02.出会い

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02.出会い

 ガノア帝国は、アルフォンソの手によって滅びた。  元敵国の城からはすぐに帰ってしまいたいところだが、すでに夜が迫っていた。乗り気ではないが、ここで一夜を過ごすしかない。  自国に向けて、勝利を伝える文書を書き記していたアルフォンソは、部下の訪れに顔をあげた。   「失礼します、殿下」  遠慮がちに入ってきたのは、アルフォンソの直属の部隊の中でも、勤勉で信頼を置く騎士の1人だった。 「どうした」  いつも冷静な彼の強張った表情に、何か良くないことがあったのだとアルフォンソは即座に悟る。 「それが……、とある部屋の中を探していたところ、不審な通路があることを確認しまして」 「通路……?」 「はい。念のため、中を確かめてみましたところ、少年と少女が残っておりました」 「ふむ」  アルフォンソたちがこの城に乗り込んだとき、すでにこの城に残っていたのは、皇帝と共に散る覚悟を持つ軍人だけであった。まさか民間人が残っているなんて。しかも少年少女だ。ただ単に逃げ遅れただけなのだろうか、と逡巡する。 「彼らは今どこに?」 「見たところ武装もしておりませんでしたので、一先ず見張らせております。始末しますか?」 「――いや」  咄嗟に止めた自分がいることに、アルフォンソは驚いた。戦はもう終わった。むやみに命を奪いたくない。心のどこかで思っていたのが口をついて出たのだろう。 「念のため私が検分してから、解放しよう」 「御意のままに。では、こちらへ」  騎士の案内に沿って、アルフォンソは腰を上げた。まだ血の香りの濃い城内では、今夜身を休めるために、兵士たちが荷を下ろし整理を始めている。あとは無事に帰るだけだと安心する気持ちもあるのか、兵士たちの表情はどことなく柔らかい。多くの兵士たちの命を散らさずに済んだことに安堵しながら、アルフォンソは歩を進めた。  彼らの居場所に繋がっているという通路は、何の変哲もない客間の本棚の裏に隠されていた。よくこんな場所を探せたものだ、とアルフォンソは自身の部下たちの優秀さに舌を巻く。  自国の城にも、王族しか知らない通路がある。有事に王位継承者を逃がすために作られた通路だ。この通路も、そのような類の通路なのではないだろうか。  いや、どこかにつながる通路なのだとしたら、なぜこの奥にいる少年少女たちは、そこから逃げないのだろうか。  のか。それとものか。  どちらにせよ、何か事情があるのだろう。  扉を開けると、目の前にあったのは漆黒だった。案内の騎士が松明をつけなければ、どれだけの広さがあるか皆目見当がつかないぐらいの深い暗闇。  松明の光に照らされ浮かび上がったのは、人が一人通れるだけの幅しかない細い通路だった。天井は高く、アルフォンソたちの歩く音が暗闇に反響する。  通路の奥には、さらに重そうな扉が待っていた。その前で見張りをしていた顔なじみの騎士たちに挨拶をする。  そして、アルフォンソは扉に手をかけ、開いた。  そこは、小さな部屋だった。手が届かないような上部に小さな窓が取付けられ、銀色の月の光が冷たい色を落としている。白を基調とした部屋に、深い青の調度品が並んでいる。少ないながら、綺麗に並べられた調度品の数々だった。  部屋の中央に置かれた暖炉の前には、ぴったりと寄り添いあった二つの人影が見えた。  アルフォンソから見えるのは、線の細い少年の姿だけ。彼が腕に抱いているのが、報告にあった少女だろう。アルフォンソからは、少年の姿が陰になって少女の姿は見えない。  すらりと背が高い少年の表情は、アルフォンソを見て絶望に染まった。長い黒髪を一つに結い、諦めのような恐れの交じったような顔でこちらをうかがう少年。軽装とはいえ、質の高い衣服を身に付けていることが遠目にも分かる。どこかしらの貴族の息子と考えるのが自然だった。 