買い物行ったら詰んだ件

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買い物行ったら詰んだ件

 その日の夕方、中学校から帰宅した池神彗斗(いけがみけいと)は洗面所に向かい、着けていた不織布マスクを外してゴミ箱に捨てると手を洗い、自室へ戻って教科書等で重い鞄と最近ハマっている鬼を滅する漫画のアクリルキーホルダーを付けた家の鍵を勉強机の上に置いた。  制服から私服に着替え、その上にダウンコートを羽織って机の上の鍵をつまんでダウンの右ポケットに突っ込むと、エアコンで快適な温度になっているリビングダイニングに移動した。  ダイニングテーブルには、キャンバス生地のシンプルな黒いエコバッグが置かれていたので、そのエコバッグを手に取り──エコバッグの外ポケットに入れられていた焦茶色のシンプルなパスケースに差し込まれたメモ紙に書かれた買い物リストを確認する。 (今日はかさばる系が多いな)  メモ紙には、いつも買ってる銘柄の1リットルの牛乳が1、プレーンタイプのヨーグルトが3、6枚切りの食パンが2、と書かれている。その下には横線が引かれ、今日の晩御飯として用意されている冷蔵庫の中の温めるもののリストが追記されていた。  普段は母親の美香が家でテレワークしているので在宅していたが、今日は月に一度ある出社しなくてはいけない日だったので、晩ご飯は作り置いたものをレンジでチンして食べることになっていた。  朝食時に「何か食べたいものがあれば買っても良いわよ」と言われていた事から、惣菜系の何かを追加するのを考えても、それなりの重さになるだろうと彗斗は考えながらメモ紙をパスケースに差し込み、それをエコバッグの外ポケットに入れて、キッチンカウンターの定位置で充電されているガラホを掴んでズボンの後ろポケットに突っ込んだ。 「あ。ゴミ出すの忘れるところだった……」  買い物と一緒にゴミ出しも頼まれていたので、彗斗は今日出すゴミをまとめてからエコバッグを右肩に掛けて左手にゴミを持つと、リビングで自分専用のオットマン付きのチェアに座って夕方のニュースを見ている祖母の肩をぽんと叩いた。  彗斗の帰宅に気付いていなかった祖母は少し驚きながら振り返り、彗斗に「おかえり」と言ったので、「ただいま」と返しつつ、「買い物に行ってくる」と伝えてから玄関先に置いてある不織布マスクの箱からマスクを取り出して装着し、彗斗は家を出た。 「寒っ」  玄関のドアを開けると、帰宅時は日が沈む直前だったのでまだ太陽の気配があったのにもう真っ暗になっていた。  彗斗は日の短さを感じながらも、帰宅前にはなかった冬の乾風(からかぜ)が起こす風圧に思わず顔を顰めながら扉を閉じて鍵を閉め、マンションの廊下を歩いてエレベーターを待つ。  彗斗が住むマンションのゴミ捨ては24時間いつでもOKなので、夕方に捨てにいっても問題ない。一階のエントランスの近くにある共有スペースのゴミ捨て場所の出入り口に鍵を差し込み中へ入り、指定されている場所にゴミ袋を置くと、ゴミの搬出で使われている裏口の内鍵を開けて外に出る。裏口はドアが閉まると鍵が自動で閉まる仕様になっているので、かちゃんと鍵が閉まるのを確かめてから近所のスーパーへ向かった。  マンションのすぐ横にコンビニがあるものの、頼まれた牛乳はコンビニでは売ってないものだったし、お買い物リストにあったものはスーパーでの購入を想定されているので素通りする。  徒歩五分の場所にあるスーパーの自動ドアをくぐり、入口付近に置かれているアルコールスプレーで手指の消毒をして買い物カゴを手に取り店内に進む。  買い物リストを確認しながらスーパーの中を進み、お惣菜コーナーで小さなフードパックに入ったメンチカツに半額の割引シールが貼ってあったのでそれを取り、小腹が空いたのでツナマヨおにぎりも一つ足して会計を済ませてサッカー台でエコバックに詰め込んだ。  スーパーを出ると風がすごいので、彗斗はまた顔を顰めながらも凍てつく向かい風を顔や全身にうけながら帰途につく。 (お)  マンションのエントランスの自動ドアの前で、宅配業者のお兄さんが陣取って各部屋にピンポンを押していた。それを見た彗斗はラッキーと思いながら館内へ入り──ちょうど一階に停まっていたエレベーターに乗り込んで自宅のある階で降り、玄関前まで戻ってきた。  鍵を開けるべく、コートのポケットを探る。 「……あれ? 無い」  あるはずのものが無い事に気付いて、彗斗は頭の血がサーっとひいていくのを感じた。