日常の違和感

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「ここに描かれているのは“ウラムの螺旋”だ」 スマホに記録した石畳の画像を見ながら、数学科の望月先生はこともなげに言い放った。 望月先生はまだ三十歳前後にも関わらず、太古の昔に世界中を席巻したビートルズなるバンドの信奉者らしい。 その影響か、フチなしの丸い眼鏡にセンター分けのロングヘア―という浮浪者のようないで立ちで、数学者としての異様な貫禄に満ちていた。 「ウラムの螺旋…、ですか?」 根っからの文系人間である私は、数学科の研究室の独特の空気に呑まれて緊張していた。 朝方見つけたモザイクの意味を図りかねた私たちは、数学に詳しい望月先生からの助言を頼ることにしたのである。 「そう。別名、素数螺旋ともいわれている。この構造は1960年代に、数学者のスタニスワフ・ウラムによって発見された。この図形を構成するルールは単純だ。まず格子状に並んだマス目の中心に1を書く。それから、この1を中心として、左回りに2,3,4,5,6……と、渦巻き状に自然数を配列していくんだ。よし、ひとつ作図してみよう」 望月先生はデスクトップパソコンに向き直ると、何か専用のソフトを読み込んで、素早くプログラムの作成に取り掛かった。 モニターに格子状に並んだセルが現れる。 セルの中心に数字の1が現れた。それから、右隣のセルに2、2の上に3、3の左隣に4、さらに左に5、という具合に、最初に現れた1を中心にして、次々と数字が巻き付けられていく。 「これをグルグルと延々繰り返す。やがて、マス目は渦巻き状に配列された自然数によって埋められる。実際には、当然この二次元平面は無限に拡がっていくんだが。さて、この数盤に対して、ウラムが気まぐれに行った操作とはどういったものだろう。もう、分かるよな。素数を一つずつ塗りつぶしていったんだ」 望月先生がエンターキーを叩くと、セル上の自然数の内、素数だけが赤い×に反転していく。 するとそこに徐々に、あの石畳の幾何学的モザイク画が再現され始めた。 それは一見、デタラメな赤のまだら模様に見えた。 しかし赤い×が増えるに従って、ある傾向をはっきりと示すようになった。 明らかに45度の赤い斜線が交差する網目模様が現れたのだ。 「どうしてこのようなパターンになるのか、本当の意味はまだ誰も理解していない。ただウラムの螺旋が暗示しているのは、ランダムに発生するように見える素数のふるまいの裏に、何か謎の規則が存在しているらしいってことだ」 私は真のミステリーに触れた気がして、厳かな気持ちになった。 まるで高貴な僧侶の有難い説法を聞いている気分だった。 「望月先生、石畳の広間にウラムの螺旋を描いた人物は、一体何を意図していたんでしょうか?」 「それはわからない。ただの悪戯か、精神疾患か、それとも何か別の意図があるのか。いずれにせよ、何か資料を見ながら作図したんだろう。一晩でこれだけの素数螺旋を暗算で作成するのは、普通の人間ではまず無理だろうからね」 望月先生に感謝の言葉を述べて、私たちは研究室を後にした。 「気が済んだかい? シャーロックホームズ様。俺の考えでは、やっぱり中学生の悪戯だよ。謎を作り出すのが楽しい、そういう年頃なのさ。」 私は右京の言葉を無視する。どうしても腑に落ちなかった。ただの悪戯にしては手が込みすぎているように感じたのだ。
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