「君たちは、何者だ?」  アルフォンソの声に、少年はぴくりと肩を震わせる。 「あなたが、将軍ですか?」  少年の背後から、澄んだ声がアルフォンソにかけられた。 「エル……!」  少年の制止を振り切って、彼の腕から抜け出した少女。  その顔を一目みて、アルフォンソは思わず息をのんだ。  さきほど自身が首を落とした女に、顔立ちがそっくりだったのだ。  吸い込まれるような大きな紫水晶の瞳。一度も陽の光にあたったことがないのではないかと思うほど白く滑らかな肌。月の光に照らされ、銀色に波打つ豊かな髪の毛。大きな丸い瞳は、意志の強い光をたたえ、アルフォンソをじっと見つめている。  死んだ皇后によく似た顔をした少女は、皇后が持っていたむせかえるような色香がの代わりに、女神のような清らかさを持ってアルフォンソに相対する。  彼女の一挙一動に、眼が奪われる。    ――これまで見たどんな女性よりも、美しいと思った。 「あなたが、この国を滅ぼしたのですか?」 「……」  アルフォンソを問う少女の声音は、詰問の色を帯びていた。  なんと答えるべきか、一瞬声を失ったアルフォンソの代わりに、後ろに控えていた騎士が声をあげる。 「殿下の御前だ、言葉を慎め」  憮然とした表情をしたまま、少女は口をつぐんでアルフォンソの言葉を待った。  後ろの騎士を下がらせ、アルフォンソは少女を見つめる。 「そう、私が皇帝を討ち、この国を滅ぼした。こんなところにいるなんて、君たちは何者だ? 逃げ遅れたのか?」  気を取り直して口を開けば、少女は反抗するように口を横に結んだ。 「私たちは逃げない」 「なぜ?」 「それは……」  少女が言いよどむと、それまで黙っていた少年が彼女の前に割って立った。 「エル、下がって」 「いやよ、リュシアン――私は知りたいの」 「知っていても、何も変わらないよ」  少年の瞳は、諦めの色を帯びていた。  そう言いながら、少年が懐から出したのは、銀色に光る刃。 「もう、終わらせるしかないんだ」  ぽつりとつぶやいた彼は、そのままアルフォンソに向かって走り出す。 「リュシアン!!」  少女が悲鳴をあげるのと、アルフォンソが剣を抜くのはほぼ同時だった。これまで訓練を積んできたのが仇となった。アルフォンソが頭で何かを考える前に、身体が勝手に動いて少年の身体を斬り払う。アルフォンソに一太刀も浴びせられぬまま、少年の身体から鮮血があがった。 「あああああああああああああ!!」  絶叫をあげ、少女は少年に駆け寄ろうとする。  驚き、悲哀、絶望。  彼女の美しいかんばせに、さまざまな感情が去来している。この少年が、彼女の大切なひとであることは、一目でわかった。    アルフォンソの頭のなかで何かが弾け飛んだ。側で血を流しながら倒れる少年に、追い打ちをかけるようにもう一刺しする。 「ぐはっ」  乾いた音を立てて、少年が血を吐いた。  仕方ない、と心のどこかで思った。  ――彼女の側にいるから、こうなるんだ。  衝動のままに、剣を高く振りあげ、刺す。致死量と思われるほどの鮮血のなか、少年の手から徐々に力が抜け、アルフォンソに向けていた短剣は床に落ちていた。 「で、殿下?!」  驚き上ずった部下の声に、アルフォンソは自分が再び剣を振り上げていたことに気づく。  血の海のなかで、少年の息はすでになかった。長く続いた少女の絶叫もいつの間にか消えており、彼女は気を失って床に倒れこんでいた。 「殿下、お気を確かに」  これだけ無惨に人を殺したのは初めてだった。  こんなことをして許されないと思う気持ちと、胸の奥では歓喜に打ち震えている自分もいた。  隣国まで遠く遠征し、長年の宿敵を斃したのだ。これぐらいのわがままは許されるだろう。アルフォンソは少女の身体を抱き上げた。  ――彼女を手に入れるために。
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