始まりの梅雨

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   私の生まれは正真正銘、猫である。しかし、気がつけば人間の言葉を喋っていた。  母猫も人の言葉を解したので、これは才能というよりも血筋であるに違い無い。  老いた母は「人前ではにゃんと鳴け」と、口を酸っぱく言っていたものだが、あほうの私は猫が人語を語って何が悪いと意固地のように人間の言葉を使い続けた。  そのせいで、行く先々でほうぼうな目に遭うことになる。  石を投げられたことも悲鳴をあげられたことも、捨てられたことも蹴られたこともある。  そして気がつけば10数年。  とある軒先の下で、私は先生に出会ったのだ。  先生は奇特な男である。顔は皺だらけだし、背も丸い。年寄りである。文章を書いてそれで糊口をしのいでいるという。  文章を見てもそれが上手いのか不味いのか私には解らない。ただ、じめじめとした文章である。  そもそも私は言葉を解しても、文字は読めぬ。文字を理解しても、情緒を解せぬ。つまり私は文盲であった。私は文字や情緒を先生の部屋で学んだ。
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