俺からいちばん、遠いもの

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 手を洗おうと布団をめくると、生々しいにおいが鼻をつく。  どうしよう。  換気をしたいけれど、窓を開ければさすがに巡は起きてしまう。汚れた手を見て途方に暮れていたら、ふいに涙がこぼれた。あわててぬぐい、嗚咽を殺して部屋を飛び出た。  洗面台で手を念入りに洗い、そのまま顔にばしゃばしゃと水をかける。  もう二度としない。こんなこと。  赤くなりそうな目を冷水で冷やす。代わりに手が冷たさで真っ赤にただれていた。  呼吸を整えていると、後ろから声をかけられる。振り返ると、巡がドアの枠に体重を預けて立っていた。 「あ、おはよ」 「ん」  巡はいつも通りに人懐っこい笑みを浮かべる。その様子に俺は安堵した。  よかった。さっきの、バレてない? 「手真っ赤じゃん」  そういって巡は、俺の両手を包み込むように握った。長い指先に、形の良い爪。こんなところまで、巡はきれいだ。 「水で顔洗ったの?お湯出さない派か」  巡ははあっと息を手に吹きかける。びっくりして反射的に引っ込めそうになった手は、力強く握られたままびくともしなかった。  顔に血が上っていく。先ほどまで自分のものを触っていた手だ。意識すると、もう巡の顔を見れなかった。 「な、にすんだよ」 「寒そうだったから」  視線をそらしたままの俺。今度はそんな俺の頬を両手で挟み、向き合うように正面を向かせた。  がっつりと視線がぶつかり、ますます顔が熱くなる。自分がいまどんな表情をしているのかわからなくて怖かった。  巡は俺の表情をじっと覗き込んでいた。なんだか、いつもの巡とは様子が変だ。 「つめて、から離せ」  動揺しっぱなしで、自分をコントロールできない。今、声は震えなかっただろうか。  巡ははっとしたように目を見開くとすぐに笑顔に戻り、俺の頭をくしゃくしゃと乱した。 「洋の手が冷たかったからこうなったんだ。でも目、覚めたろ」  息が弾みそうになるのをこらえる。うまく声が出せない。いつもの自分は、どうやってしゃべっていたっけ。 「またそうやって、チ、ビだからってバカにしてんだろ」 「・・・」  声がしゃくりをあげるように裏返った。恥ずかしさで消えてしまいたくなった。  うつむいていると、上から声がふってくる。 「バカになんてしないよ」  落ち着いた、低めの声。普段の巡とは違いすぎて、思わず顔をあげてまじまじとみる。  巡は真顔で、もう一度繰り返した。 「大丈夫だよ。何があっても、洋をバカになんてしないから」  心臓が衝撃をくらったかのように痛む。ドキドキと、体中を血が駆け巡る。  何でもない言葉なのに、どうしてこう、心にくるんだろう。  巡はそのままくるりと後ろを向くと、俺の部屋へと戻って行った。  もしこのまま母親に呼びかけられなかったら、俺は永遠にこの余韻に浸っていられそうな気がした。
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