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老いた宝石猫 ヒルデ
薄暗い部屋の中央、まるで王妃のベットのようで高い台の上には幾重にも重なった毛布、何本もの管に繋がれ、ぐったりと横になっていたのはとても美しい猫、ヒルデでした。
長く細い体は金色の草原のような色で毛は短く、尻尾はすらりと伸びています。
「おや、珍しいこともあるものだ。」
二匹の姿を見ると深緑の双眼を細めます。
「ネズミが猫を引き連れて来るとは」
アルビンは頭の毛を掻きながらなんとも歯痒そうにヒルデの元へ歩いていきました。シャーリーに台の下で待つよう告げアルビンはまたするすると台を登っていきヒルデの口許にミルク差しを置きました。
「あの、どこか悪いのですか?」
恐る恐る聞くとヒルデは朗らかに笑いながらシャーリーを見つめます。
「もう寿命なんてとっくに尽きているのに生かされている。それだけだよ。」
「…それはとても辛いことなの?」
「そうだねぇ、こんな体で生きてなんになる。私は屍も同じだ。食事を取ることも、走ることも飛ぶことも出来やしない。鉛のようなこの身体が早く朽ち果てる事を願っているよ。」
悲しげに見つめたのはシャーリーでした。
「そんな顔をして憐れまないでおくれ。
私はもう十分に生きて、願うことは一つだけなのだから。」
アルビンは二匹の会話を聞き流しながらミルク差しに液体を入れかき混ぜています。餌をふやかしているのでしょう。
「あの、あなたも宝石猫なの?」
ヒルデは大きな瞳を一度だけ伏せて応えます。
「それなら、お母様や兄達の行方も分かる?」
もう一度、ヒルデは瞬きをします。それを見たシャーリーは生き急ききって家族の事、あの悪夢のような出来事を話しました。
「お願いです。どうしたらまた会えますか?みんなはどこに行ってしまったの?教えて下さい!」
シャーリーの懇願にヒルデは瞬きを返しません。アルビンがかき混ぜ終わった餌から手を抜くとヒルデはホッと息をつきました。
「小さなお嬢さん、私はあなたの家族のことは分からないけれど最後に皆が向かう場所は知っているよ。」
「それはどこ?」
丸々と大きな瞳は一層大きく膨らみます。
あの部屋しか知らなかった小さなシャーリーには壁を一つ抜けただけでも知らない世界でした。家族に会いたい。一心に思いつつもあの恐ろしい生き物の影がちらついて勇気が出せずにいたのです。ですが、アルビンやヒルデに出会いシャーリーの心は未知なる世界への好奇心がウズウズと騒ぎだしていました。
これからいくつの扉を開けていくのだろう。外はどれほど広くて、どれほど高くて、大きいのだろう。
シャーリーの瞳は鮮やかな色をしていました。それは差し詰め夏の青空と草原の色です。
ヒルデはシャーリーの心の内にある空が見えるように眩しそうに目を細めました。
「 ねこのくに だよ」
「ねこのくに…?」
「私たちは必ずそこへたどり着く。私もこれから行くのだよ。」
「連れていって」
あの日母猫に言いたかった言葉です。
どんなに叫んでも振り向かなかった母猫の横顔が脳裏に浮かびます。心のどこかで母猫に捨てられたと思ってしまっていたからかもしれません。
ヒルデは静かに頷くとアルビンに目を向けます。アルビンは納得していない様子でしたかヒルデには何も言わずにいました。
「私が運ばれる前に袋の中にお入りなさい」
ヒルデはそう言うとアルビンが混ぜた餌を口に流し込みました。
「ありがとう、アルビン。そして小さなお嬢さん、うまくいくことを祈っているよ」
優しげな笑顔をシャーリーに向けるとヒルデは瞼を閉じました。アルビンとシャーリーは台の下に姿を隠し、じっと待ちます。
やがて大きな足音が聞こえ、扉が勢いよく開いた音。そして人間の声が聞こえました。
なぜこうなった。
ヒルデ、かわいそうに。
それからしばしの間、嘆き悲しむ声がします。人間は泣いているようでした。
落ち着きを取り戻したのか人間は動かないヒルデを丁寧に袋に包みいれると一度部屋を出ました。静まり返る部屋の中を見渡し、アルビンと共にヒルデの袋の中へ身を隠します。
細いヒルデの手足はまるで枯れ木のように軽く、二匹が同じ袋に入っても気づきませんでした。
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