麻痺

1/1
前へ
/1ページ
次へ

麻痺

 2032年4月12日 午後13時25分  玄界灘地震勃発  震源地は玄界島東方沖3km、深さ10km  震源地の震度は7  福岡県福岡市東区貝塚 震度6.5  津波到達時刻未定。 「あの~ 大丈夫ですか?」  男が天井に()いた大きな穴から覗きながら話しかけてきた。女がスマホで僕を撮影している。 「この状況を撮影してネットの投稿サイトにアップしたいのですが良いですか? 今ですね、電話は繋がらない状態なんですけどネットは生きているみたいなんですよ。もし救助隊の目に留まれば早く来てくれるかもしれませんよ、どうです?」  …… 「ねえ、いいでしょ~」  女がなげやりな感じで聞いてくる。それにもう撮ってるじゃん! と言いたい。そして僕は声が出ないんだよ! とも叫びたい。 「それではOKって事で、じゃ最初に名前と住所、その後に状況の解説と希望の言葉、思いの丈をご自由に話してください」    こいつの言いなりになるのは(しゃく)だがこの状況から早急に脱するには効果的なような気もする。なので僕は撮影に協力することにした。 「では撮りますよ! ハイ! キュゥッ!」   「僕は築25年の鉄筋2階建て文化住宅、小諸アパートの1階に住む増田大地45歳独身です。今現在、愛玩動物でありペットであるコバルトヤドク蛙の皮膚に触ってしまい麻痺状態で動けません。加えて地震で壊れた家屋の下敷きです。このままではいずれ心肺停止となり死んでしまう事でしょう。どなたか心ある親切な方がこの映像見て助けに来てくれることを願います」 「カ~ット」  意識が混濁しかかった状態でなかなかの名演説だったと自画自賛する。 「すみません~! 声が出ていませんよ~ 全く聞こえませんのでもう一度お願いします」  男が罪のない顔で僕にまた指示を出す。 「表情なんだけどもっと逼迫(ひっぱく)した感じにできないかしら」  この女、こいつら、マジ殺す。いや助かったらマジ殺す。  ──  思い起こせば20分前、僕はペットのコバルトヤドク蛙に近所の工場跡地の茂みで捕獲したセアカコケグモを餌として与えていた。  このコバルトヤドク蛙、毒を持った昆虫を好んで食し、自身の体内に毒を取り込む変わった蛙である。この蛙を飼うにあたって問題だったのが毒を持った昆虫餌の存在だ。だがその事に関しては近隣の工場跡地にこれまた猛毒のセアカコケグモが多く生息しているのを発見できたので餌問題は解決した。僕は意を決してコバルトヤドク蛙をネットで30万円で購入した。購入にあたっては当然正規のルートでは無い。販売元が飼育種では無くより毒性を維持した生態を現地から取り寄せたようなのでこの値段は致し方ない事なのだろう。 「は~い、ヤクモちゃ~ん、餌の時間ですよ~」  僕は昔から人形には名前を付ける主義だ、なので当然カエルにも名前を付けている。 「ん? どうした、キョロキョロして、あ! 地震か? 震度3くらいかな?──縦揺れ結構長いな」  すると0.5秒ほど沈黙の後、ドン!と足が浮くほどの縦揺れが来て、その後世界が歪んだような横揺れが起こった。その瞬間ヤクモは世界記録を達成したかのような大ジャンプを披露してゲージから飛び出そうとしたので僕は咄嗟に右手で掴み脱走を阻止した。  ─ヤドク蛙は人間が手で触ると神経毒におかされて人体が麻痺し最悪死に至りますので注意してください─  正に、購入時に同封されていた説明書の通り僕は神経毒に犯されて体の自由を奪われてしまった。そして部屋の真ん中で大の字になって倒れた。右手には握り潰したであろうヤクモの感触が微かに残っている。だが麻痺状態なので手が開かず確認ができない。  そして天井を見ると見知らぬ女性の足が2本刺さっていた。 「弘子~! 今助けるからな!」  2階の住人が何か騒いでいる。天井が薄いので丸聞こえだ。  彼らの声が聞こえるのは毎度の事なのでそれほど珍し事ではない。当然夜の営みも丸聞こえだったが僕は我慢してきた。彼らは新婚ホヤホヤなので仕方ない事だし僕ら世代の年金の為の肥やしを生産してくれているので悪い気はしない。それにしても二人の顔がどんな感じだったか全く思い出せない。引っ越しの挨拶をしに来た時に見たはずなのだが印象が薄すぎて記憶にないのだ。だがお近づきの印として持って来た鶏卵素麵の甘さが歯に刺さった事だけは覚えている。  でもまあどうなったらあのような足だけ刺さった状態になるのだろうか? 不思議だ。まるで某探偵ドラマに出てくる池に刺さった人間が足だけ湖面に出ている状態に似ている。もしくは下半身だけのトルソーにも似ている。  それにしてもかなりドンドンやっているけど何をやっているのだろうか? もしかして巨大な金槌で天井を破壊して助けようとしているのではなかろうか……、まさかな。  あ!  ドサッ!と天井が落ちてポッカリ穴が開いた。    足だけの女は男に引き上げられて無事なようだ。  当然ではあるが瓦礫やらホコリやらが僕の上に落ちて来て左腕と両足が埋まってしまった。最悪な状態ではあるが幸い僕は麻痺状態なので痛みは感じない。