メキシコ 国境の都市 シウダー・ファレス

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メキシコ 国境の都市 シウダー・ファレス

グラスの中の琥珀色の液体を半分ほど流し込んだとき、来訪者を告げる呼び鈴が鳴る。 アレハンドロ・カルデナスが壁掛け時計を見やると、夜の十時を過ぎた頃だった。 こんな深夜にどこの誰だ? アレハンドロは階下に降りると、すりガラスの扉を薄く開いた。 そこには、若い女が青い顔をして立っていた。 見たことも無い女だ。 細かく震えながら、助けを求めるような上目遣いでアレハンドロを見上げている。 「やあ、一体どうしたんですか?」 「どうにも体調が思わしくなくて…。その…」 アレハンドロは事態をすぐに察知した。 「少し、待ってもらえるかな?」 そう言うと、一度ドアを閉めて壁のスイッチを入れる。 たちまち、小さな診察室に蛍光灯の明かりが灯る。 アレハンドロは再び扉を開くと、若い女を迎え入れた。 女を椅子に座らせると、自分も向かいに腰を掛けた。 女はいかにも具合が悪そうに咳込んでいる。 「で、どんな症状なんです?」 「咳がひどくて、それから震えが止まらないんです。なんだか、とても不安で…」 「わかりました。少し診させてもらいますよ」 アレハンドロは女の体温を測り、聴診器で首と胸の音を聴き、口を開いて咽頭部の炎症所見を確認する。それから、女を診察台に寝かせると、人差し指の背を叩いて胸部から腹部の打診音を確認した。 「どこにも悪いところは無いみたいですよ。その症状はいつからですか?」 「実は…、三日前に近所の子供が誘拐されたんです。小さい時からずっと面倒を見てきた子だったので…」 極度の不安が引き超す身体症状だな。 アレハンドロは戸棚からいくつかの錠剤を取り出すと、袋に入れて女に渡してやった。 睡眠薬と軽い精神安定剤だ。 「お気の毒に。でも心配しないで、その子はきっと帰ってきますよ」 そう言いながら、自分の言葉が空しい嘘だと彼は十分に理解している。 ここはシウダー・ファレスなのだ。 麻薬カルテルの抗争と犯罪に(まみ)れた街。麻薬がらみの事件で、年間二千人以上が命を落とし、誘拐と恐喝をしても罰せられない街。 子供の失踪事件など、もはやニュースにもならず、警察の捜査など形式だけ。消えた子供たちが帰ってくるとしたら…、それは莫大な身代金と引き換えか、遺体になって発見された場合だけだ。
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