:第二話「林檎と華」

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:第二話「林檎と華」

実った恋は熟しても鳥には食べられない。 [There are many fruits on the tree, but the ones you find are most Adorable.] :第二話「林檎と華」 df529fdb-1537-4c1d-9e4b-4378dc999d4b   ────夕月夜、旧街道をおおう葉の隙間に三日月。  旧街道の石畳を踏み、薄暮の町へ出ると夕げの香りがした。家に帰って、ご飯と天ぷらうどんを食べ、ささっとお風呂に入って髪はとかず、ぱたぱたと部屋に戻って紙袋から取り出す、淡い茶色の紙のカバーに包まれた『彼岸の小さな恋』という貴方の一部。すん、と、匂いを嗅いでみる。古いインクの匂いと木造家屋の匂い、そして、貴方の匂いが、少し、した。カバーを外し、表紙から背を撫でる。裏表紙に優しく手を置いて体温が紙に伝わってから、めくり、奥付を見るのが、わたしの癖。 「え、初版………だ?」  この『彼岸の小さな恋』には“初版”と表記されていた。この作品は発表当時、無名作家の処女作ながら話題を呼び、やがて人気作となって重版された。それなのにも関わらず、現存する冊数が少ないという事でも有名な小説だ。有志による幾度かの“再版”の働きかけもあったが、何故か重版する許可が下りなかったと聞く。そんな小説の初版。本来ならコレクションか美術館辺りに入っていてもいいはずの本を、普通の中古本に少し乗せた価格で売ってくれた。 「あの人が本の価値を知らないなんて…………無いよなあ」  どういう事だろう、と思いながら、半世紀以上前に綴られた世界への扉を開く。そこに広がる世界は学校で習った栄華を誇った時代などでは無く、人間が裕福を貪る中で、彼岸の獣が泥水を飲んで空腹を満たす社会。そんな社会で、ある人間の女性と、ある彼岸の獣が出会う。ふたりはひと目で恋に落ち、紆余曲折ありながらも恋を愛に深めていくのだ。名著と謂れるだけあり『彼岸の小さな恋』は、悲恋と悲劇、それらを救うには足りないが、温かな気持ちを描いた文章で混沌とした世界に彩りを加えていた。  物語を読み進める次のページ、次のページ。めくるたびにモノクロの社会と彩り溢れるふたりの想いに、胸が締め付けられていく。これが執筆された時代は、今より想像が出来ないくらいに差別があった時代だ。ましてや、人間と彼岸の獣の恋なんて以ての外だっただろう。作中に出てくる差別や卑劣の類が、物語の為に用意されたのだとしても、辛く、ましてや、実際にどのような事が行われていたのか想像を絶するどころか、わたしにとって想像の及ばないところにある。 「りんごー?ねえ?りんごー?」  純粋な物語への想い、純粋なふたりの愛。その向こうから覗かれる純粋ではなかろう恋を多くしてそうな友人の顔。せっかく、時代を越え、想い馳せていたというのに、この顔が視界に入れば一気に冷める。機嫌が悪いですよ、と伝える為に、あからさまに本を、ばんっ、と閉じ、眉をひそめた。 「至福この上ない読書中になんだろうか?華子くんっ!?」 「ちょっと、聞いて欲しい事がねー」  新校舎と旧校舎を繋ぐ渡り廊下で、華子の話を聞いてやっていた。全く、この女は、また新しい恋をコレクションしようとしているらしい。その口からすらすらと出てくる甘々の言葉たちは、三週間前に「大失恋だよう!!」と泣き喚き、ミックスジュース一杯だけの奢りで、わたしを喫茶店に五時間も拘束した女のものとは思えない。へえ、そうなんだ、ほお、それからそれからーっ、と、適当に相槌を打ちながら中庭を見る。ああ、確か……あの初代校長の胸像は夜中になると、下半身を探して校内を彷徨い歩くとかいう噂があったな。そんな鏡像の前で、もじもじとしている一組の男女は恋心を打ち明けようとしているのかな。そこで告白すると、どちらかが爆ぜ、恋が叶う事がないという伝説を…………暇潰しに、今作ったよ。さあ、爆ぜろ。 「ねえ!?りんご!りんごってばっ!私の話、聞いてんのっ!!?」 「あー……はいはい。