閑話休題、他人事

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「ママー!あのケーキたべたいー!!」 「またチョコミント?この前の誕生日もチョコミントだったじゃない、クリスマスは他のものにしたら?」 「やだー!チョコミントすきー!!」 「あらあら……それじゃあ、晩御飯は塩焼き鮭でも良ーい?」 「えー!?クリスマスだよ、チキンがいいー!!」 「だってママ、塩焼き鮭が好きなんだもーん」 「ぅー……じゃあ、いいよー」 「ありがとう。……あ!それじゃあ今日は、パパの好きな梅昆布茶も買おっか」 「うえぇ……でも、パパの好きなもの……」 「ふふ、パパの好きなものも買って良ーい?」 「うぅー……いいよ!みんなのすきなものたべるー!!」 「うん、皆で食べようね」  街灯に照らされながら穏やかな笑みを浮かべている親子とすれ違い、今日のことを思い出す。クリスマスは嫌いになった。“時間は心の傷を癒す”なんてよく聞くが、時間はより一層傷を深くするだけだ。どんどん醜く、収拾のつかないほど荒ぶるものになっていく。どうしてあの家族は笑っているのか。どうして俺は彼女と一緒ではないのか。他人への妬みや僻みばかりが、ふつふつと喉奥から湧き上がってくる。『俺はこんなに苦しいのに、なぜお前達はそんなにも幸せそうなんだ!!』と、親子に叫びながら包丁を待って振り回したい気分になる。 (まあ、包丁持ってないけど)  大きく息を吐き出し、そのまま足を自宅へ向ける。今日は会社の前に出したクリスマスツリーにオーナメントを飾り付ける作業をしたからか、身体の節々が痛い。積もった雪を表現したはずの白いもふもふは、張り切ってツリー全体に点在させたせいか、同僚に『雪ではなくケセランパサランのようだ』と評された。それらが本当に“幸せと呼ぶ”という都市伝説上のものであったら、どんなに良かったか。またそんな、どうにもならない願望じみた思いが胸に浮かび、眉を顰めさせた。  こんなことを思ったって、現実は変わらない。他のことを考えて、自分を誤魔化さなくては。本当に、気が狂いそうだ。  ……そういえばオーナメントを飾り付けている時に、先ほどすれ違った子と同年齢くらいの子どもが通りかかった。その子は『ふうりん』と何かを指差しながら小さく呟き、そのまま近くで優しい笑みを浮かべていた男女の元へ駆けて行った。あの時は何のことか分からなかったが、思い返すとオーナメントの中にプラスチック製のベルがあったはずだ。もしかしたら、ベルを風鈴と思ったのかもしれない。冬の飾り物を夏の飾り物だと思い込む子どもの発想は、不思議でおもしろい。  俺には子どもがいないから分からないが、きっと世の中の親子は毎日が楽しみで溢れているのだろう。子どもが成長して、いつの日か“あれは風鈴ではなくベル”という事実が分かるようになった時……親は大きな声で笑いながら思い出を語り、子どもはそれを恥ずかし気な笑みを浮かべて聞くのだろう。
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