5人が本棚に入れています
本棚に追加
第一話 お先に
「ミサキちゃーん、タクシー来たわよん」
店長のいつものおねえ口調が聞こえてきましたので、私は部屋にいる女性達に挨拶をして控え室を出ました。
「お先に失礼しまーす」
「お疲れえ」「オッツー」「じゃあねえ」
女性達の声を聞きながらドアを出ると、店長は再びおねえ口調でタクシーチケットを差し出して来ました。
「ミサキちゃん、おつかれちゃん。はいこれ、チケット」
「ありがとうございます」
「寄り道しちゃダメよん。コンビニくらいならいいけど」
「はいはい。労災の関係ですよね」
「あらっ、あたしったらおんなじ事言っちゃったかしらん」
「ええ、まあ」
「嫌だわあ、歳とるとこれだもんねえ」
「大丈夫ですよ、店長。まだまだ若いですよ」
「ううん、ありがと。ミサキちゃんったらお上手。それより明日もよろしくね。もう予約入ってるから」
「あ、そうですか。わかりました」
時間は午前三時。
(明日って言っても今夜だろ)
と心の中でつぶやきながら、私は外に停めてあるタクシーに乗り込みました。
◇◇◇
こんばんは。
私は『ミサキ』といいます。これは源氏名です。本名はナイショ。
歳は二十四。実年齢ですよ。これホント。
ひょんな事からこの仕事に就いてもう二年になり、指名をもらう事も少しづつ増えてきて、まあ、順調といえば順調な毎日を送っています。
以前もこの仕事をしていましたが、他の会社は待遇が悪くあちこち回り巡ってこの会社にたどり着きました。
ここは待遇が良く、控え室は広く清潔で、他の女の子達もとてもフレンドリーです。そして希望すれば通勤にタクシーを用意してくれます。
店長のおねえ口調さえ慣れればこんなに待遇のいい会社は他に無いと思い、それ以来私はここに居ついています。
ちなみに私の職業は『デリヘル嬢』。夜のお仕事ってやつですね。
まあ紹介はこれくらいにしておきまして、話を戻します。
これから語るのは、先日体験した不思議な出来事です。
ひょっとしたら、あれはただの夢だったのかも知れません。でも、ものすごくリアルで今でも脳裏に焼きついて離れないんです。
何か意味があるのかな、なんて考えたりもします。
そんな、まあ、どーでもいい話かも知れませんが、引き続き私の変な話をお聞きください。
◇◇◇
私はカバンからマスクを取り出し、装着。
面倒くさいけどルールですから、仕方がありません。
店長が呼んでくれたタクシーに乗り込み、運転手の男性に
「みどり町二丁目までお願いします」
と自宅の住所を告げました。
サラリーマン風の年配の運転手は返して来ました。
「ああ、街道沿いの六階建てのマンションでしたね」
運転手もマスクをしているので分かりませんでしたが、以前呼んだ事のあるドライバーの様です。
私は「良かった」と思いながら
「はい、そうです。お願いします」
と返事をし、シートに身をゆだねました。
タクシーは走り出し、私は白み始めた空と流れ行く町並みをボーッと眺めていました。
小気味のいいエンジン音と振動で、私の気持ちは少しづつおウチモードに切り替わって行きます。
(今日はソフトなお客さんばかりで良かったけど、何だか疲れたなあ。ごはんは、ええと、缶ビールと焼き鳥の残りがあったからそれでいいか。ああ、あのドラマ最終回だったな。ちゃんと録画出来てるかな……)
そんな事を考えているうちに、私はいつの間にかウトウトしてきました。
しばらくすると運転手の
「あれ?」
という声で私は目が覚めました。
どうしたのだろうと思っていると、彼は言って来ました。
「お客様、申し訳ありません。道を間違えてしまった様です。引き返します」
「え?」
窓の外を見ると、見たことのない森の中でした。
最初のコメントを投稿しよう!