筋肉ラブ・からの~?

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 僕はその日、彼女に勧められたフィットネスクラブに向かっていた。  バスを降りてスマホの地図を頼りに歩いていく。  こんな田舎道、よく通う奴いるなと思ってしまうような片田舎だ。ついでに寄るような所もない。  よほどいいトレーナーでもいるのだろうか。たぶん、そうなんだろう。なんたって彼女のオススメだ。  神社の前を過ぎ、田んぼの脇の道を果てしなく直進して、左手側の雑木林の角を曲がった僕は、思わず「うおっ!?」と一歩飛びのいた。  ジムっぽい建物の前に学ランを着た男性の人形があり、1.5メートルほど足を開いて、すごい速さで左右に屈伸して揺れていた。 「人間だったら膝壊れるだろ……」  僕は気を取り直して、店の入り口に近づいた。  すると、屈伸人形がスパーン!と両足を揃えて、 「ようこそ、筋肉LOVE こと筋肉クラブへ!」 と敬礼した。  人間だったのか……。 「おじゃまします。」  一礼して店内に入った。  ふり返ると、出迎えさんはまた左右に屈伸していた。 「いらっしゃいませ。  はじめてのご来店ですね。  どのような筋肉にいたしましょう?」  受付の男性がカウンターから出てくると、僕の目の前でにこやかに片手逆立ちして尋ねてきた。 「あ、あの………ギリシャの漁師ばりになりたいのですが。」  ギリシャの漁師ばりマッチョ。  愛しの彼女のリクエストだ。  すると受付さんは、逆立ちしたまま左右の手を替えて言った。 「お目が高い。」  そしてひょいと逆立ちをやめると、カウンター内に入ってペンを持った。何かの用紙も取り出した。 「ギリシャの漁師さんね、あの筋肉、日本人の DNA じゃ無理なんですよ。  生まれ変わるしかないので、この死亡同意書にサインを願えますか?」 「え? し、死亡って……」  僕が戸惑っていると、受付さんは疑いの目で僕を見た。 「おや、筋肉のために死ぬ気もないんですか?  そんなんじゃ、うちのトレーナーたちは指導する気も起きないと思いますよ。」 「いや、だって、人間に生まれ変わるっていう確証もないのに、無理ですよ。」 「ああ、その点でしたか。  大丈夫。人は叶わなかったことを叶えるために生まれ変わるといいますから、トレーニングの果てに脱落すれば、強い思いが残って、ギリシャの漁師家に生まれ変われる可能性大です。」 「脱落って……それ」 「運が良ければもっとマッチョなゴリラに生まれ変われる可能性だってあるんです。  賭けてみてください。」 「いや、ゴリラに生まれ変わってしまったら、彼女と付き合えないし。」  そう。  先日、僕は大好きな女性に告白したのだ。  そしたら、「細マッチョは好きじゃない。」とはっきり言われた。彼女の理想はギリシャの漁師なのだという。  だから、彼女オススメのフィットネスクラブに来たのに。筋肉のために死ねってなんだよ。  僕は言った。 「出直してきます。」  「おや? 諦めるんですか?」 「諦めるわけじゃなく、よく考えたいんです。」  僕は一礼して出口に向かおうとした。  すると、誰かにぶつかった。 「あ、すみません………え?」  僕はソッコーで手錠を掛けられた。  目の前には警官。 「どういうことですか!」  問いただすと、警官は言った。 「ストーカー容疑です。署までご同行願えますか。」  僕は舌打ちした。  店員に気を取られて、完全に油断していた。  だが、僕には彼女への付きまといの自覚がある。  しかも付きまといといっても、日頃の彼女を見守り、時折アドバイスの手紙を彼女のポストに入れるだけだ。どこがおかしい?  狂気めいたストーカーなどではない。  僕がそう言うと、警官は言った。 「ストーカーにはそう言う人も多いんです。」  僕は警官が言い終わらないうちに、手錠を掛けられた腕を思いきり振って警官を振り切って走り出した。  だが、出入口の屈伸男に捕まった。 「くっそー! 体力差ズルいぞ!」 「ふふふ。まあ、日頃の心がけが違いますし。」  僕は警官に引き渡された。  警官は店をふり向いて、 「ご協力ありがとうございました!」 と言った。  僕は身体を鍛えるためにフィットネスクラブに行ったのに、警察に捕まり、そして精神科に入院するはめになった。  人生なんて、ホントわからない。  でも………病院での扱いは、わるくなかった。  精神科なんて、わけのわからない人たちがうようよ居て、看護師たちから動物扱いを受けるイメージだったけど。  たいていの患者さんは挨拶すれば返してくれるし、一緒にテレビを観て盛り上がったりするし。休憩中だという看護師さんも交えてトランプで遊んだりもする。  孤独な僕をこんな場所に導いてくれるなんて、彼女はやっぱり心の優しい素敵な女性だ。  間違いなく僕の天使だ。  彼女と言葉を交わしたのは、今のところ、告白したときが最初で最後だけど、早く退院して、また彼女を見守って暮らしたい。 「まあ、そういう気持ちもね、ここでゆっくり休めてください。」  医師は言った。  その医師が当直だった晩のこと。  僕ら患者は睡眠薬でぐっすり眠っていたので、まったく知らないことだが、こんな電話があったらしい。 「……はい、丸三角病院の高橋です。  ………はい、やはり、常に彼女の行動を観察していたようです。彼なら、見ていたはずです。  ………いえ、まだ信頼関係が十分ではないので、それは。  ………はい、また。」
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