Snowtime

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「いるわよ」  彼女の唐突な返答に薄暗い感情から、一気に電灯ひとつの明るい世界に引き戻される。光を取り戻した視界には、海や空を思わせる程にクリアな黒目がこちらを真正面に捉えていた。ついさっきまでその顔を見たくて仕方なかったというのに、やましい考えがよぎっていた僕は急激に恥ずかしくなって思わず視線を反らす。 「えぇ…と…何がでしたっ、け?」 「何がって待ち人よ。ほら、すぐそこに」  彼女の指が動くのと同時に、僕は反射的に立ち上がり辺りを見回す。もし一連のやり取りを彼氏にでも見られたら、ただでは済まないだろう。首を目一杯左右に動かし、僕の方を指す彼女の指を確認して、勢いよく後ろに振り替える。  けれどいくら見渡してもこの狭い銀世界の中にいる役者は僕達二人だけであり、スポットライトが照らしているのも僕達だけだった。それでも彼女は僕の方を差し続け、僕は雪でまだら模様に揺れる暗黒を凝視する。それを遮ったのは彼女の静かな笑い声だった。 「あはは…冗談よ。ごめんなさいね、こんなに笑ってしまって。あなたってばあんまりにも面白いからつい。気を悪くしないで欲しいのだけれど」  手で口元を押さえても隠しきれない笑顔で彼女は声を挙げて笑う。物静かなように見えて実は感情豊かな人なんだとわかり、心のない物(雪だるま)なんて言ってしまった自分を恥じる。私は人間だとだめ押しするかのように、彼女はまたくしゅんと可愛らしいくしゃみをして、体を震わすジェスチャーをする。 「寒い…ちょっと冷えちゃったみたい。どこか近場の暖まる所を知らないかしら?」 「この近くでですか? この辺住宅地だし、いくつかある小さな喫茶店もこの時間じゃ…後は…うち、とか…」  ほんの少し前に言ったことと明らかに矛盾している上に、我ながら絶句するような誘いかけに僕も彼女も困惑して視線を落とす。確かにもっと一緒にいたいという気持ちに嘘はない。ないけどだからってこんな下手な伝え方しなくても…自分のセンスの無さに殴りたくなってくる。 「…心まで?」  ふいにそんな声がポツリと聞こえ、「えっ?」と疑問を返す前に彼女がベンチから立ち上がる。長い時間座っていたのか、手で払い退ける肩に積もった雪がパラパラと落ちる。特徴的な赤いシルクハットにも雪が積もっていたが、それだけは脱ぐことなくそのままベンチから離れていく。 「どうしたの? ボーッとしちゃって。行かないの?」 「えっ…え? 行かないのって…どこに?」 「あなたの家よ。ほら、お誘い受けたんだから、早く連れてって。凍えちゃうわ」  はにかんだ笑顔でそう言う彼女は呆気にとられる僕を置いて、すたすたと暗闇の舞台袖へと消えていく。グダグダなナンパだったけど了承ということでいいのかとか、待ち合わせはいいのかとか、そんな疑問を問う暇なんてないと本能的に察知した僕は舞台から飛び出て、姿は見えないけど彼女のシルエットと並んで歩きだす。  誰もいない夜の公園に。  雪が積もるアスファルトの上に。  二人の足跡を刻み付けていく。
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