ただ降り積もるホコリだけが僕の目の前を漂っている。  そして冒頭のやり取りとなった。  僕は渾身の力を込めた演説をした。その内容はこの場所と症状と助けを求める声明だ。だがいかんせんどんなに気張っても声が出ない。 「何だか唇は動いているみたいだけど声が出ないわね」  この女! だから麻痺しているんだって。 「しかたないな~ BGMでごまかすか。曲はLet it Beでいいかな」  おいおい、それでいいのか? 「──ねえ、あなた。瓦礫の上に白いホコリが沢山積もっているでしょ、それに舞うホコリが外から入ってきた光に当たってキラキラして綺麗だわ、……曲は粉雪にしましょう」  ちょっと待て、あの曲は少しダークなイメージだろ、けしてキラキラしてないぞ。 「そ、そうか、じゃあちょっと待って、今調べるから── そうだな2分くらいからサビになるからそれまでカメラ回しながら徐々に寄って行こうか、そしてサビの部分で顔のアップ、2分32秒からフェードアウトで終了で行こう」 「分かったわ」  マジか! 「ハイ! キュゥッ!」  ─ ─ ─ ─ 「カ~ット」 「どお、撮れた?」 「撮れたわよ。後は編集アプリで音楽をのせてと少し加工して──、アップ! 完璧だわ」  こいつら、俺を勝手に撮りやがって。 「お~ お~ すげ~な~ 瞬く間に視聴者のカウントが上がっていくぞ」 「あなた、やったね、これで車が買えるわね」 「いやいや引っ越しが先だろ、こんなオンボロアパートとはおさらばだ」  こいつらダメだ、金の事しか考えていない下級妖怪だ。 「ドン! ゴゴゴゴゴー」   大きな縦揺れが再度来たと思ったらまた視界が歪むほどの横揺れだ。 「ゴゴゴゴゴ」  その時神が降りた。    僕を避けるかのように部屋が裂けて左右に割れ、アパート全体が倒れた。それはまるで映画十戒の1シーンの海割れのようでもあり、学友会の演劇で背景の板が倒れた時のようにも見えた。そして僕の左右に上の住人である男と女が降って来た。僕は顔が動かないので右方向に横目で見ると男の首があらぬ方向を向いていた。左を見ても男同様だった。 「僕は勝ったぞー!」  何に勝ったのかは不明だがこの時ばかりは叫ばずにはいられなかった。しかし声は出ていない。  それから2時間後、僕は麻痺状態から少し回復したようで右腕と右手が動くようになっていた。だが声はまだ出ない。  不思議な事に(てのひら)で潰れているはずのコバルトヤドク蛙のヤクモの姿は無かった。  しばらくして近隣の住人の一人がやってきて僕に気が付いてくれた。 「君、大丈夫かい? 今救助隊を呼ぶからね。ん? 君の腹の上に綺麗な青い蛙が乗っているけど何かのおまじないかい?」  僕は可能な限り首を動かし腹の方を見た。ヘソの辺りにチョコンとヤクモが座っていた。 「可愛いな~ どれ」  助けに来てくれた近隣の住人はヤクモに触ると糸が切れた人形のように転がって口から泡を吹き目を開けたまま僕の方を見て失心してしまった。  どうせ麻痺するなら救助隊を呼んだ後にしてもらいたかった。  ──  それから3時間後、僕はようやく救助された。  その間ヤクモに触った人間は次々と倒れて行った。僕の傍で転がった被害者は合計13名。内訳は警官2名、近所の住人5名、消防隊員4名、それとヤクモとは関係ないが上の住人2名だ。この中で助かったのは11名。上の住人以外は助かったようで不幸中の幸いだ。みな口々に青い蛙を触って倒れたと証言したが、それと言って大きな事件にはならなかった。街全体が震災からの復旧作業に追われて忙しい毎日が続いているので小さな事件はうやむやにされてしまったようだ。当然僕はヤクモを飼っていたなどと不利な証言は一切していないのでおとがめ無だ。  ──  1年後、  僕は現在福岡県西区糸島に住んでいる。  今日は弔いの意味も込めてあの震災の地にやってきた。  今では僕の住んでいたアパートは更地となり綺麗なものだ。  そういえばセアカコケグモが生息していた工場跡地はどうなっているのだろう? と少し気になったので行ってみた。結構大量に繁殖していたのでアレはアレで危険ではある。 「Oh~ いっぱいいるな~、危険度MAXだなハハ、あ!」  僕が1匹のセアカコケグモを見ていると青い蛙が飛びついて食べてしまった。その姿は懐かしくて、なんだか涙が出て来た。 「ヤクモ! お前ヤクモか」  声をかけるとコバルトヤドク蛙が僕の方を見てチョコンと座っている。僕は片膝を着き素早く手術用のビニール手袋を装着して持ち上げた。 「お前元気だったのか、良かったな」  僕が感動していると茂みの中から少し小さめのコバルトヤドク蛙が5匹出て来た。 「お前コレどうやって生んだんだよ! ──ほんとにもう不思議な奴だな」  …… 「お前ら一緒に来るか?」 「ケロケロ」 「ケロロン ケロ ケロ」 「お~! そうかそおか、それじゃ帰ろうか」  僕はヤクモとその子供をカバンに入れた。当然餌であるセアカコケグモの卵も大量に採取して持ち帰る事にした。  終わり。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加