不信

1/1
前へ
/3ページ
次へ

不信

 ロンと夕食。宅配ピザを食べる。味がしない。ピザ生地の食感だけが口の中に残る。味のしないピザをビールで流し込む。下腹部の「メスブタ」が気になって会話も耳に入ってこない。  文字が書いてあるだけでも気持ち悪いのに、メスブタって何?従順なふりをして私のことを馬鹿にしてるの?許せない。何か言わないと気が済まない。 「華さん聞いてます?」 「え?」 「僕は華さんを一目見たときから顔がものすごく好みだったんですよ」 「そうなの?」 「華さんは僕を見たときどうでした?あ、婦女暴行犯だと思ったんですよね?」 「ああ、まあそうね」 「失礼だよなぁ。あんな夜遅くに誰もいないところで寝ていたのを助けたのに」  ロンは呑気に笑っている。  私の顔が好み?ロンのその告白のせいでメスブタの件は一旦休戦となった。私の戦意は喪失してそれどころではなく、もっと私に愛情を注いで欲しいと思った。 「10歳ほど年下の男の子に顔が好みだなんて嬉しすぎるよ」 「で、僕はどういう印象でした?婦女暴行犯以外で」 「そうね、シュッとした若者。私の職場にこんな若者いないし、絶対関わることのない若者。そんなところかな」 「随分さっぱりした感想ですね」 「男性とは関わりがないっていう負い目が強いのよね。諦観してるのかな」 「でも華さん昔は綺麗でしたよね?」  昔は?今だって綺麗なつもりよ。男を何人も取っ替え引っ替えしてるのよ。心の中で激しく叫んだ。でも彼には男性経験が無いと偽ってるから、正直には言えない。心の叫びを飲み込んだ。 「綺麗?昔も今も綺麗なんて言われたことがないから嬉しいわ」ムッとしたが、無理やり笑顔を作った。  若い男は女性に対する礼儀をまだ心得ていないとは思っているけど、わかっていても男の無礼は私のプライドを切り刻んでくる。 「本当に不思議なんですよ。華さんみたいな人がどうして男性に縁がなかったのか」  余計なお世話。あなたには隠しているのよ。だんだん苛々が増してきた。そうよ。ロンはメスブタって書いた張本人のはず。問い詰めるしかない。 「あのさ」 「華さんって男勝りなところありますよね?一般的によく言うじゃないですか。男って馬鹿だから、男勝りとか女っ気がない人より、可愛らしくてか弱い女の子の方が好きになりがちって。でも僕は男勝りな人の方が本当は女っぽいと思ってます」  メスブタの件、休戦延長。  確かに私の周りもそうだ。  ボディータッチ多め女。イケメンばかりじゃなくてキモいおじさんにもタッチしろ!  背が小さくて常に上目目線女。「ああいう子、守ってあげたい」じゃないよ、バカ男!ああいう女ほど逞しいんだから。放っておいても上手くやるわよ。  露出多めのフェロモン噴出女。皆お前を見てるんじゃなくて女の体を見てるんだよ。お前じゃなくて残念でした。 「僕の数少ない友達がいるんですけど、皆そうでした。サバサバしている人よりか弱い女の子。僕だけ昔から気が強くてサバサバしている人が好きなんですよ」 「昔からそうなの?」 「そうです。そして、そういう女性をいたぶってみたい、蔑んでみたいという欲望が人一倍強いみたいなんです」 「え?」 「華さんのお腹にメスブタって書いたのもその欲求の一つで。どうですか?僕に蔑まれている感じは」  やはりこの男だった。どう言い返せばいいの?馬鹿にしないでよと言ってこの家から出ればいいだけじゃない。でもこの男を手放したくない。契約とは言っても恋人になってくれている。私は彼より一回りほど年上。少しくらい彼に歩み寄ってみてもいいんじゃないか。普通の恋愛がしたいって言ってた人間の所業じゃないわ。 「蔑まれるのは嫌だけど、メスブタと言われたら確かにメスブタかもしれない。否定はしない」 「メスブタ扱いしてもいいんですか?」 「え?駄目。やっぱり私、メスブタじゃない」  ロンは頭を私の顔に寄せた。そして自分の耳を私の口元に近づけた。 「誰も見てないんだから思う存分僕の耳を舐めまくったり噛んだりしてもいいですよ」 「あなたに蔑まれてムードもクソもないんだから、いくら耳を突き出されたって変な気を起こすことはないわよ」  しかし私の喉はゴクリと鳴る。 「華さん、我慢しないで」ロンはそう言いながら楽しそうに私を見ている。  私はロンの耳を見ないように顔を背けた。しかしロンは執拗に耳を向けてくる。私の体は火照ってくる。思いのままにしていい耳が目の前にあると思うと、欲望が抑えきれなくなる。  私は頭が真っ白になった。目の前が砂嵐のようになり脳がフワフワした。そして。  ぴちゃぴちゃぴちゃ。じゅるじゅる。  気がつくと私は目の前の耳に貪りついていた。 「うわ、下品なメスブタですね」彼が蔑む。 「メスブタは止めて」私は一瞬しゃぶりつくのを止めてそれだけ言ってからまた耳にしゃぶりついた。 「ごめんなさい。でも華さん、ものすごく下品でだらしないですよ」 「話しかけないで。耳に集中させて」  私は気が済むまで無心に耳をしゃぶり続けた。