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七 春和景明
犬は思う。童も猿もデモンズゲイトの向こう側からやったきた。あの異様なパワーと素早さはこの世ならざる力がもたらすものだ。祖父から聞いた言伝えはまちがいない。しかし桃ナニガシはどうだ。どう説明する。クスリでキメて強化しているとはいえただのなまみの人間だ。なまみの人間がどうすれば災厄であるデーモンを圧倒できるのか。
「ねえねえ〜、筋肉むきむきで偉そうにしてたくせにぜんぜん泣き止まないよ~」
「筋肉むきむきで偉そうでも泣きたいときってあると思うよ~」
「ぼくは鳴きはするけど泣かないな〜」
「嬉しいとき用に涙とっておきそうなタイプだよね、雉くんって」
「ぼくは嬉しいときは笑うよ〜」
雉と猿のやりとりを聞きながら犬はある仮説に辿り着く。桃ナニガシは、あるいは人間ではないのではないかと。
桃ナニガシからは人間の匂いがする。まちがいない。しかしなまみの人間から大きくかけ離れた身体能力を獲得している。その矛盾が犬を悩ませる。金色の猿をしのぐ素早さ。デーモンを超える耐久力。だが桃ナニガシはデモンズゲイトからやってきたわけではない。桃ナニガシという存在にはなにか大きな謎が秘められてるのではないか。桃から生まれたという主張は、あながちまちがいではないのではないか。
「犬くん、むずかしい顔してるね、なにか気になるの?」
犬は猿に答える。
「桃ナニガシに名前を訊いてみたくなった」
「名前?」
「あるはずじゃん、名前」
「聞いてどうするの? っていうか教えてくれるかな? まだ泣きじゃくってるし」
「犬くん、なんか変じゃない? クスリでキメてるとはいえ、あんな強さの人間がいるなんて」
「たしかに。覚醒してるオレとかデーモンの童とか圧倒してたもんね、泣いちゃうまでは」
「そこだよ。強さの代償で心がひどく脆いのかもしれない、どんな事情があるのかは知らないけど」
鼻をすすっては陣羽織を撫でさすり、桃ナニガシはなにかを囁いている。声が小さく震えていて内容までは聞きとれない。猿と犬と雉と童は焚き火のそばで車座になって今後を話した。
「あいつ置いてく?」と猿。
「置いてっちゃおうよ、ぼくたちに意地悪なことしたし」と雉。
「うぉぉんうぉぉん」と童。そうだそうだと雉の意見に合いの手を入れている。
「童にもひどいことしたし、デーモンたち全滅させようと企んでたし」
犬は桃ナニガシを見る。置いていけばそれで万事解決する単純な話ではないと感じる。大きな力がじぶんらの見えないところで強く働いている気がするのだ。でも根拠がない。猿と雉は良い意味で単純だ。脅迫されて仲間になったという経緯はあるが、置き去りにするのは仁義にもとると、情に訴えて納得させるべきか。
「見てのとおり、桃ナニガシには戦う意思も気力もないよ。あんな筋肉の抜け殻みたいな状態で置き去りにしてったらさ、猿くんも雉くんも、このさき後悔するときがくるかもしんないよ。腹ペコな獣だってウヨウヨいるだろうし」
「じゃあ、村まで届けるってこと?」と猿。
「ぼくは反対だな~」と雉。
「うぉぉんうぉぉん」と合いの手を入れる童。
「桃ナニガシを村に連れて帰ったらさ、デーモンが村を襲いにくるんじゃないかな~」
その懸念は犬にもあった。それだから考えがあった。
「そこでだよ──」と犬は童を見る。
「童にデーモンの島へ戻ってもらうんだ。ねえ、童。きみは大人に内緒で舟にのって遊びに来てたんだよね、大人たちが雉くんの偵察で躍起になってるすきをついて」
犬が訊くと童は無邪気に頷く。
「童はここからいったん別行動で、島に戻って大人たちに、桃ナニガシがずっと泣いてふぬけになってしまった事実を説明してほしいんだ。桃ナニガシにはもうデーモンをボコりに行く意思がないことを。そうすればオレたちは安心して桃ナニガシを村へ連れて帰れる」
童は不満そうに犬から目を逸らし「うぉぉん」と呟く。仲間外れにされた気分でイジケているらしい。猿が察して声をかけると、童はちょっとだけ機嫌を直す。敵みたいなものだったのに奇妙な友情が芽生え始めている、そんな微笑ましい光景を眺めていると、明るい兆しが膨らむ予感をかすかに覚え、犬はつかのま満足した。
「ここまでは第一幕だよ。いいかい。これからは別行動になる。第二幕の始まりだ。童はデーモンの島へ。猿くんと雉くんは桃ナニガシと村へ。オレは──」
犬がそこまで言いかけたところで猿と雉が割って入った。
「え? 犬くん一緒じゃないの? なんで?」とシンクロする猿と雉。
「オレはね、調べてみる。桃ナニガシの爺さんと婆さんがいる蔵を」
「え? 知ってるよね犬くん、あそこはヤバイって噂あること」
不安がる猿に犬はありがとうと礼を言う。
「でもね、だからこそオレ単品で行く。大勢でのりこむと見つかりやすくなるからね。蔵であるのは見せかけで、禁止薬物とか大砲とか密造してる噂は確実だよ。おかしな話じゃないかい。村という理性のなかに、そういう暗黙裡な闇があって、そこにあの桃ナニガシがいたんだ」
「でも……」と猿。
「猿くんに頼みがあるんだ。猿くんにしかできないことがある」
犬が微笑むと、猿は照れくさそうに顔を赤く染めた。
「一大事があったら、テレパシーで知らせてほしいんだ。さっきオレに、こんな戦い無意味だよって心で叫んだみたいにして。猿くんは覚醒すると相手がどんなに離れていてもじぶんの心の声を届けられる能力がある、まちがいないよ。猿くんにしかできない特別な能力だよ。猿くんと雉くんは、なにか起きたらオレと童に念じて知らせてほしいんだ。逆になにか起きたら、オレも童も猿くんたちを想って念じるよ。離れていてもオレたちは仲間だよ」
犬はこっぱずかしかったが『仲間』という単語は犬の思惑を遥かに上回るほど効果てきめんだった。猿と雉は瞳をきらきら輝かせると、嬉しそうに体を揺らしながらお互いを見合った。童に至ってはガッツポーズで犬へのアピールを繰り返している、じぶんに任せろと。
手下ら+αが円陣を組んで再会を誓うと、まだ見ぬ未来を祝福するように爽やかな朝陽がのぼりはじめたが、このあとに訪れる苦難を、犬たちはまだ知る由もなかった。
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