ほど迷って、泰助はテーコに声をかけた。テーコは先ほどと同じようなお辞儀をし、端にずれる。 「あー、ふられた! 呼んだのは私なのに! なんで私の隣じゃないの?」 「辻さんは騒がしそうなので、このくらいの距離感がちょうどいいかな、と」 「泰助さん、ひどい!」 「嘘をついて呼び出す辻さんのほうがひどいですよ」 「全然ひどくなんかないですよー。呼び出したおかげで鍋が食べられるんだから」  泰助はなにか言いかけてやめ、代わりにため息をついた。そして、何気なくといったふうにテーコの取り皿を覗きこむ。 「あ、糸こんにゃくが入ってる。豆腐は、木綿だね」 「糸こんにゃく、叔父さんがふたパックも買ったから。ノリで」 「ノリ、か。まあ、むちゃくちゃ大好き、みたいな食材ではないかもしれないね、こんにゃくは」 「泰助さんはなにが好き? 装ってあげます」 「いや、まだ食器が」 「じゃあ、箸で直接食べさせてあげます」 「やめてください。はしたないので」 「じゃあ、テーコちゃんにしてもらうのならいいんですか?」 「そういう問題じゃないですから」  コーメイが泰助のぶんの食器を届け、四人での食事がはじまった。  泰助は、コーメイからもっと積極的に食べるように勧められたり、詩音にお玉で取り皿に鍋の中身を装ってもらったりした。最初こそ遠慮がちだったが、場の雰囲気に順応すると、若い男性らしくよく食べた。なにかと騒々しい二人を敬遠したのか、最年少者を気づかったのか、テーコによく話しかけた。ただ、テーコが返す言葉は必要最小限だし、すぐに詩音が割りこむので、二人だけの会話はあまり長続きしない。 「こんな夢を見たの」  スーパーマーケットに買い物に行ったら、買い出しに不参加を表明したはずの詩音が立ち読みをしていた、という話をしていると、テーコが唐突に切り出した。コーメイと詩音がきょとんとしていると、泰助が小皿に伸ばそうとしていた箸を止め、 「夏目漱石の『夢十夜』という小説の書き出しですね。とても有名な」 「泰助さん、すごい。物知りですね」 「内容に詳しいわけではないんですけど、そういう作品があることは知っているので。テーコちゃんの話を聞きましょう」 「で、その夢というのが――」  テーコが見た夢というのは、広大な和風の屋敷から出たいのだが出口が見つからず、中を延々とさ迷っていたら、いつの間にか草原のような場所で鹿を撫でていた、というもの。  夢の中でテーコは、鹿を撫でてはいたが、かわいがるというよりは怖々と、といった感じの撫でかたをしていた。その状況が、小学五年生の修学旅行のときとまったく同じだったので、その経験がもとになった夢に違いない。スーパーマーケットで修学旅行の話が出たときに、夢のことを思い出したが、話す機会を逸したのでこの機会に話してみた。説明は以上だった。  他愛もないといえば他愛もない話だったが、読書を趣味とし、中学生になってからは自らの手でも散文を書きはじめたテーコの語り口には、引きこまれるものがあった。食い意地が張っているコーメイを除けば、箸を動かすのも忘れていたくらいだ。 「いいなー、旅行。修学旅行にはもう行けないから、行くとしたら自力しかないよね。行きたいなぁ。誰か連れて行ってくれないかなぁ」  旅行欲をかき立てられたらしく、詩音は率直な思いを口にした。語るべきことを語り終えたテーコは、知らん顔をして取り皿の中身に箸をつけている。それに気がついたらしく、泰助はテーコに倣った。 「候補地は、やっぱり京都?」  食事に専念する態勢に入った二人に代わって、コーメイが話し相手役を買って出た。 「そうですね。京都って、国内で旅行に行くならここ、っていう感じじゃないですか。この観光スポットに行きたいって言うよりは、とにかく京都に行きたいって感じですね。ニュアンス、分かりますか?」 「分かる、分かる。でも、スーパーではなんとか大社に行きたいって言っていた記憶が」 「伏見稲荷大社です、あれは、声をかけられたときに見ていたページが、たまたまそこだったんですよ。あっ、でも、生やつはしは食べたい! サイトで注文すれば家に届くよとか、そういう問題じゃないと思うんですよね」  コーメイは詩音の言葉にしきりに相槌を打ちながら、四人で過ごす時間に満足感を覚えていた。  こんな日常が続いてほしい、と願わずにはいられない。永遠に、だとか、死ぬまで、などと高望みをするつもりもない。せめてあと一か月のあいだ――毎日の食事に少しばかり金をかけても、家計が破綻しない程度の期間だけでも、なんの悩みも抱えることなく毎日楽しく過ごせたら、どんなに幸せだろう。 「よしっ! では、そろそろシメの雑炊にいきます!」  小学生のように元気よくソファから立ち上がって、コーメイははきはきと宣言した。 「すみません、たくさんいただいて」  泰助は恐縮している。 「まだ食べるんだ」  テーコは冷ややかに言う。叔父の健啖ぶりに呆れているというよりも、自分が満腹でこれ以上食べるのは難しい、という事実を踏まえての発言のようだ。 「いいですね、雑炊! うわー、すごく楽しみ!」  コーメイには及ばないものの、細身の体型の割には食が太い詩音は、胃袋にまだ余裕がありそうだ。  必要な材料をとりに、コーメイはキッチンまで行く。冷蔵庫のドアを開けようとしたところで、ジーンズのポケットの中でスマホが震えた。  山野ルルカからの電話だ。 「はい、説得屋です」 「夜分遅くすみません。山野です。先日はお世話になりました」 「こちらこそ。今日はどうされました?」 「実は、また依頼をしたいのですが」  たまらなく嫌な予感がして、コーメイは口を噤む。山野ルルカは静かに告げる。 「今度は、わたくしの息子が自殺したがっているのです」
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