キイテマスヨー」  どうせ、華子の話は前回、前々回、はたまた一年前、五年前と同じでしょうよ。そんな言葉と感情のテンプレートを聞くのに、何の意味があるのか。 「で?どうなの?あの獣とは?」 「はい?」  彼女の話は前後編に分かれていて、“惚気話編”と“わたしの恋を心配している編”の二本立てだったらしい。 「どうなの?……って、言われてもなあ」  そう、どうにもなっていないから答えようがない。強いて言うなら「何も無かった、みたいにされているかなあ」だ。この言葉を聞いて「うわー…………この女、マジか」と顔を引きつらせる華子。彼女曰く『恋は盲目』だと言い、脳が自分にとって都合の悪い情報を理解しにくくさせているのだと教えてくれた。つまり、貴方の行動はわたしに対して遠回しに“お断り”している優しさらしい。 「いやっ?お断られていない。そして、それは優しさじゃない」  半笑いで、ため息を吐かれ、肩に手を置かれる。極至近距離から哀れむ目で見つめられて「いいかい、りんご。それはお断られていて、あんたが傷付かないように取った大人の対応なんだよ」と子どもに言い聞かせるように言った。……あれが大人の対応?大人なら想いを伝える言葉に対して、しっかり言葉で答えるのが大人なんじゃないのか。 「だから、りんごさんは子どもなんだよ………」 「誰が子どもか。身の丈ばかり伸びて、お胸が育たない華子くんがよく言いなさる」  ごっ!と頭の上に“ぐー”で握られた華子の拳が落ちていた。  掃除の時間、じんじんとする頭頂部の痛みに耐えながら、教室をほうきで掃くわたしと隣に立つ華子。それは彼女のわたしに対する嫌がらせだ。わたしは…………びっくりする程に身長が伸びない。牛乳もよく飲む、小魚もよく食べる。なんなら、人の目を盗んで公民館にある『ぶら下がり健康器』なる物に半年間欠かさず、ぶら下がってもみた。それなのに身長は伸びずに、お胸ばかり大きくなるという残念さ。しかし、この悩みを話すとヒンシュクを浴びるという不条理。 「そんな近くに立つな、邪魔だ。ノッポさんめ」 「じゃあ、りんごはゴン太くんだ」  くそぅ、昔から華子には言葉では歯が立たない。小学二年生の時に出会ってから、いつも、ほんの少し上を行かれる。筆舌に尽くしがたい歯痒さ。はっはっはっ、と、わざとらしく笑って長身を活かし、低身長組であるわたしの頭を「よしよし」と撫でた。んごっ、んごんご、んご、と鳴いて、おにぎりを頬張ってやろうか。ノッポさんめ!  チャイムが鳴り五限目が始まると、今度は眉間に日本海溝が出現したようなシワと、地殻変動で大陸間が近付いたくらいに眉を寄せた。子どもの頃から“本の虫”だというのに、何故か古文が苦手だ。突然、行われた小テストのプリントが照れちゃうくらいに見つめても、プリントは何も答えてくれやしない。諦めというやつが、隣の席にいる華子に視線を向けさせる。椅子の背もたれに、背中をつける事なく姿勢良く座り、美しい所作から滑る字は見本のように美しい。長い髪は光が当たると赤くなる不思議な赤毛さん。彼氏さんが季節毎に変わるから、その印象で遊んでいる系女子高生の烙印が押されているが、実は物凄く一途で尽くす系女子。ついでに勉強も恐ろしく出来るときた。つまり、遊んでいる“風”の優秀な女子高生なのだ。それに比べ、わたしといったら華子の半分くらいの性能しか持たない。……ん?あれ?そういえば、どうやって友達になったんだっけ?誰よりも目立ち、老若男女問わず人気のある華子が小学生の時………二年生の時から新聞を四分の一に、そして、そのまた半分に折って読む“電車の中のおじさんスタイル”だった事しか思い出せないや。 「時間だー。後ろから集めろー!」  あ。わたしの古文、解答穴だらけ。  指揮官に伝令です。小テスト戦線は全滅したよ。 ………………………… 実った恋は熟しても鳥には食べられない。 [There are many fruits on the tree, but the ones you find are most Adorable.] :第二話「林檎と華」おわり。
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