ロンはそんな私を楽しそうに蔑んだ目で見ていた。  私の愉悦も佳境に差しかかったところで彼が私の顔を制した。 「何?」 「もう終わりです。十分楽しんだでしょ」 「まだ終わってないわ」 「そういうのは僕が決めるんです。これ以上やりたいのならやらせてあげますけど、これを最後に金輪際耳を差し出しません」  そう言って彼は私の目をじっと見て「いいですか?」と確認した。 「わかったわ。じゃあ次はいつ?」 「そうですねぇ。明日の華さんが東京に帰る直前ならいいですよ」 「明日の朝は駄目?」 「朝からやるんですか?仕方ないなぁ」  きっと彼はわざとやっている。わざと私の目の前に耳を突き出している。  犬のおあずけの状態と一緒。疼いている舌が口元から出そうになる。 「ちょっとでも触れたら駄目です。耳を差し出しません」 「わかったから。ロン君、私の目の前に耳を寄せてこないで。邪魔だから」 「すみません。じゃあ明日は是非とも僕の耳、たっぷり舐めてくださいね」  それを聞いて私の呼吸が一段と荒くなる。  落ち着いて。明日まで待てばいいだけじゃない。目の前の耳は一旦忘れよう。自分に言い聞かせた。 「明日。明日よね」そう言って私は声に出して自分に言い聞かせた。でも駄目だった。 「明日まで待てないからもう少しだけ舐めさせてよ」  私は自分を抑えきれなかった。自分が何を言っているかわからなかった。 「じゃあ華さんに恩情をかけましょう。これから僕の下僕になってもらいます。それならもう一度舐めていいですよ」  彼は笑顔で言う。 「何をするの?」 「いつどこにいても僕の言う通りにしてもらいます。公衆の面前で耳をしゃぶれと言われたらしゃぶるとか」 「そんなの無理よ」 「じゃあ我慢してください」 「我慢するわ」私は疲れ切っていた。欲求を満たせると思った矢先に直前で止められることは、どれほどストレスか。どれほど筋肉を硬らせているか。 「もう限界。欲求を抑えるのに疲れたわ」と言って私は目の前にある耳を一瞬舐めた。 「もう満足。寝るわ」 「ちょっと待ってください」怒声のような声でロンは私を制した。 「駄目じゃないですか。約束破っちゃ」 「ちょっとだけじゃない。もう寝ようよ」 「下僕になってもらいます」 「わかったから、そんなに怒らないでよ」 「約束ですからね。これからは僕の下僕として生活してもらいます」 下僕って何?公衆の面前で耳をしゃぶれって私は確かに恥ずかしいけど、しゃぶらせてるロン君も恥ずかしいじゃない?他に何をするの?屈辱的なこと?体に侮辱的な文字を書くとか?それくらいなら我慢できる。とりあえず寝よう。  朝、目が覚めた。 「ちょっと、これ何?」  私は首輪をつけられて、リードは柱にくくりつけてある。 「おはようございます。華さんにはこれから僕の動画に付き合ってもらいます」  目の前でロンはスマートフォンを三脚に固定している。 「動画に?」 「そうです」 「下僕の件は?」 「これからです。下僕というよりペットとして僕の動画に出てもらいます」 「ちょっと待ってよ。私がペット?「わをんのん」に私がペットとして出る?何言ってんの?」 「ペットの動画って、再生回数稼げるっていうじゃないですか。それに視聴者の癒しになると思うし」 「動物ならね。でも私はおばさんだから。ペットじゃなくて、ただのおばさん。誰も癒されないわよ」自分で言って虚しくなる。 「じゃあ撮りますね」 「ちょっと、こんなの犯罪じゃない」 「大丈夫です。顔は加工してわからないようにするので」  私はこの常軌を逸したこの会話に寒気を感じた。でもここから逃げたいというわけではない。なぜなら、これを我慢すれば耳を舐められるのだから。  やはり私はロンのことをどうこう言えないくらい狂っているのだ。抑えることのできない強大な欲の波動。他人とは違う悪趣味な愛情表現。こんな私でも、彼なら愛してくれるかもしれない。本当の恋愛に発展するかもしれないなら彼の趣味に付き合おう。きっと少しの間だから。 「本当に加工するのね?私ってわからないようにするのね?」 「はい。僕、犯罪者にはなりたくないし、華さんのこと好きだし。だからモザイクかけます」 「でもちょっと待って。『わをんのん』の視聴者がこんな馬鹿馬鹿しい動画を好むはずがないわ」 「大丈夫です。別のアカウントでチャンネルを作ったので」 「夜中に紹介動画を一人で撮ったんです。耳好き女子をペットとして飼うことになりました。僕の耳をベロベロ舐めるんですっていう紹介をしたら再生回数がすごいことになって。皆楽しみに待ってますよ」 「それでロン君が満足ならやるわ」私は承諾した。開き直ったというより欲望に勝てないからだ。 「まず僕が華さんをペットとして紹介するので、スマートフォンを見てください。その後は僕の耳舐め放題です」彼は狂気の笑顔を見せている。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加