第2話 だれがガチョウを盗んだか?

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第2話 だれがガチョウを盗んだか?

 自称・探偵修業中のしずかに依頼?することになった「郡司家宅配便盗難事件」は、もともと僕の祖母、克子に持ち込まれた話だった。    元婦人警官という経歴のほか、高齢女性の中ではしゃきしゃきして聞き上手のため、祖母のもとには、年寄り仲間からの悩み相談がときどきある。  その日も、家に帰ると部屋の中から大声がした。こっそり居間をのぞくと年配女性がひとり、大げさな身振りをしつつ祖母と母を相手に話し込んでいた。  間違いない、郡司先生だ。髪は白くなっても大声はかわらない。    祖母が属する高齢者声楽サークルにおける友人、郡司裕子さんは同時に僕の姉にとって幼稚園における担任の先生でもあった。  実はあとから僕も同じ幼稚園に入ったのだが、その時点での彼女は副園長先生に肩書きが変わっていて、姉の時ほどの関わりはなかった。  軽い苦手意識もあった。明るく活発、大変なおしゃべりの郡司先生に対し、引っ込み思案の小児だった僕はいつも気押されていた。憧れた先生は幼稚園に何人もいたが、そろってもっとしっとり系の先生だった。    だが、目も耳も衰えを知らない祖母は僕を逃さなかった。  呼ばれて顔を出すと、郡司先生は「ますます大きくなって」などとお決まりの台詞を述べたが目が赤い。なんかすごく気まずかった。  祖母はもじもじする僕に、テーブルに残ったケーキを「どう?」と示した。普段は子供がよその大人との話に首を突っ込むのを喜ばない人物である。  珍しい態度に警戒しつつ、茶色いクリームから目が離せないでいると(実はモンブランが好きなのだ。ちなみに青鷺しずかも)すかさず祖母が、 「ねえ、宅配便のトラブルってこのごろ多いんでしょ」と聞いた。なんかずるい。 「それは、世の中にあれだけ通販番組があるんだから、当然の結果」と答えると、「最近盗難の話ってなかった?」と今度は母が聞いた。 「それ、置き配のこと?」と聞いたのが悪かった。専門用語を知っていると誤解され、姉の夏樹が不在だったせいもあって、僕はそのまま郡司先生の困りごと対策委員会に引き摺り込まれてしまった。 「郡司さんには息子と娘がいて、どちらも親御さんとは離れて家庭を持っている」しずかが確認した。 「そのとおり」  イヤイヤ聞かされた話によると、郡司先生は子供それぞれの配偶者、とりわけ息子の嫁とは当初から反りが合わなかった。加えて数年前には孫の進学問題に関し意見の齟齬が表面化し、それ以降「かるい緊張関係」にあった。しかし、お嫁さんもその状況はずっと気にしていて、ときどき関係改善を図る試みも行われていた。  なぜなら、僕の出た幼稚園の石田園長先生は郡司先生の姉にあたる。つまり学園オーナーの一族というわけだ。そして先生の夫君はある企業の役員として、まだ現役で働いていた。自己及び子供たちの将来を考えると、経済的に余裕ある義両親と緊張関係のままなのは得策ではないと嫁とその実家は考えた。郡司先生はそこまで露骨ではなかったが、言わんとしたのはそういうことだ。 「それでお取り寄せセットを送ったわけ」しずかはちらっと笑った。「私もどんなのか見たい」 「おそらくあれは…」僕は欧州の有名紅茶店の名を挙げた。  それはさておき、お嫁さんは義母の喜びそうな高級紅茶のお取り寄せセットが、たまに見る通販サイト上に掲載されたのに目をつけ、先々月と先月、2回にわたってお茶請けセットと合わせて配達を手配した。  ところが、受け取った記憶は先生になく、それどころか送られた事実すら知らなかった。そしてお返しはもちろん、礼の電話ひとつなかったのを、息子が軽く愚痴ったことから問題が表面化した、気に入りの孫、翔太の誕生祝いを兼ねた席でのことだった。 「知らなかった」と強く主張する先生の態度に、ついに嫁は声を上げて泣き出し息子は苦り切った顔をし、そして先生の夫は多忙を盾にあいまいな態度に終始した。しかし間違いなく送ったことについては、ネット通販の手続きを下請けした孫の翔太が「確かだよ」と、保証した。  事実はともかく、郡司先生自身の気分は落ち込んだ。最もつらいのは翔太に疑いの目を向けられたことだ。  そこで、今度は先生が自分の娘に頼み、迷惑をかけた孫へのわびという名目で、大人気かつ孫の欲しがったある電気製品を、どうにか購入してもらった。 「製品の正確な名称はぼかされたけど、ゲーム機だと思う」 「孫、それも末の男の子に甘い、教育者らしからぬ祖母との自覚があるせいかな。孫の歳いくつだっけ。ゲーム機なんか贈るなよ」  とにかくゲーム機は、いったん先生の家に届くよう発送を頼んだという。直接持参しようとの考えもあったためのようだ。  ところが、先生をさらなるトラブルが襲った。娘宅のパソコンに発送・配達の知らせは残っているのに、商品は手元に届いていない。業者に問い合わせたが、当然ながら確かに配達したとの返事がきた。 「先生はハンカチを手に言ったんだ。『わたし嫌になっちゃって。こんなとき主人は助けてくれないし。むかし義姉にわたしが意地悪された時も、全然かばってくれなくて、それを思い出したらやりきれなくなって。だって、あの人だって関係は大有りなのに』って」 「それで悟は、仮にも先生と呼んだ人の生々しい告白に、衝撃とかすかな嫌悪を感じたわけ?」 「そう」 「でも、助けになりたいと真剣に願ったのも事実?」 「そう。唐突に思い出したんだよ、僕の作ったひどい粘土彫刻を、ただ一人副園長先生が絶賛して下さったんだ。あの時は親も姉ちゃんも若い先生たちまでがそろって渋い顔をしたのに、先生だけが味方だった」 「そりゃあ、なんとか、手を貸さないとダメやな」  いやに嬉しそうにしずかは言った。    あとで聞いたところでは、郡司先生は近くの派出所にも一応出向き、相談という形で話を聞いてもらったようだが、担当者に難があったのか、先生側の態度に問題があったのか、それともはなから事件性が薄いと見られたのか、願ったほど真剣には取り合ってくれなかった。  そして先週の土曜日、行きつけの総合病院において僕の祖母がふたたび聞いたところによると、先生は依然として陥った状況を悲しむのみ、かつての明るさがますます失われているそうだ。  しばらく月をあおぐと、急にしずかは聞いた。 「郡司って人の家には、宅配ボックスがあるんよね」 「そうそう。ちゃんと鍵がかかるそうだよ」 「鍵の形式は?」 「機械式か電子ロックかってこと?悪いけど、調べきれてない」  種類があることはネットで調べたが、郡司家の実調査はまだだった。 「なら」しずかは腕を組んだ。レオが少し気配の変わった彼女を見上げている。 「ちょっくら、見に行ってみるか」 「え、今日、いまから?」 「アホ。箱入り娘の私がそんなことするか。今度の土曜」 「へー」 「あ、ん、た、も、いっしょ」彼女は念を押して言った。 「えっ」 「当然やろ。もし凶悪な犯人がおって、現場に戻ってて私を襲ったらどないする」 「…レオがいる」 「アホか。こんな可愛い子にそんな危ない真似、させられるか。悟が私を守るの。何のための痛くて辛い空手や」
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