俺からいちばん、遠いもの

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「なんだよ急に。別にいないし」   言葉に詰まったのは、一瞬だったと思う。  ワックスのフタをかちゃかちゃと閉める音に、嘲るような笑い声がまじった。 「はは、いるんだ?付き合ってないの」 「だから、違うって」 「付き合ってないんじゃなくて、付き合えないのか」  小ばかにした一言に、心臓をえぐられる。そういう意味で言ったのではないとわかっているけれど、思わず顔がひきつった。    視界の端に俺をとらえ、兄の目がすっと細められる。くるりと振り向くと、ゆっくりと近づいてきた。視界が兄の影で暗くなる。15センチ以上上から、何かを企んだような瞳で見下ろされる。 「お前、けっこう奥手なんだな。口説き方でも教えてやろうか」  顔がかっと熱くなる。見上げるようににらみつけるが、どうも格好がつかない。 「必要ない。どけ」 「そういえば、もうすぐお前の誕生日じゃん。なあ」  先ほどセットしたばかりの頭を、ぐしゃぐしゃと兄に乱される。 「それまでに、彼女作れよ」 「はぁ?」 「俺だって、はじめて彼女ができたのが去年の誕生日だったんだ。お前も俺の弟なんだから、できるだろ」 「意味わからない。ていうか好きな子だっていないし」  言い訳だと思われたのか、兄は勝ち誇ったように微笑んだ。 「誰でもいいよ、相手なんか。いいな?誕生日までに絶対作れ。じゃないとお前のこと、一生下僕扱いするから」  無茶苦茶なことを言って、楽しげに俺の脇をすり抜けていった。呆然とした俺は、鏡に映るぼさぼさの自分を見ながら途方に暮れた。  ーーーあれから日は経ったが、もちろん彼女なんてできているわけがない。  ソファに寝転んだまま、俺は薄く目を閉じた。 ”そもそもいんの。好きなやつとか” ”付き合ってないんじゃなくて、付き合えないのか”  心臓がじんじんと痛む。まるでゆっくりと血を流しているような。  瞳を閉じているのに、涙があふれそうだった。瞼の裏には、一人の親友の姿が浮かぶ。  ーーー巡。  その時、腹の上に置いていたスマートフォンが振動した。画面を見ると、ちょうどその親友からメッセージが届いていた。 『いまからそっち、行っていい?旅行の土産渡したいんだけど』  一気に、体中が心地よい熱を帯びる。変わらず心臓は痛み続けていたけれど、それ以上に幸せな気持ちがあふれ、痛みを超えていった。  OKの返事だけをそっけなくして、再び目を閉じる。けれど頭が冴えてしまって、何度も目を開けたり閉じたりしていた。  待っている時間がじれったくて、うずうずする。  すると再び、スマホが振動する。 『ついた』  俺はソファから飛び起きて、母親に友人が遊びにきたと告げた。 「巡くん?」  俺はこくりとうなずき、いそいそと玄関へ向かう。
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