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「ところでなんですが、風邪をひくといけないのでなにか着たほうが。風邪は万病のもとです」  教えられるまで全裸であることに気づかなかった。驚いていないようでいてじつは気が動転していたのかもしれない。  服を着るあいだ、僕にお付き合いしている人がいるのか友人は多いほうなのかと訊いてきた。幽霊のおじさんなりに気をつかってくれているのだろう。  遊びに来て鏡に幽霊が映っていたら驚くにちがいないし、気味わるがって家に近よらなくなるおそれもある。恋人も友人もあまりいない僕にとってはたんなる杞憂だけど、人の家の鏡に勝手に現れてしまう幽霊のおじさんにとっては看過できない一大事なのだろう。 「あの、僕のところにくる前はどんな人のところに現れてたんですか?」 「女性だった気がするんですが、あいまいです。幽霊は記憶できないのでしょうね、憶測ですが」 「なんて言うか、すごく失礼かもしれませんが、成仏っていうか、天国に行くっていうか、そういう予定あるんですか?」 「生前の善行しだいですから天国に行けるかどうかわかりませんが、できれば成仏はしたいですね。こうして皆さんの日常にノイズみたいに現れてしまうのは心苦しいです。ほんとうに申し訳ない。悩ましいのは時間の観念がないから成仏するためにどうすべきか計画できないことです。私はたぶん、私がどうして幽霊になってしまったのか知りたいだけなんだろうと感じているんです。それでこうして不本意にも皆さんの鏡に現れてしまうのではないかと」  僕は頷いた。返す言葉が見つからない。同じ境遇に陥ったら僕だってそう思うにちがいない。僕にできることなんてたかが知れているけど、僕にしてみれば乗りかけた舟で、幽霊のおじさんからみれば渡りに舟みたいな状況だから、お互いのためになにが最善か探るべきだろう。 「なんていうか、僕でよかったら成仏のお手伝いします」 「いいんですか? 助かりますが、名前も肩書もなんの手がかりもないんです。たいへんですよ」 「調べましょう。知ってる人がいるかもしれないし」  僕はスマホをとった。写真に映るか試してみたかった。映ればネットで拡散、映らなければ次の手を考える。 「尋ね人してみましょう」  カメラアプリを起動してスマホを構えると、どうしてか幽霊のおじさんはピースサインで微笑んだ。それはとびきり良い表情だったけど残念ながら撮影してもその笑顔は記録できなかった。鏡にもレンズにも映るけど画像としては残らない。  じぶんの容姿に興味があるらしい幽霊のおじさんは結果を知って「そうですか、ありがとうございます」とお辞儀すると「ちなみにですが、私ってなにか特徴ありますか?」と訊いた。  僕は見たままの印象をくちにしてみた。 「ぱっと見、理性的な雰囲気で、丸眼鏡がしっくり合ってます。紺色のジャケットは体にぴったりです。柔らかそうな髪はロマンスグレーで、髭がなくて顔立ちがすっきりしてるので文化人っぽく見えますね。歳は……ちょっとわかりません。年齢不詳な感じです。肌に張りがあるからでしょうか。血色があまりよくないですけど気になるほどじゃないです。幽霊だからかもしれませんね。ほどよく日焼けしてるからスポーツが趣味だったのかもしれません」  幽霊のおじさんは耳を傾けてじっくり聞いていた。いま目のまえにあるじぶんという大きな謎を探っているようだった。それは僕にも秘められている謎だけど、僕は日々の忙しさにかまけて忘れたふうを装ってやり過ごしてきただけだった。 「今あげた特徴をそのまま羅列して尋ね人しましょう。文字だけのほうが想像力を喚起しやすいかもしれないですし。音楽とか読書とか、好きな食べ物とかスポーツとか、好きな香りや匂いでもいいです、ぼんやり感じるものってありますか?」  幽霊のおじさんは「ん〜」と唸り沈黙した。沈黙すると幽霊のおじさんは幽霊らしく見える。幽霊の本質がしゃべらないことにあるとすると、今まさに本質そのものだけど、きっとまたすぐ話すから幽霊のおじさんは幽霊としてまだ完全体ではないのだろう。 「やはりわからないです。生前の記憶は体といっしょに消えるのでしょう。なんとも歯がゆいです。せっかくいろいろご提案いただいてるのに……」 「逆にすいません、あれこれ注文つけちゃって」とあやまると「あの、ご迷惑を承知のうえでのお願いですが、もうすこし(ここ)に居させてもらえませんか? 呪いとか祟りとか、そういう類いでは決してありませんので」と幽霊のおじさんは頼んできた。  幽霊のおじさん曰く、家主が承認してくれないと幽霊として鏡に定着できないらしく、映れないまま一定期間経過してしまうと完全体になってしまう恐れがあると考えているらしい、憶測で。  しばらく居て大丈夫ですよと僕が答えると幽霊のおじさんは喜んでなんどもお礼を述べた。僕は講義があるからと部屋をあとにしたけど、しばらくお風呂に入るとき気まずくなるなと思った。
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