10. 穏やかな日々

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10. 穏やかな日々

玲に初めて会った日をはっきりと覚えている。 郁美と一緒にかわいらしい声で「よろしくお願いします」と言ってくれた。 住居も学校も変わって、期待と不安を滲ませていた。 玲に拒絶された日のことも覚えている、郁美と結婚したいと告げると突然よそよそしくなった。嫌われたと思っていたのに、保晴を伴侶にと選んでくれたことは、驚くと同時に喜びでもあった。玲を必ず幸せにしなくては心に誓ったのだ。 初めて玲を抱いた日のことも忘れられない、まっさらな幼子を大事に抱いた、可憐な小さな花を摘み取ってしまった──いや、これは忘れたほうがいいだろう、光輝に申し訳ない。光輝も玲もその事実を受け入れて、今なおそばに置いてくれていることがありがたい。 後悔はただひとつ。自分が玲を幸せにしたかった。玲が望む家族を作ってやりたかった。それができなかったがために、玲はするりとこの腕からいなくなった──いや、これでいい、玲は年相応の相手と恋をして結婚をして、幸せな家庭を築いているのだから。 「じーじ!」 元気な声に呼ばれ、はたと目を開けた。ソファーでうたた寝していたらしい。 目を開ければ、まもなく2歳になる玲の息子・琉唯(るい)が、くりくりと大きな瞳で保晴を見上げている。 実際には保晴は戸籍上でも類の祖父ではない、だが便宜上そう呼ばれていた、光輝も「お義父さん」と呼んでくれる。玲は変わらず「やっくん」だ。 「こえ、おんーで!」 これ読んで、と持ってきたのは光輝も持ち物の医学の参考書だ。いつも父が読んでいるのを知っているのだろう、大事なものだと思っているのかもしれない、父の目が離れた隙にとでも思ったのか、分厚く重い本をよく持ってきたものだと、琉唯の頭を撫でながら保晴は笑顔で応える。
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