配達員

2/4
前へ
/4ページ
次へ
「まずはお風呂だな」  風呂場の洗面台の前に座った私は、前髪で隠して手入れをさぼっていた眉を整え、顔の産毛を綺麗に剃った。そして、いま人気の染粉を伸ばしっぱなしの黒髪にたっぷりと塗り、有名モデルおすすめの入浴剤の入った湯船に浸かりながら染めた。高級馬油のシャンプー、コンディショナー、ボディソープで全身の汚れを落とし無駄毛も剃り、風呂上がりには一本一万円以上するスキンケア用品を浴びるように肌に叩き込み、極め付けに某人気女優愛用らしいボディクリームを全身に塗った。  その後、顔に金粉パックなるものを張り付けたまま、荒れて皮が年輪のように厚くなったり、ささくれだらけの指先をネイル用品で削って整え、いつもなら絶対に選ばない大粒のラメ入りの真っ赤なマニキュアを手足の指に塗って、それが乾いたらコスメサイトで人気だった二千円もするハンドクリームを丹念に擦り込んだ。  風呂上がりから洗い流さないヘアパックをしていた髪を乾かすと、上品なブラウンに染まっていた。 「ボディーはこんなもんかな」  開けた段ボールを次々畳んでいく。この中のいくつくらいが山田さんが運んだ物だろうか。配達員の顔など一度も見たことなんてなかった。  もともと貯金なんてそんなに無かったが、全財産注ぎ込んでいろんな物を買った。部屋のクリーニング代を残しておくなんて格好つけなことはしない。弟ばかり可愛がっていた両親が払えば良いのだ。  細々した段ボール箱を片付けた私は、少し大きめの段ボール箱の封を慎重に開けた。入っていた服を、ブランド名入りのハンガーごと取り出して息を呑んだ。 「思った通り。なんて綺麗なドレス」  カーテンレールにかけて隅々まで観察してみる。シャンパンゴールドを基調としたノースリーブのマーメイドドレス。前身頃には繊細かつ豪華なビーズやクリスタルを織り交ぜた刺繍が施されている。後ろ身頃は背中の半分辺りまでぱっくりと開いていて、そこにゴールドのチャームが揺れている。   最期に着る服はこれが良いと一目惚れした。ブランド物の注文受注限定品で、わざわざ採寸などしなければ買えないような品物だが、フリマアプリに出展されていたのだ。サイズをチェックすると、胸を詰める以外は問題なさそうだったので買ってしまった。こんな上等なドレスをフリマアプリで売るなんて、まったくどんなお金持ちだか知らないけれど、今回ばかりは感謝だった。  「涙姫のドレスのイメージにピッタリだ」  私の大好きな物語に出てくるお姫様。悲恋を苦に水へ還ってしまうのだけれども、美しいドレスを身に纏い宝石の涙を流しながら沈んでいく様を描いた挿絵には心を奪われた。  私もどうせ死ぬならあんな風に美しく死にたい。そう思わせてくれた山田さんにも改めて感謝の感情が湧いてきた。彼が来なければ、自暴自棄で買うだけ買って、一つも封を開けずに見窄らしい姿で死んでいただろう。  私はドレスをハンガーから外すと、背中のファスナーを下ろし、身体を滑り込ませた。しっかりとしているのに柔らかいシルクの質感に驚きながら、低い位置のファスナーを難無く閉める。マーメイドドレスなのでたっぷりフリルの足元は窄まっているが、中にスリットが入っていて意外にも歩きやすかった。動く度に冷りと背中に触れるチャームも嬉しかった。 「完璧。着る物着れば私もそれなりに見えるのね」  姿見でじっくりと変身した姿を堪能した後、これも数日前に届いた、安いけどそれなりに見える猫足のソファーに腰掛けた。クッションも一つおまけに付いてきた。  私はこんな暮らしがしたかったのか。可愛い物に囲まれて、自分を丁寧に手入れする。自暴自棄の買い物に見えて、実は自分のなりたかった姿が見えた気がして少し胸がざわついた。  思考を掻き消すように、胸元から体温で温められたボディークリームの優しい香りがのぼってきて、心地よくて眠くなってしまった。重くなった腕を何とか伸ばして、机の上に放っていた本の包みを開けてソファーに横になった。通販の包みはこれが最後だ。  『自殺全集』表紙を見ての通り、実話をもとにしたいろいろな自殺方法が載っている物騒な本だ。  にしても、もう頭が回らない。とりあえず買っておいた鎮痛剤を大量に飲んで、腕を切って死のう。手首ではなかなか死なないらしいし、腕の太い血管を、あの通販で買った世界一切れ味のいい包丁で。  もう凶器は風呂場に置いてある。   あやふやな頭で適当な自殺プランを練った私の思考は、ボディークリームの香りに侵されて深い眠りへと落ちていった。        
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加