四 白い彗星

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四 白い彗星

 童はくりかえし拳をふりおろしていた。横たわる猿はまなこを見開いて左右に転げてすんでのところでよけている。猿がひっしに紙一重でかわすほどに童がふりおろす拳のスピードがましていく。  やはりなと犬は思う。童はおもしろがっている。たのしんでいる。猿が転がるほどに速度がますのがなによりの証拠だ。 「猿くん団子を渡して!」 「渡し、たいけど、早すぎる!」  猿はふりおろされる高速の打撃のふしめふしめに返事するので精一杯だ。童の全身が間断なくしなやかにうごくから脚を握られる雉に至っては糠床で発酵し始めた漬物みたいにぐったりしている。  犬は考えた。猿と雉のために一肌脱ぐべきか。囮になるべきか。今のこの足でこの体で、猛烈な打撃をかわしながら四足動物なのに童に団子をわたせるか。猿と雉を救えるか──。  若かりしころの犬は勇猛だった。徒党を組んで村を襲う大柄な人喰い狼五匹に、単身で立ち向かってこてんぱんに懲らしめた伝説が村には残っている。流れ星のようなその身のこなしから犬はいつからか「白い彗星」と呼ばれていたが、痛風を患ってからは鳴かず飛ばず。その輝きは曇っていた。  中年にはなりたくないものだなと犬は苦笑いする。やるしかない。犬は覚悟をきめて走りだす。 「見せてもらおうか、若いデーモンの勢いとやらを──」  飛びかかるべく後ろ足を踏ん張るなり痛みが走る。激痛だ。たまらず顔をしかめると、バランスを崩して勢いあまって前のめりに倒れこんだ。  息が詰まる。爪先からくるぶしまでの骨を金槌で打たれるようだ。犬が身悶えするさまがおもしろいのか、童の興味が犬に逸れた瞬間を猿は見逃さなかった。  猿は奇声を発して麻袋を転がり拾うと、跳ねあがるなり袋に手をつっこんで団子をつまみとり着地を待たずそのままダイレクトに童めがけて放り投げる。団子は光線のようにまっすぐな軌跡を描く。唸り声をあげる童のくちに吸いこまれるように入っていく。 「これは──」  犬は言葉に詰まる。寸分も無駄のない完成された動き。まるで舞踏。というか芸術そのもの。犬は驚嘆の眼差しでもって一部始終を見守りながら、こどものころ祖父から聞いた話を鮮やかに思いだしていた。 ──孫よ。おぼえておきなさい。遥か古にデモンズゲイトからやってきたデーモン一族はその身にこの世ならざる強大なちからを宿している。鋭敏な感覚で四囲をさぐりその腕力で地を割り木をなぎ倒す。時空のひずみから生まれた大いなる災厄だ。しかしそんなデーモンを打ち破る方法が一つだけある。猿じゃ。デーモンと同じころにデモンズゲイトの対極からやってきた猿の一族がおる。金色(こんじき)に輝くその猿は光で闇のちからを削ぐそうだ。孫よ。もし困難が訪れたら金色の猿を頼るのだよ。  犬はおのれの目を疑った。気のせいか猿がうっすら金色に輝いている。祖父が話していた猿の一族とはこの猿なのか。 「おいデーモン、オレたちの仲間になれ──」  気がつくと金色の猿は童のすぐとなりにいる。速い。目で追いかけることができない。犬は不安と期待が入り混じる。  童の邪悪な瞳に好奇の色が宿る。猿の変貌ぶりに興味を奪われたのか犬にはもう見向きもしない。  さっきまで猿が跳んでいたもうなにもない中空。そこから視線をとなりの猿に移すより先に、気配に気づいてそのうでの太さに似つかない速度でもって岩のような拳をふりおとしている。  速い──。  やはり犬には見えない。金色の猿はすでに童のうしろにいる。 「おいデーモン、仲間にならないとパンチしちゃ──」  と、金色の猿がぶっ飛んでいる。童が体勢そのままでうでをねじ曲げて拳をぶつけていた。 「え?」  犬は目をまるくする。 「え? なに? やられたの?」  童はなおも金色の猿に執着している。ぶっ飛んで転がり落ちた猿のほうへ歩みを進める。猿から金色の光が淡くなって消えはじめている。ちなみに雉は萎れた春菊みたいに完全にぐったりしている。  犬は無力感に襲われうつむいた。かつて白い彗星とおそれられる存在だったのにだれも守れない。助けられない。犬が打ちひしがれそうになったとき、声が聞こえた。 「おめえ強えなあ──」  猿だった。猿はよろめきながら起き上がるとニヤついた。 「強えけどそろそろ効いてくるんじゃねえかな」  猿がどうしてオラオラな雰囲気で話すのか謎だったが、インフレ気味な状況を把握できぬままじぶんだけ置き去りにされているのが犬はもっと気になった。  当たりがズレたとはいえ、あんな規格外な拳でぶたれて立ちあがれる猿はもちろん、見えない速さで動きまわる猿にすぐ順応する童はそうとうな異常者だ。 「ほうら、足もとがふらついてきたぞ──」  猿が近づくが童は攻撃しない。よろめくようにして尻もちをつくと、雉をかたわらに置いて猿を見て小さく唸った。 「団子がほしいのかい?」  猿が訊くと童は頷く。 「仲間になるならあげるけど、ならないならあげない」  童はなんども頷き、猿の持つ麻袋をゆびさす。その瞳からは邪悪さが消えて無垢な輝きが瞬いている。  犬が起きあがり近よると、猿はしたり顔でサムアップして見せる。 「猿くんやるじゃん」 「よくわからないけど覚醒したっぽい、団子食ってないのに」  犬はデモンズゲイトのくだりを説明しようか悩んだがやめた。金色の猿の一族の由来と血筋を自覚できればさらに強くなる気がするがこの猿には理解が難しいだろう。童を仲間にして御の字なので欲張る必要はない。 「おい童、桃ナニガシがおまえたちをフルボッコしようとしてるの知ってるよね。オレらの仲間になって、桃ナニガシをやっつけるんだ。いいね」  犬が言い聞かせると童はなんども頷く。  雉のことはすっかり忘れて、犬と猿は示し合わせたようにわるい顔つきでお互いを見合っていた。
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