プロローグ

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第4話 パスワード  東都都庁別館の警察鑑識部のある巨大ビル。その玄関ロビーで来客用の椅子に腰かけ、両手であったかい缶コーヒーを飲む東都警察と同じ規格の制服を着た小さなランの姿は非常に目立つものだった。さらにその隣では同じく缶のお茶を啜る和服の茜が座っている。ロビーを通る警察関係者達がこの二人と一緒にいる誠達を好奇の目で見るのはあまりにも当然過ぎた。 「コイツが小便行きてえとか言い出してパーキングエリアに止まったのが悪いんだよ!」   かなめはそう言うとパーカーのフードをいじっていた島田の頭を小突く。かなめの言葉に島田はただ苦笑いを浮かべていた。 「そこでタバコの煙がどうので一般市民と喧嘩を始めようとしたのは誰だ?」   カウラの視線を浴びてかなめは後ずさる。 「茜ちゃん。ここに来なければいけない理由。ちゃんと示して見せてね」   手に缶コーヒーを持っているアメリアがそう言って椅子に腰掛けている茜を見下ろす。 「そうですわね」   それだけ言うと茜は軽く周りを見回す。そしていつの間にか消えていたラーナがエレベータの前で手を振るのを見つけて立ち上がった。 「神前、刀は……あー、持ってるか」   立ち上がると言うよりソファーから飛び降りると言う調子のランが誠の手に握られた刀を確認する。 「なんだ?試し斬りをしろって言う奴か?」   冷やかすような調子でそう言ったかなめがランの後についていく。誠も先ほどの死体の発生とこの刀に何の関連があるのかまるで理解できないでいた。 「とりあえず、技術開発局でパスワードを発行してもらわないといけないっすからそっちに寄るっす」   全員が落ち着いたとわかるとラーナはそう言った。 「パスワード?」   最後尾を着いてきた島田がいぶかしげにつぶやく。同様に茜、ラーナ、ラン以外の面々が不思議そうな顔でラーナを見つめる。 「まーそれだけ他所には知られたくねー事実なんだよ」   そう言うとランは開いたエレベータに真っ先に乗り込む。 「飯食ってくれば良かったかな」   頭を掻きながらかなめがそう言うと茜とランが同情するような視線でかなめを見る。 「なんだよ、死体かなんかだろ?アタシは腐るほど見てるから平気だよ。そうじゃなくてコイツのことだよ。どうだ?神前。結構えぐいかもしれねえぞ……しばらく肉が食えなくなるとか……いつもみたいに吐くとか」  「吐きませんよ……最近調子がいいですから。でも……肉が食べられなくなるって……」  話題を振られて誠は戸惑う。死体の写真なら訓練所でもいくつも見てきたし、以前のバルキスタン戦では実物も見た。確かに食欲が減退するのは経験でわかっていた。  そんな雑談をしていた誠達の目の前のエレベータの扉が開く。白を基調とした部屋の中には人の気配が無かった。ただ静かな空気だけがそのフロアーを支配していた。捜査活動などで忙しく立ち働いている人からの白い目を覚悟していた誠には少しばかり拍子抜けする光景だった。 「不気味だねえ」   かなめはそう言いながら先頭を歩こうとする茜に道を譲る。誠もまるで人の気配を感じない白で統一された色調の部屋をきょろきょろと見回しながら歩いた。 「ここですわ」   茜はそう言うと白い壁にドアだけがある部屋へ皆をいざなった。  茜は何事も無いように歩く。扉を開いてそのまま部屋に入り、一度くるりと回った後そのまま部屋から出てきた。 「皆さんもどうぞ」   襟を正しながらそう言う茜に誠達は呆然としていた。 「いったい何が?」   誠の質問を無視するように今度はラーナが茜と同じように部屋に入り、くるりと回って出てくる。そしてランも当然のように同じ動作をした。 「無意識領域刻印型パスワード入力か?こりゃあ本格的だな」   そう言ったかなめも同じように白い部屋に入りくるりと回って出てくる。 「なんですかその……」  「大脳新皮質の一部に直接アクセスして無意識の領域に介入するのよ。そしてそこにパスワードを入力して現場ではそれを直接脳から読み取ってセキュリティーの解除を行うっていうシステムね。でもこれは警察でも最高レベルの機密保持体制よ。一体……」   そう言ってアメリアが同じ動作を行う。 「僕もやるんですか?」   初めて聞くセキュリティーシステムに腰が引ける誠だが、彼の頭をかなめが小突いた。仕方なく誠は扉を開き、真っ白な部屋に入る。  何も起きない。  まねをしてくるりと回る。反応は無い。そしてそのまま部屋を出た。 「あのー?」  「ああ、自覚は無いだろうがすでに脳にはパスワードが入力されているんだ。実際どう言うパスワードかは本人もわからない」   サラが続くのを見ながらカウラはそう言って後に続く。 「ああ、うちの技術部の連中なら無効化できるかもしれないけどな」   そう言って島田もカウラに続いた。 「それじゃあ今度は地下ですわね」   全員がパスワード入力を済ませると再び廊下をエレベータへと進む。