エジプト神話と秘密教団

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「この自己啓発本の類いに書かれてる思想は、おおざっぱに言えば“楽観主義”と言えるだろう。そして、楽観主義の真逆を突くのが、厭世主義であり、ペシミズムなんだ。高価なワインが半分だけ残ったグラスを見て “まだ半分も残っている”と認識するのが楽観主義。一方、“半分しか残っていない”と考えるのが厭世主義、ってとこかな」 「なんだか、陰気な考え方ですね……」 「まさにその通り。ペシミズムの根底にあるのは、悲観と諦めと絶望だ。彼らにとって、この世は無意味で、人生には本質的な価値などない。この世の一切はただ理由もなくここにあるのであって、自分の人生は運命のいたずらによって偶然、この世に現前したと考える。もしペシミストの友達がいるなら、こう質問してみるといい。『あなたは、なぜ生きているのか?』 きっと彼はこう答えるはずだ。『死なないから』」 「……なんていうか、すごく敗北主義で自暴自棄な考え方ですね…。私は好きになれないと思います」 「それが正常な反応だと思うよ。ペシミストたちにとって人生で最大の災いは何だと思う? それはこの世に生まれてしまったことなんだ」 私は暗い気持ちになって、右京を覗き見る。 一転、彼の眼は興味津々だ。 「シオルーンはこの世界の全てを否定した。友情も愛情も、地位も名誉も、金銭的な成功も野心も夢も全て。どうして、こんな思想が笑い飛ばされて、歴史の陰に葬り去られなかったのだろう? なぜ、今もシオルーンの著作は重版を重ね、今も世界中で読み継がれているのだろう? 恐らく、そこには真理の一部が内包されているからだ。そして、この徹底的な厭世思想は、ある人々にとっては最後の救済の言葉なんだ、と思うんだがね」 実田は話の内容にそぐわない、満面の笑みを返した。 「あの、すいませんが、館内では私語を謹んでいただけますでしょうか……」 図書館の職員が、あからさまに不愉快な表情で私たちに注意を促す。 私はすぐに恐縮して頭を下げた。 しかし、実田はなおも私のほうへ体をにじり寄せると、秘密を打ち明けるような小声で囁く。 「いいことを教えてあげよう。シオルーンはすでに亡くなっているが、彼の思想は極端に尖鋭化し、今もなお生き続けている。それは“強いシオルーン思想”または“シオルーン原理主義”とも呼ばれる考え方だ。彼らはシオルーンの意思を継いで、独自の宗教体系を作り上げた。そして、自分たちのことを“シオルーン秘密協会”と呼んでいる。本部はルーマニアの地方都市にあるようだが、そのネットワークは全世界に拡散し、世界中に信者がいると考えられている。彼らの中心教義はこうだ。“無意味な世界で、空しい価値規範に呪われた人々を救済する唯一の方法、それはこの世からすべての人と人工物を消し去ることである”」 唖然とする私たちの表情を充分に確認すると、実田は再び無邪気な笑顔を向けた。 「まあ、これは都市伝説みたいなもんだがね。彼らの具体的な活動内容はよくわかっていない。そもそも、そんなカルト教団が本当に存在しているか、誰も知らない」
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