03.帰還

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03.帰還

 自国へと帰還したアルフォンソたちを迎えたのは、熱狂だった。凱旋の沿道には多くの民衆が詰めかけ、アルフォンソの健闘を祝した。  自国の民の姿をこんなに間近で見るのは、初めてだった。  頭では分かっていた。自国にはたくさんの民たちがいて、王太子であるアルフォンソは、ゆくゆくは彼らの上に立ち、国を治めていかなければならないということを。    だが、頭でわかっているのと実際に会ってみるのとでは、まったく違う。  喜んで声をあげている者。アルフォンソに手を振る者。泣いている者。それぞれの顔まで見える。  ただの紙のうえで見る数ではない。アルフォンソにも生活があるように、その誰もにそれぞれの暮らしがあると知った。これまでよりずっと、国民たちのことを近くに思えた。  熱狂した民衆たちの持つ力に、アルフォンソは圧倒されるばかりだった。 ――王太子殿下、万歳!  長らく敵対していたガノア帝国を打ち倒した”英雄”。  民衆はアルフォンソのことをそう呼んだ。  本当に、自分は英雄なのか。ふと、考えてしまいそうになる。  長きにわたる戦に決着をつけることができた。それは喜ばしいことで、だからこそ国民たちはこんなにも喜んでいる。  だが、それは帝国の内情を知らないからだと思ってしまう自分がいるのも事実だった。目を閉じれば、赤子の手をひねるように落としたガノアの城の惨状が思い浮かぶ。狂った皇帝の首を落とした感覚も、まだこの手のなかに残っている。思い出したくもないのに、鮮烈な記憶はアルフォンソの頭のなかにこびりついていた。  浮かんできた思考を振り払うように、アルフォンソは民衆に応えるべく、剣を天高く掲げた。アルフォンソの姿を見て、さらに民衆たちは大きな声をあげる。ざわめきの中心にいれば、うるさい思考も止んでくれるはずだ。  これでよい。  そう自分に言い聞かせて、アルフォンソはただ民衆へ向けた笑顔を貼り付けた。  凱旋を終えて自室に帰ってきてからも、アルフォンソの耳にはガンガンと民衆たちの声が反響していた。  久方ぶりの自室は広く、そしてがらんとしている。誰もいない部屋のなかで、やっと取り繕うことなく大きく息を吐くことができた。  行軍のあいだは、一人きりになれる時間はほとんどなかった。  行軍の計画に遅れがないか。必要な物資はきちんと届いているか。諸外国の様子に変わりないか。様々なことに気を配っていたせいでほとんど眠れず、ただ寝台に横になっているだけと言っても過言ではなかった。  戦いは無事に終わったのだ。もう気を抜いて良いと分かっているのに、戦に慣れてしまった身体は緊張を緩めようとしない。    思考を鈍らせようと、酒に手を伸ばす。  真紅の液体を流し込み、ぼうっとこれからのことを考える。しばらくは地味な戦後処理に追われるだろう。あとは父王が無駄な野心を起こして戦を始めないことを祈るだけだ。  そうして考えごとにふけっていると、部屋の外から遠慮がちなノックの音が響いた。声を聴けば、信頼している部下のひとりだった。  用件に見当が付いたアルフォンソは、部下を部屋のなかに招きいれることにした。彼の顔は、華やかな凱旋のあとだと言うのに曇りきっていた。 「殿下。あの少女はどうするのですか」  開口一番、部下はそう言った。  城に帰還する前に、少女はこの部下の城へと預けていた。  父王はともかく、母が少女の存在を知れば面倒くさいことになる。母は次期王たるアルフォンソの配偶者選びに躍起となっているのだった。  心配性で口うるさい母は、父王の妾のひとりであったが、アルフォンソを産んだことにより、王宮での地位を手に入れた。すなわち、アルフォンソ次第で母の地位はどのようにも変わる。自身の地位を確固たるものにするため、一刻でも早くアルフォンソに由緒正しい家柄の後継者を作らせたがっていた。  こんな状況で敵国の少女など連れて帰れば、母が彼女をどんな目に遭わせるか。命さえ危ない。想像しただけでも頭が痛かった。 「あの少女は、ゆくゆくは私の妻として迎えるつもりだ」  きっぱりとアルフォンソは言った。  アルフォンソの言葉に、部下は眉間の皺を深くする。 「ですが、どこの誰かもわからない少女ですよ?」 「だが、美しい少女じゃないか。正妻にはしておけぬと言うのであれば、頃合いをみて側室にでもすれば良い。そうすれば母も何も言えぬだろう」  母が望んでいるのは、世継ぎだ。  アルフォンソ以外に皇位継承権のある弟は2人。もしアルフォンソが死んだ場合、王の座が腹違いの弟のどちらかにうつる。母は、側室の子がアルフォンソより上に立つのが嫌なのだ。自分ももとは妾だったからだろう。身分の低い側室たちに一層冷たく当たっていた。 「では、それまではどうするおつもりで?」  言外に、自分の城にいつまでも置いておくなと言われているのだろう。アルフォンソは小さくため息をついた。 「私の持っている領地のなかで、できるだけ母の監視がゆるいところへやろう。そうすれば満足だろう? いくつか候補を見繕っておいてくれ」  御意、と小さく言って部下の姿は消える。  部下の姿がいなくなってから、アルフォンソは大きくため息をついた。  どこにいても、自分の居場所はないように思えた。  ——王太子として、次期国王として。  たくさんの期待がアルフォンソにかかっていることは分かっている。  父の期待、母の期待、そして国民たちの期待。長男として、このままいけばアルフォンソがこの国を継ぐことになる。  目を閉じると、アルフォンソを英雄と讃える民衆たちの姿がまぶたの裏に浮かんだ。  もしアルフォンソが愚鈍な王となれば、彼らは一瞬で手のひらを返すだろう。アルフォンソを讃えた口でアルフォンソを罵るのだ。  王になる者として、仕方がないことは分かっている。  分かっているのに、どうにも息が詰まる。  もう一度大きく息を吐いて、アルフォンソはソファにもたれかかった。  そうして、いつの間にか、微睡のなかに誘われていた。
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