配達員

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 帰宅直後の部屋にインターホンの音が響き渡った。追いかけるように、宅配ですと聞こえた。居留守防止なのか、最近の配達員は皆、インターホンの後に一言添えてくるような気がする。仕事着を脱ぎ捨てたばかりだったので、下着姿のまま通話ボタンを押す。 「はい」 「宅配便です」 「ちょっと待ってください」  おそらく通販で頼んだ本が届いたのだろうと思い当たった。朝脱いだままにしていたパジャマに急いで袖を通し、ドアを開けた。 「佐藤綾さんですね?サインお願いします」  私はペンを受け取ると、サイン欄を見失ってしまって、配達員にここですと指し示された場所に署名した。いつもこうだ。私は鈍臭い。些細な事だけれど、物凄い自己嫌悪を感じるのは私だけだろうか。  ボールペンとサインした用紙を返そうとすると、ふとこんな言葉を掛けられギョッとしてしまった。 「佐藤さんはいま幸せですか?」  私は咄嗟に山田と書かれたネームプレートを確認し、すぐに私の視線を追っていたであろう山田と目が合った。山田の顔はとても柔和で人の良さそうな微笑みを浮かべていて、わたしはつい思ったままに答えてしまった。 「ええと、差し当たって不幸ではないと思います。」 「そうですか。それは良かった」  山田は一層にっこりと微笑むと、ありがとうございましたと言って颯爽と去っていった。  私はドアの鍵を閉め、いつも通りチェーンまでかけて部屋へと戻り、届いたばかりの本をテーブルへ放り、立ち尽くしたまま泣いてしまった。カーテンの隙間からは去って行くトラックと、その後から近所の豪邸の坊ちゃんがボルゾイを連れて通り過ぎて行った。  やっぱり思った通りだ。自分に優しく、自分を大切にした分だけ世界も私に優しくなるのだ。他人からすれば、ただ運送業者の配達員が気まぐれに声をかけ、微笑んでくれただけの事かもしれない。でも、私にとっては重大な事だった。   私は明日、自殺する。  私の生きている世界に、なぜか私の居場所はない。上司は絵に描いたようなパワハラ野郎だし、気の合う同僚などいない。ただただその場凌ぎの会話を繰り返し、一緒になって上司の愚痴を言い合っても、結局ターゲットになっている私を盾に、空気のようにやり過ごそうとするヤツばかりだ。  私は今日仕事を辞めると決めた。最大限に自分に優しく、自分を大切にする行動だと思う。明日になればきっと、会社に来ない私に上司からヒステリックな電話がかかってくるだろう。その時言ってやる。  これから私は死にます。恨みます。  想像しただけでスッとする。その時に慌てふためいたって無駄だ。絶対に死んで、あいつらに後悔させてやる。私は仕事着を引っ掴むと、乱暴にゴミ袋に突っ込んだ。  しかし、ふっと、山田さんに悪いな。なんて不思議な考えが頭に浮かんだ。私でない誰かなら、もっと取り返しのつく誰かなら、思いがけない彼の優しさに癒され、もう少し頑張ってみようと自殺を思いとどまったのではないか。  せめて出来うる限り、美しく死のう。最後に優しさをくれた配達員、山田さんに敬意を払って。  私は宅配便の包みでいっぱいの部屋を見渡した。    
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