第一章

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第一章

「トリック・オア・トリート!」 「……え?」 会計をしよう、とレジに服を持っていった途端そんな言葉をかけられ、私はぽかんと口を開けた。 「あれ?お客様、あちらのチラシご覧になりませんでした?」 あちら、と言いながら店員さんが指差したのは、レジ横に貼ってあるショップのチラシだ。 『ただいまハロウィンキャンペーン実施中!会計の際にトリック・オア・トリートと言うだけで商品20%オフ!』 そう書かれているのを見て、店員さんの行動に納得がいく。どうせ客はその言葉を口にするのだから、言われる前に言っておこう、という考えだったのだろう。 「すみません、気付きませんでした」 秋シーズン、私は毎日のようにパーカーを着て大学に行く。今回の買い物も、ふとパーカーを買い足そうと思い立ち衝動的に訪れたにすぎないのだ。故に、そんなキャンペーンが行われていることなど知らなかったし、もっと言えば今がハロウィンシーズンだということさえ頭から抜けていた。 「お客様もやってみます?」 言いながら、店員さんがちらりとチラシに目を向ける。 「え、と……」 この場合は、きっと私もトリック・オア・トリートと返すのが正解なのだろう。だが、その言葉を求められた瞬間私の頭は真っ白になってしまった。 「わ、私、大丈夫です。……あの、お会計お願いします」 私が途切れ途切れに言うと、店員さんは驚いたように目を丸くする。 「いいんですか?」 「だ、大丈夫です。お金ならあります」 お金ならありますって、まるで嫌味な金持ちみたいな台詞だ。口に出してからそう気付いたが、一度外に出した言葉を回収する術はない。 私は、自己嫌悪やら羞恥やらで顔を赤くしながら、ただ会計が終わるのを待つことしかできなかった。 ショップの袋を片手に持ち、駅に向かって歩きながら私は一つため息を吐く。 トリック・オア・トリートの一言も言えない自分が、情けなくて情けなくて仕方なかった。 私はいつもそうなのだ。"その場のノリ"というものに乗ることが、どうしてもできない。周囲の視線を気にしてしまったり、単純に流れに乗るのが恥ずかしかったりと理由は様々なのだが、とにかく私はいつも楽しい場を白けさせてしまうのだった。 「店員さん、呆れてたかな……」 頭が働き出すと、真っ先に後悔が脳を埋め尽くす。トリック・オア・トリートくらい言えば良かった。急なフリに弱いせいで、求められるものに咄嗟に応えられないのは私の悪いところだ。 「トリック・オア・トリート」 駅へと繋がる街路樹に飾り付けられた小さなジャック・オー・ランタンに向かって呟く。 にやけた笑みを浮かべるかぼちゃのオバケたちは、私に応えることなく風に揺れていた。
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