エコバックの内ポケットや外ポケットも一応確認するが、目当てのものは見つからない。  祖母が在宅しているのだから、目の前にあるインターホンを押せばいいではないかと普通なら思うだろうが、彗斗の祖母の辰美は耳が聞こえない。中途で難聴になったわけでもなく、生まれつきの聴力障害者だ。なので、インターホンの音が鳴っても一切聞こえないから反応できないのだ。 (落としたとしたら、ゴミ捨ての時?)  もしかしたらと思いエレベーターホールに戻り、エレベーターに乗り込んで一階に降りて、祈るような気持ちでゴミ捨て場所の方へ進んだものの、出入り口の扉付近に彗斗の鍵は落ちていなかった。中へ入って確認したかったが鍵がないと入れない場所なので引き返し──エントランスのロビーにある管理人室を見たら電気が消えていたので、管理人の業務時間が終わった事に気付いた。 (管理人さんがいたら落とし物が届いてるか確認できたのに……)  館内に鍵が落ちていればの話だったが、管理人が不在なのはしょうがないので、彗斗はズボンの後ろポケットに突っ込んでいたガラホを取り出して、SMSの画面にしてから電話帳から祖母の名前を探して文章を打ち込んだ。 《鍵を落としたので家に入れません。家の鍵を開けて下さい》  メッセージを送信後、新規メールを打つために母親の名前を探してメッセージを入力する。 《鍵落とした。家に入れない。詰んだ》  彗斗の現状を簡潔に表す文章を送信。 「母ちゃん即レスウケる……」  心細く思っている彗斗を元気付けるかのように、送信後二秒してガラホが震えてSMSが届いたという表示が出たのでそれを開く。 《まじか》という母の短い返事に、彗斗は《一応、ばあちゃんに鍵開けておくようにメールしたけど、反応ないからいつ家に入れるかわかんない》と送る。  ──と、母からの即レス。 《買い物に行くって伝えてはいるんだよね?》 《行く前に一応伝えた。買い物の邪魔だからタブレット置いてったのが痛い》 《携帯だと時間潰しにくいものね…》  祖母は自分の携帯を持っているが、スマホではなく今彗斗が持っているガラホと同世代の機種を持っている。  耳が聞こえない為、着信音が鳴らないように設定はされているが、バイブ機能はONになっているので振動すればわかるはずなのだが──普段から携帯を気にかけないので、母のようなレスポンスの早さは望めなかった。  というか、携帯が振動していても気付いていない事がよくあるので、『何か来てる』と彗斗が教えてあげる事の方が多々あった。  家を出る前の祖母の状態を思い浮かべれば、夕方のテレビ番組に夢中だったからなおのこと反応が鈍い。  一応、買い物に出た事は伝わっているはずなので、近所のスーパーに行ったわりに帰宅するまでの時間がかかっているのと、晩御飯の用意が遅れている事に気付けば──歳をとると食欲減退するらしいが、祖母の胃袋はまだまだ現役らしいので、晩御飯の時間になると普通にご飯の催促とかしてくる──ワンチャンあるかもしれない。 《母上、本日の帰宅は何時頃ですか》  畏まって聞いてみると、《八時過ぎになるかと。いつもより遅くなりそうだったので連絡を入れようとしている時に彗斗からのSOSが来ました》というレスポンス。 《何という事でしょう…》 《本当に。何という事でしょう。母も出社の日に限ってこんな事になるとは思いませんでした》  彗斗自身も、ただ買い物に出ただけだったのに、こんな事になるとは思わなかった。 《彗斗、今どこにいる?》  二十分後、待ちかねていた祖母からのSMSがやっと来たので彗斗はホッとしたが、「送ったメッセージ読んでねぇ……」とぼやきながら《玄関前にいます。鍵を落としたので鍵を開けて下さい》と返信した。 《わかった》  十秒ほど待っているとドアの向こうからガチャリと鍵が開く音がして、いつ家へ入れるかわからない閉塞感から開放された彗斗は踊り出したくなる心を落ち着かせるように「Be cool. 俺」と呟きながら玄関のドアノブに手を伸ばした──。  ちなみに、彗斗が落とした鍵は予想通りゴミ捨て場の敷地内だったようで、彗斗の後に捨てに行った住民がマンションの掲示板のところにペタリと貼っていったのを、帰宅した美香が発見して鍵は無事回収された。  鍵を落とした時に気付かなかったのは、外が強風だったのでその音にかき消されてしまったからではないかと彗斗は振り返る。
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