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「思い出したのです、猫殿。ありがとうございます。ああ、なぜ忘れていたのだろう」
先生が足を止めたのは、古くさい洋館の前である。
かつてはそこに人が住んでいたのだろうか。
赤煉瓦ははがれ、窓にはめこまれた美しいステンドガラスは割れている。
今や様々な植物が咲き乱れる密林のような庭に、その家は立っている。
「先生、ここは」
周囲に人の気配がないことを確認して、私は先生に問いかける。
人の気配など心配しなくても、この家にはもう誰も住んでいない。手も入れられていない。それどころか人に忘れられている。
周囲はきれいな住宅街だ。その中にあって、ここだけが異様であった。
怖い、というのではない。時の流れが止まっている。緩やかに時に任せて崩壊しようとする美しさがそこにある。
「見えますか、庭の隅に桜があるのを」
先生は声を震わせる。先生が指したのは、庭の端。かつては温室でもあったのか、古びたビニールが金具に巻き付いて揺れている。
そして、さらにその隣。
そこに巨大な桜の木があった。
鬱蒼とした庭の中、それだけが意気揚々と起立している。枝振りは太く。花は見事だ。
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