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「時間だよ、マユ」
その声に、ハッとする私。
慌ててヘッドセットを取り外してみるとーーそこは、先程と同じ金鎖亭のアンの部屋の中だった。
(まさか、今まで起きたことは、全て映像の中での出来事だったってこと?)
それにしては、なんてリアルな。
だって、私は、人々の尊敬の眼差しも、王宮で飲んだワインの味も、首筋にかかる男達の熱い吐息もーー全てを覚えているというのに。
(全部、現実じゃなかったっていうの?)
と、壁にかけられた瀟洒なからくり時計が、唐突に軽快な音を奏でる。
見上げてみると、時刻は夜の21時丁度。
(私がこの店に入ったのは、確か19時位でしょ。それで、暫く、お店の人と話してたから……この部屋に入ったのは、20時位の筈。ってことは……え、嘘?まだ、1時間位しか経ってないの?!)
あの世界の中では、もう何日も過ごしていたのに。
すると、ひょいとアンが私の顔を覗き込んで来た。
「マユ?私とリューゲィからのバースデープレゼント、気に入ってくれた?」
そう言って、無邪気な笑顔をみせるアン。
「ええ、ありがとう。とても気に入ったわ」
アンの笑顔につられる様に、私も笑顔で答えた。
すると、私が気に入ったのが余程嬉しかったのか、ぴょんとアンが飛び付いて来る。
「良かった!」
まるで子供みたいに、私の胸に頬を擦り寄せてくるアン。
私は、優しくその頭を撫でる。
(そう言えば……思わず勢いで返事をしてしまったけれど、リューゲィって誰のことかしら?)
そう思って辺りを見回すと、穏やかに微笑むあの美しい男性と目が合った。
(成る程。あの店員さんの名前なのね)
名前と見た目からして、きっと、外国の人なのだろう。
あの国に行く前の私なら、彼の名前を知れた事に、大喜びしていたかもしれない。
少しでもお近づきになれたとはしゃいでいただろう。
でも、今の私は違うのだ。
私はあの国をーー誰もに愛される、あの至上の快楽を知ってしまった。
それに何より、今の私には欲しい男(モノ)がある。
残念ながら、彼なんてお呼びではないのだ。
(あの魔法使いは言っていたわね。確か……彼の心を奪う儀式が行われるのは、3ヶ月後の月が真紅に染まる夜だ、と)
その夜になれば、あの堅物なニコラが私のモノになる。
私は、彼が足元に跪き……獣の様に私の体を貪る様を想像した。
その瞬間、まるで雷撃が走ったかの様な強い快楽が、一気に私の体の中を駆け抜ける。
(……堪らないわ)
あの男を自分のモノにしたい。
いや、彼だけではない。
あの世界の全てを、自分の手中に収めたい。
それが、例え現実ではないと分かっていても。
私は思わず、目の前のアンにしがみついた。
「お願い、アン……もう一度、あの国に……あの世界に行きたいの」
あそこが、私が本当に居るべき場所なのよ。
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