始まりの梅雨

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始まりの梅雨

 台所から鰹風味の湯気が立った。  朝も早くから先生が細々、何かをこしらえているのだろう。私は寝転がったまま、耳を澄まして鼻を動かした。  湯の沸く音に、湯気の湿気った香り、まな板と包丁がぶつかる音。何かを焼き付ける音と、醤油の香り。  やがて流しがべこりと音をたてた。 「……起こしましたか、猫殿」  そこで初めて、私が見つめていることに気づいた。先生は手元の鍋を持ち上げて、にこりと笑う。 「昼はそうめんにしました。茄子を揚げ浸しを添えるのが、最近うまくて仕方ありません。夏の旬というわけでしょうか」 「それは年のせいだろう」  青いガラスの皿の上、そうめんの白い体が横たわる。てらてらと紫に光る茄子が、そこに乗せられた。 「水っぽそうで、私の好みではない」 「猫殿もそろそろ昼にしましょう。ご相伴ください。キャットフードは冷蔵庫で冷やしたのがうまいとおっしゃってましたね」 「暑い夏にはそれが一番だ」 「こんなとき、猫殿が人の言葉を喋ってくれることが、つくづくありがたいと感じます」  先生のシミだらけの手が冷蔵庫を開けたので、私はようやく寝床の座布団から前足を投げ出して、丸まった背筋をぴんと伸ばした。
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