電子戦のプロである技術部の将校連でもない限り解けないと言うセキュリティーを施すほどの機密。誠は不謹慎な好奇心に突き動かされて茜の後ろに続いた。  相変わらずエレベータルームにも人の気配が無い。 「これだけの機密ってことは……本当に俺等が来て良かったんですか?」   前線部隊ではない技術部整備班長の島田が頭を掻く。そして運用艦『ふさ』の管制オペレータであるサラも同じようにうなづいた。 「ごらんいただければわかりますわ」   それだけ言うと茜は黙り込んだ。その突然の沈黙に誠の好奇心は再び不安に変わった。エレベータのドアが開いて一同は乗り込む。最後に乗ったラーナがエレベータにポケットから出したキーを差し込む。 「隠し部屋かよ。さらに厄介だ」   島田の一言にランの鋭い視線が突き刺さる。驚いた島田はそのままサラを見てごまかした。動きだしたエレベータの中。浮いたような感覚、そしてすぐに押しつぶそうとする感覚。パイロットの誠には慣れた感覚だが、それがさらに不安を掻き立てる。  そして当然のようにドアが開いた。薄暗い廊下。壁も天井もコンクリートの打ちっ放しで、訪れるものの不安をさらにかきたてる。あえて救いがあるとすれば若干の人の気配がするくらいのことだった。  廊下に出た茜に続くと、誠はそこで白衣を着た研究者のような人達が行き来する活気に心が救われる思いだった。 「人体実験でもやっているのかねえ」   かなめの無責任な言葉に茜が振り向いて棘のある微笑を浮かべる。かなめはそのまま後ろに引っ込みカウラの陰に隠れた。 「これは……嵯峨警視正」   部屋の置くから低い声が響いた。到着したのは生物学の実験室のような部屋だった。遠心分離機に検体を配置している若い女性研究者の向こうの机に張り付いていた頭の禿げ上がった眼鏡の研究者が茜に声をかけてくる。 「例のものを見に来ましたわ……それとその処理を行える人材もいましてよ」   研究者があまりにも研究者らしかったのがおかしいとでも言うように噴出しかけたかなめを一瞥した後、茜はそう言って巾着からマイクロディスクを取り出す。 「そうですか。失礼」   そう言うと眼鏡の研究者はそれを受け取り手元の端末のスロットにそれを差し込んだ。画面にはいくつものウィンドウが開き、何重にもかけられたプロテクトを解除していく。 「なんだよ、ずいぶん手間がかかるじゃないか」   かなめはそう言いながら部屋を見渡した。 「サンプル……人間の臓器だな」   カウラの言葉に誠は改めて並んでいる標本に目を向けた。いくつかはその中身が人間の脳であることが誠にもすぐにわかった。他にもさまざまな臓器のサンプルがガラスの瓶の中で眠っているように見える。 「ちょっと、そこ」   明らかに緊張感の無い様子でアメリアがつついたのは島田の手にしがみついているサラを見つけたからだった。 「ランちゃんは……平気なの?」   島田から引き剥がされたサラがランを見下ろす。 「オメーなー。アタシが餓鬼だとでも言いてーのか?」   そうランが愚痴った時、ようやく研究者の端末の画面がすべてのプロテクトの解除を知らせる画面へと切り替わった。 「それでは参りましょう」   茜はそう言うといつものように緊張感の無い誠達に目を向けた。  奥には金庫の扉のようにも見えるものが鎮座している。迷うことなく茜は進む。彼女はそのまま扉の横のセキュリティーにパスワードを打ち込む。 「ここまでは一般向けのセキュリティーか」   かなめはそう言うと開いていくドアの中を伸びをしてのぞき込む。そんなかなめを冷めた目で見ながら茜はそのまま中へと歩き出す。  無音。ただ足音だけが聞こえている。 「遅れるんじゃねーぞ。全員のパスワードが次のセキュリティー解除に必要だからな」   ランの言葉に誠は思わず手を握り締めた。彼の後ろでは観光気分のサラとニヤニヤしている島田がついてきていた。そして30メートルほど歩いたところで道は行き詰るかに見えた。しかし、すぐに機械音が響き、行き止まりと思った壁が開く。 「ずいぶん分厚い扉だねえ。なんだ?化け物でも囲ってるのか?」   軽口を叩くかなめを無視して茜は歩き続ける。 「わくわくしない?神前君」   後ろからサラに声をかけられるが誠はつばを飲み込むばかりで答えることが出来なかった。  カウラは通路の壁を触ったりしながらこの場所の雰囲気を確認しようとしているようだった。かなめは後頭部で両腕を組みながらまるで普段と変わりなく歩いている。アメリアは首が疲れるんじゃないかと誠が思うくらいきょろきょろさせながらアトラクション気分で歩いていた。  そして再び行き止まりにたどり着く。 「おい、島田。もっとこっちに来い!パスワードがそろわねーだろ!」   ランがそう言って最後尾を歩いていた島田を呼ぶ。  彼がサラにくっつくようにやってきたとき重そうな銀色の扉が開いた。
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