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一定の知識と技術さえあれば、危険ドラッグの合成は難しくない。盗まれたミゲイツと、合成カチノンを混合させたものがLWNである。
危険ドラッグは、作用が大麻と酷似する「合成カンナビノイド」系と、覚醒剤のような興奮作用を持つ「合成カチノン」系に分類される。LWNは後者だ。
ただし、LSDのような幻覚作用が混入されていることもある。
LWNは依存性が高いことに加えて副作用が少ない。そのおかげか、覚醒剤に変わりこの国では爆発的に広まってしまった。
しかし最大の特徴はオーバードースを起こした時に現れる。オーバードースを起こした人間はLunacy患者同様の行動を起こすのだ。こうなってしまうと打つ手がない。
秋月は報告書を睨みつけている鏑木を覗き込んだ。
「大丈夫か? って聞こうと思ったけど、お前は絶対大丈夫って答えるから意味ないんだよなぁ」
秋月は呆れながら手すりに寄りかかった。
「そんなにひどい顔をしていたか?」
鏑木は眉間を指でほぐしつつ、視線を報告書から秋月へと移した。
「不安でたまらないって顔してるよ」
「いけないな。明日からは全員を欺かないといけないのに」
「……お前が一番不安そうにしてる理由って法律のことか?」
秋月は街に視線を落としたままそう言った。
それはまさに鏑木の気掛かりにしていることだった。
十六年前に改正された法律。内容は、相手がLunacy患者と認識した場合、独断でも射殺して良い というものだ。これはLWNによってLunacy患者と同様の状態になった人間にも適用されることとなった。
人間を狂わせる精神病やドラッグよりも、簡単に法律を改正したこの国の方がよほど狂っていると鏑木は感じていた。
しかし、国の在り方に疑問を持つ人間は時が経つほどに減っていった。
「…俺は銃なんて撃ちたくない」
それは鏑木の心から出た言葉だった。理性よりも感情が言葉になったものだったが、鏑木にその自覚はなかった。
「そうだな。なんの躊躇いもなく引き金を引けるようになってしまったら、それこそ人間の終わりだと思うよ」
秋月は深呼吸すると、鏑木の方を向いて笑いかけた。昔からずっと変わらない、人を安心させるような笑い方だ。
「お前はそんな世の中を変えたくてマトリになったんだろ?」
「…ああ。そうだよ」
鏑木も自然と笑みが溢れた。
「じゃあ頑張ってこいよってことでコーヒー買ってきたけど、いらなそうだな」
秋月は鏑木の手元の缶コーヒーを見遣った。
「いや、もらっておく。今日はまだ四杯しか飲んでいないし」
「もう十分だろ。なんだよ、四杯’’しか’’って」
鏑木は、秋月が引っ込めようとした缶コーヒーを手から引き抜いた。
「俺もコーヒー好きだけど、お前異常だよな」
「酒じゃないからいいだろ」
「いや限度ってものが…」
高校時代からのいつものやりとりに、鏑木は少し緊張が解けていくのがわかった。
半ば奪い取った缶コーヒーは、鏑木の好きなブラックだった。
澄んだ満月が、二人を見下ろしている。
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